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2007-12

グレンリベット1978

ファイネスト・アンド・レアレスト
 グレンリベット1978 29年 52.6%
(キングスバリー)
 
 
私にとっては、2本目のファイネスト・アンド・レアレスト。
 
最近このシリーズが続々リリースされ、
(クライネリッシュ、カリラ、ストラスアイラ、バリンダロッホ、
 リンクウッド・・・)
いよいよキングスバリーのレアモルトも売り時を迎えた・・という事か。
 
60年代モルトのストックは殆ど無くなり、
70年代モルトもこうやって最後の一般販売に移ったようで、
70年代~モルトを仕込むチャンスの1つとして「あったらよろしく」と
オーダーしておいたのだ。
 
最初に手に入れたこのシリーズはマッカラン1976だったが、
今回はリベット。
そしてもう一本ロングモーンも控えている。
 
 
さて、能書きを連ねるより、味わってみよう。
 
 
最初は・・・
カスクの強さと最初の刺激臭が立つ香りだけの酒・・・ではあるが、
勿論そんな事は承知している。
 
で・・・
開くまで、ゆっくりと時間をかけてみる。
 
何せ29年物だ。
最低でも30分はかかるはず・・・・
 
 
5分、10分、15分・・・と変化を見るが、
舌に刺さる強さや懐かしい麦の香りが少しある位で、
その奥に隠れる何かは、ガンとして出て来ない。
 
まぁ、口開けの最初の一杯。
 
そんなにすぐ開いてしまっては、面白みは無く、
また、瓶内熟成が期待できない「だめモルト」でも困るワケで(^_^;)
 
 
お?
おぉ??
 
これは???
 
30分を過ぎた頃からか・・・
舌に刺さる刺激が消えて円やかな味わいが出てきた頃、
強い香りの奥から、バーボンカスクらしいバニラ香と共に
リベットらしい花粉を思わせるようなスパイシーなクセと、
スミレの蜂蜜に似た味わいと匂いが出現した。
 
あぁ・・
懐かしい・・(^_^)
 
最初にモルトにはまった頃、マッカランの18年よりも美味しいと感じていた
グレンリベット18年を思い出させるような顔つきが、そこにあった。
 
そしてさらに30分・・・・
 
 
舌にまとわりつくような、それでいて気持ちのよい口当たりと、
少し薄れてしまったバニラ香、麦本来の香りに、砂糖をぶちまけたような甘み、
それらが渾然一体となってバランス良く存在している状態。
 
78年は、リベットが急速にクオリティを下げ始める直前の頃。
 
その最後の息吹を、こうやって思い出させる酒に出会える事は、
馬鹿まっしぐらな私にとってはこの上ない喜びだ。
 
あ・・・・
しまった。
 
先にもう一本のロングモーン1980から飲めば良かった。
どう考えても、こっちの方が美味い・・はず。
 
という事で、面倒だ・・・
 
 
「すいません、もう一本も出してください」
 
「え?」
 
 
すいません、馬鹿です(/–)/

ステップ

子供の頃、学校へ行くのも、遊ぶのも、
友達と一緒だった。

それが当たり前な感覚でいた時、
家事を手伝うようになった。

朝食の後片づけ。

それを登校前に行うのだが、
要領よく手早くやる事ができない。

で・・・
迎えに来てくれた友達に謝って、
1人泣きながら茶碗を洗っていた。

それは・・・
小学校4年の頃だった・・と記憶している。

マイペースな親は、
自分の生き方を大切にしながら、
自分の子供を自分勝手に愛して、
自分の都合と考えで、学校より家事・・という風に使う。

それは、タダで住まわせてもらって、タダで食わせてもらっている立場として、
文句言えたものじゃない・・と知っていたから、甘んじて従っていた。

でも、
いつも、
早く家を出て独り立ちしたい・・・と考えるキッカケになった。

今の子ども達は、
家事を手伝う事や家業を手伝う事なんて、
やっているのだろうか?

何でも揃っていて、
家に居れば親が何でもやってくれて、
仕事が気に食わなければすぐ辞めてパラサイトし、
自分がどうやって生きていくか・・・すら考えていない・・・
と、邪推したくなる子供&若者が多すぎる。

でも、
そんな子供が増えるのは、
親世代の幼稚さと子離れできない依存気質のなせるワザ?
と考えたりもする。

今の若者は、30歳頃に大人へのステップを上がる。

散々やりたい事をやって、
自分探しをして、
長く続けてもいいか・・と諦められる仕事を見つけて、
やっと社会の中には意志のある他人が居る・・・と思えるのが30歳過ぎ。

そんな社会だから、
既にリタイヤ世代の政治家やリタイヤ寸前の役人に決められた事にも、
異論を挟む意識も育たないのかも知れない。

人は、自分の人生に対する責任を
自分自身のみで負う。

子供には子供の人生があり、親にも親個人の人生があって、
自分の部分については自分でしか修正も納得もできないものだ。

そんな当たり前な事すらわかっていないのは・・・
実は、大人の中にも多すぎる位に居たりする。

世も末・・だねぇ(/–)/

切り替わった

あ・・・
今日って木曜だったか・・・(^_^;)

そう・・
毎週木曜は、収録があって、
それが週の区切りとして認識していた曜日なのに、
今日はまったくその事を忘れていた。

どうやら、やっと
シフトしたらしい(爆)

今は、2000カットオーバーのチョイスと、
新春特番の進行と、
本来やらなくてはいけない経営分析他の仕事で頭がいっぱいで、
信頼できるスタッフに任せた仕事に、気持ちを割くキャパはないのだろう。

でも、
自分の中には、確固たる物が備わっている。

何時でも、制作にシフトする事ができる。
何時でも、スチールカメラマンとして動ける、
何時でも、総務の仕事ができる。

それは、経験が、
単なる知識というレベルから、
身に付いた物としてのレベルに至るまで多くある、という事だろう。

車の運転も、バイクの運転も、
自分が普通に歩くように無意識に行える。

同じような感覚で、仕事のあるタイプは、
普通に何時でも行えるだけの経験を積めた・・という実感がある。

だから、自然に切り替わる事も、
ちっとも不思議ではなく、また寂しい事でもない。

そう・・・
人は人によって生かされていて、
人と人の繋がりによって報われて生きている。

そんな事も、実感としてわかっているから、
今、一時、誰かと離れている事も、寂しいとは思わない。

ただ・・
手が触れる距離に居られない事は・・・
寂しいと感じる一因ではあるね。

順応

今日も、早朝からスチール撮り。
だが、昨日よりもテンポ良くスケジュールをこなせる。

ごく普通の公園の秋のシーンを演出するわけだが、
撮れる物しか撮らない・・というスタンスで撮っていくからか、
自分でもすんなりと撮れて、気持ち的にも楽だった。

ただ、
その数が凄くて・・・・

今日もやっぱり5ギガコース。

ホームページ用の写真なので、最初っからjpegで撮っていてもそのサイズ。
(つまり2日間で2000カット以上、撮ったワケですな(^_^;))

それでも、やっぱり映像だけ考えている事は、
私にとって楽な事らしい。

集中する中から生まれるカットは、
自分としてはどれも大切な一枚。

そして
より美しく、
より斬新に、
より自分らしく・・・と
集中は加速する。

あぁ・・・
そうだ。

こうやって集中する事、
最近は殆ど無かったんだ(^_^;)

今回は、凄く集中しているから、
他の回路が動かなかったんだな・・・(/–)/

使う場所

ここのところは、ひたすら数字を見ていて、
それが制作の仕事をする時とは、脳の違う部分を使うんだ・・とわかってたが、
今日、スチール撮影をしていて、さらに気付いた事がある。

数字を見る事と、日本語を操る事と、画像を構成・演出していく事は、
それぞれが脳の違う部分で似たような処理をしているらしい・・という事だ。

以前は、それぞれについて、同じ感触を感じる事ができると感じていたが、
今日は同じ感触を感じていても、それを判断しアウトプットするためには、
まったく違う回路を使っている事を如実に感じたのだ。

一緒に回ってくれた同僚は、クライアントへのリップサービスとドライバー、
そして私へのアシストまで1人こなしてくれたが、
彼が投げかける言葉に対して撮影中はまったく回路が開かないだけではなくて、
自分の言葉も出てこなかった。

光と色と構図を考えている上に、クライアントが求める画をどう表現するか・・・
という要素を足しながらファインダーを覗いている時は、
日本語をアウトプットする回路が閉じてしまっているようだ。

ポートレートを撮る時のように、言葉を投げながら撮影する事もできるはずなのに、
どうしても今日は言葉が出てこない。

で・・・
思わず自分でも呆れるほど、撮っている時はぶっきらぼうになってしまった。

ただ、1つ困った作用が起きている事にも気付く。

抽象的で理解不能なオーダーを撮影中に投げかけられると、
微笑む事もできず・・・いや、かなり不機嫌な顔して?いるようなのだ。

「アレを撮ってください。」

「はい・・・
 こんな感じですが、如何ですか?」

「あ?
 真ん中に写っちゃってる」

「え?」

「真ん中・・・に」

「はい・・・ダメですか?」

正直、戸惑った。
そして次に、腹が立つ。

要は対象の位置についてお叱りを受けたわけなのだが、
その意味を理解できない自分が、何だか腹立たしいのだ(^_^;)

もしかしたら、オーダーした人の中には既にイメージがあって、
それとの乖離に対して「何故?」という問いかけをしたかっただけなのかも知れない。

そのための会話を持つための回路が動かない・・・

きっと、ムッとした顔したろうな・・とも思ったが、
それよりもまずは膨大な量のカットをこなさないといけない(^_^;)

上がったカットを気に入ってもらえば良いのだし、
抽象的なオーダーを具現化するのがコッチの仕事。

言葉が出ない時は、言葉以外で会話するしかない。

という事で、ひたすら撮っては見せ、
見せては撮り・・・・

気がついたら1ギガと4ギガのカードを使い切って、
夜景の撮影に突入・・という事になった。

1日に5ギガ以上撮ったのは、初めてだなぁ・・(/–)/

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