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2013-12

これが無いと終わらない

急逝した勘三郎が良く言ってた言葉に
「型があるから型破り、型が無ければ形無しだ」
というのがある。
 
だから型は大事だと、
前衛的な活動をしながらも古典を大事にしていた事は、
歌舞伎好きな人達には常識の一つとして残っている。
 
教育は型にはめる行為でもあるし
社会の秩序も型にはめられる事なのだろう。
 
だから型が良くないと、
ろくな事にならないと。
 
 
我が一族の年越しは
百八つの煩悩喰らいと決まっている。
 
これも一つの型なのかも知れない。
 
大した事ではない、ただの催しも、
意味と意志が絡んで行事となって歴史を持てば、
やっぱり型としての意義も生まれてくるのだと思ってしまう。
 
 
 
2035D
 
 
 
今年も煩悩を喰らおう。
例の場所で。
 
この1年を
どうにか生き長らえた事を共に喜び
新しい年を迎えたいと思っている。
 
 
 受付 19:30
 開始 20:00
 会費 2000円(酒代別)
 場所 横浜橋商店街「江戸藤」
    横浜市南区真金町2−12
 

和食

9393Db
 
 
ユネスコが「和食 日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産に登録した。
 
農水省は、
世界の文化的多様性を豊かにすることともなり非常に大きな意義を持つと言ってけど、
和食はもう遺産なのかな?
と素朴に疑問を持つ。
 
確かに、日常的に食べる物は
日本食であって和食ではないように思うけど
一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルはまだ
ちゃんと家庭に根付いてるのでは?
って思ったりもする。
 
ただ、自然を尊び、
素材の味を活かした穏やかな味付けは
確かに遺産となりつつあるのは現実かも。
 
クセの無く形が整った野菜には滋味が薄く、
ファストフード文化が濃い味付けを加速させて、
なんちゃって和食が蔓延っているだけではない。
 
懐石料理のような和食のコースには
日本文化を楽しむための仕掛けや
店との対話のタイミングも用意されているのだが、
そういう事を知らない人が増えすぎた。
 
だからこその遺産登録なのかも知れないけど
文化と認めているのなら、
既に家庭に於いては教育できなくなっているのなら
学校教育の中で教える事も考えるべきでは?
・・なんて思ったりもする。
 
日本語がまだ不自由にしか使えない小学生に英語教育を始めるより
無形文化遺産に登録した和食文化をはじめとする日本文化を
ちゃんと教える事の方が大事と思うけど、
それって僭越なんだろうか・・・ね?

maxed out

金曜は、久々に一つの作業に集中した。
 
思えばここ数年、仕事上で一つの作業に没頭する事は
無かった。
 
もともと集中力は病的にある方で
(だから自分は若干アスペルガーだなと思う所以だが)
スイッチが入ると、他の物が何も見えなくなる。
 
この変な能力のおかげで緻密な制作物を作る事はできたのだけど
そういう時と、今やってるような客観的な視野を求められる仕事中では
どうも、頭の中の使う部分が違うらしい。
 
という事で、とても疲れたのだが、
その後に若手とゆっくり&とことん飲んだ夜でもあった。
 
 
特に悩みも無く、現状にも、まぁ納得できる、生活。
そんな若手にはまだ、伝えるべき物が見当たらない。
 
でも、視野を広げて、知らない世界を見て、
自分の方向を見定めるキッカケになればいい・・と楽しんだが、
自分を振り返ると、「今、やらなくちゃ、間に合わない」という焦燥感に
ちょっと薄い感じも、持った。
 
 
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さて、写真だ。
自分の視界を表現するメディアだ。 
 
嫌でもその日その時の感情が写るものだけど
表現を積極的に行うと、同じ写真も違って見えてくる。
 
だからこそ、自分の表現したい事を
ギリギリまで絞り出して形にしないと面白くない。
 
500PXに投稿するようになって、
全世界の写真好きが何に関心を持つかがわかるようになってくると
やっぱり、思いを込めて積極的に仕掛けた物と、
日常の空気の表現では反応が違う事に気付かされる。
 
「わかる人にだけわかれば良い」というスタンスは変えないけど
「わかる人には刺さるように表現する」という仕掛けは必要らしい。
 
やっぱり、自分の表現だから、
自分らしく正直に・・だね(^_^)

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