Home > アーカイブ > 2017-02

2017-02

ポピュリズム


 
 
ポピュリズムって何だろう。
大衆迎合主義って言えば?って思ったりする。
 
そもそもはエリートを腐敗した権益者として決めつけて、
民主主義の敵として排除する政治的手法なのだが、
民衆をくくる際に差別的な扱いにも利用されてきた。
 
考えてみれば、帝国主義や軍国主義においては
プロパガンダによって民衆の感情をコントロールしてきたのだが、
それに対抗すべき存在は報道機関であり、
それ故、自律できている切り口で報道を行う事が求められ、
実践されている報道機関は、それを信用できる人達が支えていく図式があった。
 
しかしここ数年、
報道機関の軽率で傲慢な情報発信が酷くなり、
同時に偏向した切り口が行き過ぎで、その価値が恐ろしいくらいに低下した。
 
それに対応するかのように、
ウェブ環境整備が進んで増えたSNS利用者が発信する情報が、
変な方向性を持って流布されていく現象も増えてしまう。
 
その結果、
私的な感情に振り回された情報に踊らされる人もまた、増えた。
 
ポピュリズムは、民衆(善)対エリート(悪)の図式を持つが、
そこにはリベラリズム(自由主義:異なるものを平等に扱う)への軽視、
もしくは無視が生まれやすい。
 
そういう意味で今のポピュリズムは
民衆による民衆のための排外主義にさえ、見えてしまう。
 
 

 
 
目の前に存在する脅威に、
人はまず怯える。
 
だから、リアリティある日々の危険性については、
実体験を伴うような感覚で、無意識に回避を行う。
 
その行為は本能的な事なのだけど、
目の前の脅威の向こう側にある問題や状況には目が行かず、
脅威を回避した瞬間に、もっと大きい脅威や回避不能な状況に出会い、
結果的に被害を被る事になる。 
 
 
今、社会で、何が起きている? 
社会はどうあるべきだと、思っている?
 
社会の健全化は、結果的に自分を助けるという事や、
「情けは人のためならず」という諺の意味を理解できないと、
間違った方向に民衆の意識は偏向していくだろう。
 
 
今、端末にプッシュされてくる情報には、
偏向された情報が多すぎると思う。
 
偏向しているよ、と警鐘を鳴らすべき報道機関は、
実際、存在していないのでは?
とさえ感じると言ったら、言い過ぎなのだろうか。
 
 

 
 
恐いと、思っている。
 
日本人は、
耐え難きを耐えた後に
命を捨てて反撃するメンタリティを
持っているからだ。
 
偏向した情報を遊んでいるうちは良いのだけど、
サイレントマジョリティが本当にブチ切れた時、
今の日本は変身する可能性を感じている。
 
それが、「右」なのか「左」なのか。
 
いずれにしろ、
乱暴な国家になるような予感が、してならない。
 
だから
恐いと思っている。

Home > アーカイブ > 2017-02

検索
フィード
メタ情報

Return to page top