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2014-08

集団的他衛権?

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集団的自衛権について、どこまでの理解がされているのだろうか?
そんな思いを持ったのは7月の頃だった。
 
そもそもこういう事だよね?
って事を論ぜずに表面的な一部分を取り上げて
何が何でもダメという論調のマスコミ報道は
SNSを介してモンスターな情報に変化していく。 
 
今話題の「朝日新聞・慰安婦報道問題」も同様で、
戦時に起きた女性に対する人権蹂躙な行動そのものに目を向けず
表面的な一部分についての事で大騒ぎをしているようにしか見えない。 
 
そしてSNSでの情報はもっとエキセントリックに変化する。
 
だから、
問題はそこですか?
って思ってしまう。
 
裏も取らずに条件反射で情報発信する個人をどうこう言う気は無いけど、
集団的自衛権の解釈についての閣議決定が出された後、
徴兵制が始まるとのデマが流れた事は記憶に新しく、
モンスター化した情報に、悪意を絡めた操作が見え隠れしてくるのは
実に気持ち悪かった。
 
何だろうね、この違和感。
 
 
論点が違う
 
最近の報道は
稚拙を通り越して罪深い行為に見えてくる
 
そういう、なんともモヤモヤした気持ち悪さ・・かな。
 
 
4979Dcm
 
 
集団的自衛権とは
国連憲章に謳われた独立国家が持つ権利として
第二次世界大戦後に確立した考え方による権利、と言っていい。
 
それまでの時代は、独立国家の権利として個別的自衛権は認められていたのだが
その結果は歴史が証明する通り、軍拡の道に繋がってしまった。
 
そりゃそうさ。
自分の国は自分の力だけで守る、というのが個別的自衛権だから、
全世界のどの国が攻めてきても守れるだけの軍備が必要になってしまう。
 
その上、軍拡を進める近隣他国の姿が見えれば
疑心暗鬼に陥り、やられる前に潰してしまえ・・という発想も
軍部の中に生まれてきやすくなるワケだ。
 
そんな時代に起きた第二次世界大戦のような事態に二度と陥らないよう、
国際連盟が招いた大国の脱退も起きないよう色々の方法論が採られ、
なかでも「集団的自衛権」は
独立国家の権利である旨を国連憲章第51条に規定して
国際法上承認される事が、確認された。
 
これは、国際連合に所属する国家が紛争に巻き込まれた場合、
国際連合に所属する他の国(紛争当事国は除く)が協力して紛争を集結させる
という意味合いもあるのだが、
同時に軍事同盟等による集団的自衛権の行使も
国際連合はその権利を害さないという規定としても、盛り込まれている。
 
 
って話になると、わかりにくくなってしまうよね。
 
要するに、国際連合は集団的自衛権の上に成り立つ組織であり、
所属する国には、当然に集団的自衛権の行使が求められるという事だ
って言えば、乱暴だけどわかりやすいだろうか。
 
 
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大事なのは「自衛権」という権利の事。
 
間違っても「集団的他衛権」では無いって事。
 
どの国も自国を防衛するために持つ権利として
行使するって事。
 
そしてこの集団的自衛権が日本にもある事は
大戦後の日本が独立する際確認されているし、
この権利があるからこそ他国の軍隊(米軍)が駐留し、
日本の国防に関われるのだ。
(集団的自衛権無く他国の軍隊が駐留し国を守っている状態は、占領下と言える状態)
 
つまり日本は、既に集団的自衛権を行使している、
と言っても言い過ぎではない。
(1951年の旧安保、1960年の新安保でも集団的自衛権を
 制限的に保有・行使できるとしている)
 
そして集団的自衛権を行使しているからこそ、
個別的自衛権の行使手段として持つ自衛隊の規模が
必要最低限であっても事足りているのは、紛れもない事実だと思う。
 
 
一対一の戦争はそれぞれの国の軍事力に影響されるが、
一対集団の戦争が起きにくくなる事は、子供でもわかる道理だ。
 
そしてNATOやワルシャワ条約機構ができて集団的自衛権の行使のもと
冷戦が終結に向かった事実は、集団的自衛権の行使が抑止力になっている事を
証明している。
 
だからここで今の
「集団的自衛権の行使=他国との戦争」
という論調に、異を唱えたい。
 
自分の国を守るために集団でその侵略者に対抗するのが、
集団的自衛権の行使。(その方法は武力だけに限らない)
 
他国へ戦争に出かけるのは集団安全保障であり、
(国連決議に基づいた連合軍へ協力し派兵する事)
集団的自衛権と混同するのが間違いなのだ。
 
そして憲法解釈の変更を閣議決定した、というのも、
実は1972年(田中角栄政権)の時点で出ている解釈(政府答弁)に基づいて
アップデートしただけ。
だからこそ、閣議決定のレベルで進めたって事でしかないのだ。
 
  
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なにか、感じませんか?
 
どこかのマスコミが、
集団的自衛権とはそもそもこういう物ですよ・・と
定義し解説した上での報道を行っていた記憶が、ありますか?
 
 
現在のマスコミの欠点は、ここにあると思う。
 
報道する物をちゃんと調べず(調べたかも知れないけど)
センセーショナルな表現を、浅はかにも連呼するばかり。
 
問題点をわかりやすく解説した上で、
事実を報道し状況を解説するというスタンスは
残念ながら殆ど無いと感じている。
 
それじゃ、
不快感ばかりが募るよね。
  
そして、嘘を嘘で塗り固めるような体質を持つ報道などは
見るに値しないものとして、区別するようになる・・と。
 
 
なんだか、怖い時代になってきたものだよね。

69年

マスコミの報道が地に落ちた事は周知となったが、
情報を鵜呑みして疑わない今の人達にも
問題はあるのだと思っている。
 
そんな人間を作り上げたのは、
たぶん、戦後の教育の為せるワザ。
 
記憶力が良い人間が良い点を取るような教育は
物事を考える力を伸ばすとは思えないし、
与えられた情報が正しいかどうかを考える訓練をさせないから
間違った情報も正しいと思い込む人間ができあがる。
 
そして権利を主張する事は刷り込んでも
義務の上に成り立つ事や物事の多面性は積極的に教えない。
 
その上今は、プッシュされる情報のシャワーに
疑い深い人さえ感情のコントロールをされてしまうのだから
今の世論の流れは、とても稚拙で恐いと感じている。
 
 
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資本主義は
儲かった者が勝つ社会だろうか?
 
儲けるためには何をしても良いのだろうか?
 
食べたら害がある物でも
コストが安いから使うのか?
 
なんて事が、ウェブ発信から明らかになっていく今。
 
テレビや新聞が流す報道は、
裏取りの甘さが素人でわかるレベルに落ちて、
既に死に体になっている。
 
そして、個人的見解に彩られた情報には悪意が忍び、
発達したウェブ情報網がそれを増幅して、
時には実力行使に繋がる「情報の暴力」と化す。
 
 
8645D
 
 
8月は、日本が2回の原爆を受けた月だ。
 
無条件の殺戮が行われ、
69年経った今でも苦しんでいる人がいる。
 
その当時、これほどまでにも忌まわしい兵器である事が
わからなかったから使ったと言う説もあるが、
それこそどこかの新聞社と同じ詭弁に、聞こえてしまう。
 
放射能の怖さがわからなくとも、
その強大な破壊力が非戦闘員を巻き込む殺戮になる事を、
十二分にわかって使った事は誰にでもわかる事なのだ。
  
 
社会派と言われるオリバー・ストーン監督は
大学を中退し21歳に志願兵としてベトナム戦争に参加し、
15ヶ月間最前線で戦った。
 
その時の体験を元に「プラトーン」を制作しアカデミー賞を取り、
トムクルーズが主演した「7月4日に生まれて」で
ベトナム帰還兵の苦悩を表現して再度アカデミー賞に輝いた。
 
その「7月4日に生まれて」の中で誤射により一般市民の母子を殺害
するシーンがあって、「とんでもない事をしてしまった」と
兵士達が慌てるシーンが描かれている。
 
実際に戦場に行った彼が体験から描いた物である事を考えれば、
同じ米軍が広島で16万6千人、長崎で14万9千人を一瞬で殺戮した事が
どれほど罪深い行為であるかは、わかっていたはずだ。
 
でもそれを実行できたのは、当時の米軍の感覚として
日本人は人間扱いされていなかったのだろうと、邪推してしまう。
 
 

8186Dcm

 
 
不特定多数の人達に向けて発信する情報には
踏み越えてはいけない表現がある。
 
裏付けも必要だ。
 
だからマスコミは、
本来一人で情報を作り上げる事はせず
幾つかのチェックを受けてから、発信する。
(・・・はずなんだが)
 
だが、個人が発する情報は
得てして主観的で裏付けも弱く
感情的で扇情的、そしてそれ故魅力に溢れているものだ。
 
例えば今の集団的自衛権について、
多くの人が主観的な感情論で語っている現実を見ると
その危険性を強く感じてしまうのだが・・・
 
国という物を考えたら
必要なものは用意しなくてはならない。
 
ただ、先手必勝とわかっていても、
日本は先手は取らないと誓った国でもある。
 
多くの犠牲と、 
将来の国のために命を投げ出した人達がいて、
今の平和がある事を感謝して、
今の日本を守る事が生き残りの義務だと、思う。
  
そういう意味で今、溢れかえる情報を見ていると、
大切な事を忘れていませんか?・・・と問いかけたくなるんだけど、
その言葉が通じる自信が持てそうにない。
 
それが最近一番の恐怖だと感じている。

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