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2011-10

5年越しの衝動買い


 
 
我々にとって、革製品は大事な装備。
 
特に革ジャンや革パンは
格好より性能を選ぶ事になるものだ。
 
だが、機能重視で選ぶと、
日常的には使用が難しい事にもなるので、
日常用の物は若干穏やかな物を選ぶのだが、
でも、やっぱり・・・素材を選んでしまう傾向にある。
 
ライディングギアとなる革ジャンは、
それぞれが拘って選ぶ物だけど
私はショットのライダース(618)を使っているけど
さすがにこれを街着にする勇気は無い。
 
何故って、固くて重くて、
しかも決して暖かくはない・・と来るからだ(^_^;
 
だから街着用にはアビレックスのトラッカー辺りを使うか、
CWU-45Pやダウンジャケット、N3-B等の出番となるが、
でもそこは、革ジャン好きな人間としては悩ましい所でもあった。
 
で・・・
ショット製のボンバーを狙っていたのだが、
身体に合うサイズと革の質が今一つマッチしないまま
毎年購入を控えてしまった歴史(大げさ)がある。
 
ある年は革が固くて腕が長い。
ある年はサイズはピッタリだけど革が柔らかくて薄い。
ある年はそもそもサイズが無い・・・
という具合だったのだ。
 
 
ところが、懇意にしているショップに顔を出してみると
ボア襟とライナーを外せるタイプの革ジャンが、入荷していた。
 
革は、ライダースに使われるような固さ&厚みを持つカウハイド。
(でも618よりは薄い)
銀面は写真のように美しく、ボアはアクリルではあるけど
毛皮では無い分メンテナンスに悩まなくて良い。
 
では、と試着してみると・・・
 
ジャストサイズだ(^_^)
 
 
革の質感も良い。
コストは?
 
タグに表示が無いなぁ(・.・;
 
 
どうしようかな、と悩みながら
陳列棚に返そうと思ったら衣紋掛けが無い。
 
う〜ん
ずっと欲しかったヤツだし
スペシャルメイクじゃ無いから二桁万にはならないだろうし・・
 
そもそも、試着したら返せない状況になってるって事は
買えって事ですかね(爆)
 
 
と悩みながら店主にコストを聞くと、
まぁ許せるレベルだった。
  
 
 
という事で、5年越しの衝動買いっす(^_^;
 
 

 
 

 

misfit


 
 
某SNSに招待を受けて
昨晩登録をしてみた。
 
友達の友達を繋ぐ機能があって
自分のプロフィールからの属性も設定されて
あっという間にリンクが繋がっていくのだが・・・
 
正直言って、
SNSの魅力が理解できていない。
 
まぁ、広い意味で言えばブログだって、
SNSの1つと言っていいのだけど、
大きな違いを感じるのは
誰を相手にしているかがある程度限定されていながら
公開されるという状態、だと思う。
 
なんか、ね。
生理的に受け入れ難い(^_^;
 
 
個別に情報交換するならメールの方が良いし、
不特定多数向けならホームページもブログもあって、
そこには確実に固定リーダー達がついていて、
だから友達の友達が知り合いであったとしても
敢えてその人に「ご挨拶」差し上げるのも自分のブログを晒すのも
悩ましいな・・と思う。
 
勿論、利点は認めるし、
1つの社会としてできあがってる事も理解するし、
アカウントを持っている意味はわかるんだけどね。
 
 
ホームページは、
不特定多数向けに書いていても
表現を楽しめる人だけ来てくれれば満足だし
その表現も極限られた人にわかってもらえば良いと
実にワガママに発信できるツールとして使っている。
 
違う用途を満たすためにブログも使っているけど、
用途に限定した使い方であって基本スタンスは変わっていないから、
発信する側として楽な部分が大きい。
 
SNSは、そこに登録されている人に向けた書き方をしないと
ダメな感じが強くするので、今回はMC絡みをメインにリレーションを
設定したけど・・・・・
 
この、気持ち悪さと違和感、
感じてしまう私が古いのか、
そもそも感性が違う世界に踏み入ったのか?
と悩んでいる。
 
 
例えばね。
 
このリレーションや個人情報を置いていて
そのデータをハッキングするなんて
今の技術じゃ簡単な事だとすれば、
社会の感情をコントロールしたい政治家が
国家レベルで仕掛けたら実に恐い・・と思うわけで。
 
で、一度は書き込んだプロフィールの殆どを
削除する事にした。
 
個人情報が見えなければ知らない人は入って来ないし
どうしてもコンタクトしたい人は入ってくるだろうし
アカウントだけ保持していれば、普通のブログと変わらないしね・・・と(^_^;
 
 
やっぱ自分
ひねくれ者なのかもね。
 

オリジナルジョーズ、お前もか。


  
 
昭和の顔だった人が無くなったり、
昭和の風景を象る物が無くなったり・・と、
寂しい気持ちにさせられる事が多くなった。
 
最近ではジョーちゃん(柳ジョージ)が死んで、
横浜らしいアーチストの喪失に悲しくなっていたのだが
そんな流れは止めようが無いものらしい。
 
 
実は・・・
 
横浜ホンキートンクブルースで謳われた
「オリジナルジョーズ」が
今月11日に58年の歴史に終止符を打っていた。
 
 
夜だけの営業で頑張っていた同店が、
いつの間にかランチ営業を始め、
心の奥底で営業難である事を想像はしていた。
 
だが、58年の歴史。
横浜の1つの顔。
 
食文化を超え横浜文化にも昇華したような店だから
愛する人達が通って支えると思い込んでいた。
 
 

 
 
勿論、閉店の理由を聞いたワケではない。
「ジャックス」のように様々な理由が重なった・・
という事もあるだろう。
 
だから飲食店に厳しい時代を恨むのは筋違いだと思うが、
飯を食うなら「オリジナルジョーズ」なんて聞いたふうな事をぬかすのは、
もう有り得ない現実は、やっぱり切ない。
 
 

 
 
文化を守ろうと思ったら
支える気概と実行が不可欠だ。
 
街を象る存在となったら
その存在も支える側も
次世代に渡す意味と意義を理解しなくては
いけないのだろう。
 
ふっと気づけば、
「横浜」は多くの「らしさ」を失っている。
 
「らしさ」を大切に生きるには
生き方を問われる事になるから面倒だけど、
拘れば認めてもらえる土壌を支えるのは
やっぱり市民の理解だと思っている。
 
 

 
 
ある意味、横浜らしさを背負って生きる兄弟達が、
拘るのはその生き方のみ。
 
でも、記号であり、形であり、
横浜らしさでもあり、格好悪さでもあるけど、
オリジナルである事は価値なのだ・・と思い知る。
 
 
あなたの影を探し求めて
ひとり彷徨っても
失われた街しか映らない・・・のなら
 
グラスに佇む過去の色を飲み干しながら
何をすべきか・・・を考えますかね(^_^;

不眠症の薬

 
  どうにも寝れない・・と
  夜通し営業するバーへ行く。
 
 
  既に終電が終わった時刻。
  駆け引きを終えたカップルは、店から消えていた。
 
  静けさが漂う店内で独り
  酔いの世界に浸る事にする。
 
 
  バーテンダーはこんな時、
  こぼれる独り言に反応しない。
 
  低めのボリュームで流れるジャズが
  きっと眠気を誘ってくれるはず・・と
  ハードリカーを流し込む。
 
 
   日々、どうにか生きているよ。
 
   贅沢では無いけど、
   食べる事に困らない程度の暮しは
   自らの力で手に入れているからね。
 
   でも
   しょうがないよ。
 
   これは病気なんだ。
 
   眠れないのは孤独だからではなくて
   孤独だから考えが悪い方へ向かうだけの事。
 
   わかった顔をされるより孤独でいた方が楽だ
   と思う自分には
   そこに寄り添う寂しさを受け入れて生きるクセが
   染みついているのさ。
 
 
 
  外は雨。
  傘は無い。 
 
  ショットガンを3杯キメても冴えまくる頭には
  カスクストレングスのアイラモルトとロンドン・ジンの1対1
  「ロング・アンド・ワインディングロード」を流し込むしかないのだろうか。
 
 
   「口を開けちゃったシャンパンがあるんで
    飲みませんか?」
 
   「え? シャンパン?」
 
   「えぇ。
    マムですけど。」
 
   「珍しいね。」
 
   「お客様に頼まれていて『シャンパンカクテル』を作ったんですが、
    ウチじゃぁ、グラスシャンパンにしても売れないんで、振る舞っちゃいます。」
 
   「シャンパンカクテルってカサブランカの?」
 
   「えぇ。
    定番の口説き用カクテルですけど、楽しいですよ。」
 
   「じゃぁ、久々に『シャンパンカクテル」飲もうかな。」
 
 
 
  バーには酒という相手がいて
  バーテンダーは今宵の相手として紹介してくれるものだった。
 
 
  ハンフリー・ボガートは「君の瞳に乾杯」と言ったが、
  私は何と言おう・・・かな。
 

 

Regeln


 
 
組織にはルールが必要であり
その定めに従って動く事で
組織は存続していく事が可能となる。
 
これが会社という単位になると
会社のルールの他に法律という厳しい定めもあって
組織を動かしていく立場の人間は
嫌でもそれらに精通した上での判断を求められてしまう。
 
 
そう言えば我がMCにも
明文化されていないが掟があって
その掟を無視して動く事は
組織から外れていく流れを生みかねない。
 
その中の1つに
「名前を尋ねる時は、必ず自分が名乗ってから行う。」
というのがあるが、
ある意味礼儀的にも当たり前な所作であって
かつ独特のフィルターとしても機能するものだ。
 
例えば
「俺はケンタウロスだが、お前、名前は?」
と、看板を背負っている時、尋ねられる事がある。
 
その場合、丁寧に対応しながらも、
掟に従わない理由を探る事になるが、
そもそも流儀に従わない問いかけには「応えない」という掟もあって
「申し訳ありませんが、名乗る必要はございません。悪しからず。」
と返す事になる。
 
相手が酔っていたりすると、しつこく絡んでくる事になるが、
「ボスからの指示に従っておりますので。」と相手にしないで
やり過ごすワケだ。
 
で・・・
 
掟をわきまえている兄弟であれば、
その言い方にも仕掛けがある事はわかるし
そもそも「ケンタウロス」を語った場合は、
もっと大事な掟があるので
その場はともかく、別の動きが始まる事になる。
 
 

 
 
最近、掟破りな動きが多く、
「守っている人間が馬鹿なんだ」と
言われているような気分にもさせられがちだが
私は「私の生き方」という掟に従って、
生きる事しかできない。
 
法人であれば法律という決まりもあって、そう酷い事にはならないが、
個人的な付き合い、プライベートで関与する組織等では、
感情的なぶつかり合いが先立つので面倒な事になり、
そんな流れも、疲れを加速させるのだろう。
 
 
簡単な事さ。
 
嘘をつかない。 
決まりを守る。
問題を隠さない。
 
それくらいの事さ。
 
それが簡単だけど難しいのは
世の中がちょっと利己的に動きすぎ・・・
という事なんだと思う。
 
 
守るのは何だろう?
 
愛する者や家族、仲間、
大きな意味では、「国」ではないのか?
 
それ以外のモノを第一に守る、
と考える人が多いのなら、
それはとても、悲しい事だね。

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