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2017-03

59

毎年、誕生日に書いているけど、
今年はちょっと特別な日に感じてしまうのは
やっぱり59歳という年齢だろう。
 
会社員人生最後の年度に、いよいよ突入するとなると、
その後の生き方を考えざるを得ないからだ。
 
時代は既に、希望者全員を65歳まで再雇用する事が当たり前になっていて、
所属する会社も労基署の指導もあって、同様の就業規則に変更済み。
 
ただ、同一職務であっても同一賃金にはなりにく風潮がまだ強く、
会社がどう考えるかも不明のまま。
 
そういう意味では、相変わらず先が見えないままの道行きとなるが、
まだ1年、今の立場を全うする事が最優先と考えている。
 

今までとは違う世界を、違う視点から見て動いた1年は、
何らクリエイティブなモノが無かった前職に比べて、
実に楽しい1年であり、経験した事がないトラブルも起こし・・と
なかなかエキサイティングでもあった。
 
1年かけて蒔いた種は、着実に芽吹いていて、
種を蒔く行為に注目を集めても、今はじっと待つ時期でもあるから、
少しだけ平穏な日々を過ごすように努めている。
 
と同時に、徐々にではあるが、
フェードアウトする動きも加速を始めた。

気がついたら居なくなっていた・・という感じで、
日々の一つ一つを大事にしつつ、
自分らしく、ちょっと自己中に生きていきたいから、
そのための準備をは粛々と進めるだけ。
 
しかし、自分がこんな歳になるなんて・・って思ってるし、
感覚的には何も変わっていない、とも感じている。
 
ただ、身体だけは、今までの酷使でだいぶ壊れてしまったから、
やっぱり59歳なのだな・・と思い知ったりも、すると。
 
来年、還暦を迎えるって・・・
恐いわ~

6年

職場で黙祷をした。
 
あの日を思い出す。
 
仕事でパートナー企業と
険悪な空気さえ纏いながら会議をしていた時、
あの地震がやってきた。
 
揺れは長かったけど、
交通機関は復活するだろうと楽観し、
開かなくなったドアを突破したり、
落ちた諸々の物を片付けたりしながら、テレビ中継を見る。
 
映画のような津波の映像が繰り返し流され、
凄い事態になった事だけは理解したけど、
とにかくこっちは、客を帰す業務に走り回る。
 
そして客が全部帰って、
事務所もあらかた片付いたところで会社を出ると、
交通が完全に麻痺していた。
 

 
いや、交通だけじゃない。
携帯もパンク。
 
行き場の無い人達が、飲食店で順番に食事を摂り、
繋がらない携帯で、何度も連絡を取ろうと足掻いている。
 
 

 
 
徒歩で帰宅する人。
自転車屋に飛び込んで自転車でピストン運送をした人。
帰るのを諦めて、駅の通路に座り込む人。
 
頭の中で、繰り返し流された津波の映像が浮かびあがり、
混乱を極める駅前の写真を一枚撮った時、
身体が震えて止まらなかった事を、思い出した。
 
地震国に生まれて、
逃げられない事はわかっているけど、
だからこそ、皆で支え合う気持ちが大切だと、
今更ながらに思う。
 
誰かを支えることは、自分を支えること。
 
生きていることに意味なんて無いけど、
社会の一員として生きている以上、
誰かを支え、誰かに支えられて、生きているのは間違いない。
 
ただあの日、
仕事で厳しい論戦を交わしていたパートナーの一人が、
既に国替えをしている事実に、時の流れの早さを感じてしまう。
 
 
 
 
 
もう6年。
まだ6年。
 
でも、6年後、
自分はまだ、
こうやって生きているのだろうか?
 
そんな事を考えながら、
今日も客が入る施設で仕事をしている。

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