- 2018-03-10 (土) 10:00
- 日記的雑感
国花と言えば桜と菊。
菊は皇室の象徴でもあるため、どちらかと言えば桜がイメージしやすい。
大島桜と江戸彼岸の交配によりできた染井吉野は
現在日本ではもっとも有名な桜ではあるけど
その全てはたった1本の桜のクローンだという事がわかっている。
韓国の済州島に咲くエイシュウザクラは染井吉野の起源と言われた事もあったが、
瀛洲桜(エイシュウザクラ)は江戸彼岸と大山桜の種間雑種であり
染井吉野は江戸彼岸と日本固種である大島桜の種間雑種の雑種である
との論文が出され、科学的には似て非なる物として現在は考えられている。
でも、正直言って、花の色や枝振り等に大きな違いが無ければ
自分には同じ桜として見てしまう。
自宅前にあった一軒家に咲いていた桜は、
染井吉野より1〜2週間早く咲き、散るのにも時間がかかる
見事な桜だった。
その桜が葉桜になりだす頃に、近くの公園の染井吉野が一斉に開花する。
すると、窓には幾重もの桜が見える贅沢な借景が楽しめたのだが、
ある日その桜はばっさりと切られ、そこには3階建て住宅が建築された。
その結果、遠くに見えた公園の桜も見えなくなり、
春の一時の贅沢は夢幻となってしまう。
日本人は桜を心待ちすると言われるけど、
実際、桜をどこか心待ちにする気持ちが自分にもある。
窓から見えたろう桜が今は黒っぽい壁になってしまって
寂しい気持ちが訪れる春になってしまったのだけど、
ならば美しい桜を撮るのも良いな、と、昨年はしっかり撮影してみた。
枝垂れ桜は江戸彼岸の枝垂れ品種と言われているけど、
この桜は1993年に仙台から移植された物と聞いている。
山下公園にこんな桜があると知らなかったのは、移植された時期には
山下臨港線の高架が残っていて目立たなかった事と、
そもそも桜を見るなら山手でしょ?ってイメージが自分にあったからだろう。
染井吉野よりは早く咲き、その花は長めに咲き続けるので、
旅行者が山下公園で桜を愛でるには良い選択だったのかも知れない。
ぱっと咲いてぱっと散る桜は
義のために命をかける武士の生き方や、
死ぬ事が武士道と言われるが故に潔く散る桜の様をなぞらえるが、
花は散っても木は残り、また来年再来年と新たな花をつけていく姿は
どこか庶民の暮らしを想像させる。
だからこそ、花は美しくあって欲しいし
その花を咲かせる社会は、美しさより強かさが大事なのだ。
昨今、政治の世界や社会の流れが、
表面的な視界でしか動いていないように感じるのは、
花の美しさだけを見続けたいと願うような無理を
深く考えずに信じる人が増えたという事なのかも知れない。
育ち過ぎた枝垂れ桜は、
枝を支えてもらわないと自立できない状態になるが、
名木とされると折れる事も許されなくなる。
美しく派手な姿を維持するよりも、
花をさかせる木の方を大事にすべきと思うのだが、
それでも時に、花に目を捕られてしまうほどの美しさは
人を惹きつけて放さない魔力を持っているのだろう。
今年もまた、桜を撮ろう。
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