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2010-09

笑う門には福来たる

 
ちょっと殺伐とし過ぎる世の中だから、
つまんない事も、面白くない事も、
全部まとめて笑い飛ばそう。
 
負けるが勝ちという言葉がある。
 
頭を先に下げちゃった方が、
結果的には有利に物事が動く事もある。
 
下らない覇権争いに勝っても、
孤立したならそれは「負け」と同じ事。
 
そして、
名を残す為に命をかける文化を持つ国の人間としては、
自らの行動にこそ内なるプライドを持って生き、
外に向けては笑顔を持って生きていきたい。
 
 
そんな事を思う夜、
いつものように優しい顔を、月は見せた。
 
明日はずっと、
笑顔でいられたらいいね(^_^)

やっちゃいけない事

世の中には「やっちゃいけない事」がある。
 
それを守れないヤツは、
やっぱりどっかでそれなりのツケが回ってくる。
 
だからって事じゃないけど、
最低限の事は、襟を正そうよって言いたいね。
 
 
例えばあの「検事の証拠隠滅疑惑」事件だ。
 
警察が泥棒をやるよりも悪質な犯罪。
 
無罪の人を1年3ヶ月も拘留し、
その根拠は立件する為の自作自演だった・・・というのなら、
誰だって極悪人にさせられてしまう可能性があるって話だ。
 
 
検事は1人1人がかなりの特権を持ち
組織だった悪巧みを必要としない権力を持っている。
 
だからこそ、自分を律する力が問われるはずだが・・・・
 

 
会津藩の教育組織に「什(じゅう)」という物があったが
その掟の中には
 
「虚言を言うな」
「卑怯な振舞をするな」
「弱い者をいじめるな」
 
という生き方の基本になるような教えがあって、
最後に「ならぬことはならぬものです」と諭しがある。
 
人を罰する権力を持つのなら、
せめて上記の3つと「ダメなものはダメ」と自分を律する力を持って、
本当の被害者に代わって罪を与える立場として、生きて欲しいと思う。
 
 
 
あ・・・
 
そういえばコレって
この事件だけに限った事じゃないね。
 
世の中には似たようなご都合主義が多く有りすぎて
「お前らだけはそんな事しないでくれ」って言う方が、馬鹿なのかも(^_^;
 
 
でもさ
その掟を守れるヤツは、
きっと格好いい・・・と思う。
 
私には「卑怯な振舞をするな」が辛うじて守れるかな・・・って感じだけど、
いつも心に持っていたい「掟」だとも思っている。
 
やっぱり、自分の生き方こそ
自分に対して格好つけたいもの、だしね。
 

始動

 
          自分の中で、
          自分でしかできない事を、
          何年かに1度、やってきた。
 
          その際、ちょっと無理をした反動があって、
          ここのところ大人しくしていたんだけど、
          その代償については無事完済を果たした。
 
 
          さぁ、次だ。
 
          向かう場所はまだよくわかってないけど、
          前へ出ないと何も始まらない。
 
          という事で、
          徐々に始動です(^_^)

休みたい

とりたてて派手では無く
その存在に必要性も無い。
 
でも、間違いなく、
そこに無くてはならないモノ。
 
そういう存在はある。
 
派手にわかりやすく、
存在をアピールするのが「今の形」なら、
無くなって初めてわかるような存在は、
古い日本的な美意識の具現、なのだろう。
 


 
 
どちらかと言えば私は、
派手に自分を見せるような演出は苦手で、
わかる人にだけ気付いて欲しいし、
言葉が通じる人とだけ、話をしたい人間だ。
 
で、何も変わらずにいる事を信じてもらえなくても、
何も変えずに生きる事でしか、
自分を信じる事ができない人間でもある。
 
 
嫌いな事、苦痛な事、
自分の存在を喪失させるような扱い、
それらに耐えるには、限度がある。
 
そんな事を改めて確認するような出来事は、
心の中に隔離した攻撃性を、徐々に解き放っていく力に溢れている。
 
 
 
少し・・・
休みたい、ね。

Torheit

 
     何かがあった時、自分の事を最初に考える。
      
     全ての事は自分があって認識できるのだから、
     それは当然の事だと思う。
      
     しかし社会の中で生きる以上、自分の事だけを考えて動いていれば、
     いずれ社会から弾かれてしまうのは当然の帰着、だと言っていい。
 
     何故ならそれは、
     社会が複数の人で成り立っていて
     個の都合だけでは動かないモノ、だからだ。
 
 
     他人と上手く付き合う為にテクニック的に飾っても、
     相手の立場に立って想像する考えが無ければ、
     気持ちを伝える事なんて無理な話。
 
     勿論、それに勝る魅力があれば、
     相手が勝手に気持ちを想像して近寄ってくれるモノだけど、
     その魅力は、永遠に存在するとは限らない。
 
     だからこそ人は、自分の持つ理想に向かって努力するし、
     その魅力を社会の中で発揮し認められてはじめて、
     その努力が報われるのかもしれない。
 
 
     先週、私は、激怒した。
     瞬間的に思考回路が閉じる程の激怒を。
 
     それを説明する事は語弊があるのでしないが、
     あまりに自分勝手で思いやりの欠片もない言葉を、喰らったのだ。
 
     その怒りの大きさに自分自身が悩むほど、
     何故自分がそこまで激怒したか想像できないほど、
     その言葉は有り得ない一言だった。
 
 
     まぁ、
     社会には、色々な人がいる。
 
     今さら驚く事も無い。
 
     でも・・・
     それでも・・・
 
     程度問題ってのは、あるんだね(^_^;
 

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