Home > アーカイブ > 2016-03

2016-03

58

今日、58歳の誕生日を迎えた。
 
去年のテーマは「役目を考える」だったけど、
考える暇も無いほど、物事は大きく動いていた。
 
ただ自分自身は、
会社の内部を見る仕事に就いたまま8年弱を過ごし、
大きな動きも、内部からの風景しか観察できないでいた。
 
物を言わぬ数字との会話をする毎日に飽きていても、
長く続いてしまった今の仕事。
 
他に担当する人がいなかったから、
このまま定年を迎えるまでは頑張る、と覚悟もしていた。
 
しかし、有り難い事に、
そんな内向きの仕事から異動できる事となる。
 
新しい仕事は、
公共施設のトップという位置付けでの仕事。
 
つまりこれからは、
ユーザーや他社の人達と、相対する仕事になっていく。
 
 
という事で今年のテーマは
「スクラップ・アンド・ビルド」
という事になるのだろう。
 
 

2486Dcm

 
  
自分がここ8年間持っていた思考方向を捨て去り、
新しい形を模索しつつも、今まで培った諸々のものを
どう生かし、どう反映させつつ、新しい物を作り上げていくか。
 
それは、2年間という限られた時間の中で
まずは形にしていく事を目標にフルスロットルで走り抜ける事を、意味する。
 
とは言えもう、身体は気持ちに追いつけない状況ではあるので、
実務と言うよりも「指示を出す」という仕事になろうが、
正にそんなポジションで新たな仕事を迎える事は、なんと幸運な事であろうか。
 
 
振り返ってみれば、
異動先は誰も担当した事がない仕事だったり、
トラブルが起きている現場だったりで、
気分としては「切り込み隊長」という感じが多かった。
 
そしてそれを孤軍奮闘で切り抜け、
やっと落ち着いて楽ができる、と思う頃に、
自分では有り得ないと思い込んでいた別部署へ、異動となる。
 
それが自分の役回りではあったのだけど、
今回はチームを引き連れての異動となるので、
やっと隊長らしくしてもらえた、って事らしい。
  
 
チームの合い言葉は
「何か楽しい事、やろうぜ」 

そう
自分達が楽しめていない仕事は、
ユーザーにとっても楽しめない仕事に、なりやすい。
 
だから、
単なる遊びではなくて、
「楽しみを分かち合える仕事」にしていきたいと、
切り込み隊長は考えているのです。

いろは歌

1028D
 
 
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢みじ 酔いもせず
 
真言宗の法要の際行われた法話の中で
この「いろは歌」について説教があった。
 
大般涅槃経にある 
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
を日本語にわかりやすく翻訳したものが「いろは歌」であるようだ。
 
自分の家が真言宗であり何度か法話も聞いてきたけど、
「いろは歌」が弘法大師作と言われている事や、
そもそも経文であったという話を聞くのは初めての事。
 
弘法大師は、
諸行無常は道理であると前半で示し、
有為(苦しみや悩みに満ちた現実世界)をよく見極めて
それを乗り越える決心を先延ばしにせず悟りの世界へ向かえと呼びかけ、
今ある楽しさや甘さに浸って快適な生活に酔いしれている間に
若さも豊かさも楽しさも儚く消えてしまうから、
早く仏がいる無為(悟りの世界)に向かう決心をするよう説いた、
と説明された。
 
日本人が当たり前に持ってきた無常観や、
悟りへ向かう考え方の基本を育てたのは、
間違いなく仏教だと思う。
 
そして、慈悲の心を持つ大切さを、
因果応報という教えの中から導いたのも
やっぱり仏教だったように感じてしまった。
   
 
2699Dcm
 
  
気づけば、
「今、一時の楽しさは何時までも続かない」
と思わされる日々が、続いている。
  
でも、だからと言って不幸であったかと言えば、
そんな事は無い。
 
長い目で見てしまえば、
全ての現象には必然と調和があって
視点を変えれば幸せは誰にでも感じられる、
と理解することが経験によってできたから、だ。
 
それでも、
瞬間的に訪れる痛みや苦しみを感じないでいる事はできないし、
心の拠り所が見えなくなれば寂しさに潰されそうにも、なる。
 
もう少し鈍感であれば楽だったのにね、と思う事もあるけど、
鈍感では無い部分があったから切り替えてこれたのも事実なので、
そんなところでもバランスされてしまうのが人生なのかも知れないね。
  
 
先の不安を多く抱えていても、
目指す場所が見えているのなら、それは幸せなこと。
 
すぐに辿り着けなくても自分の速度で確実に向かえば良いのだし、
目指す場所へ真っ直ぐ向かう人には、その時その時に必要な道が現れ、
分岐点に差し掛かれば道標を担う人が待っているものだ。
 
問題は、
その「道」と「道標」を見落としやすい、
という事だろうか。
 
  
欲や怒りで我を忘れる時には迷子となり、
その時に受けた傷の痛みは
自我を取り戻すまで気づけない、とさえ思う。
 
目先の快楽や形だけの贅に踊り、
今居る場所こそが最高なのだと思い込むことは
百害あって一利なし。
 
とわかっていても、
欲界から抜けられない自分は、凡人なんだけどね(^_^;

Home > アーカイブ > 2016-03

検索
フィード
メタ情報

Return to page top