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2017-10

やばいな

世の中には、生きづらいと感じながら
毎日を過ごす人がいる。
 
間違い無く自分も、その一人だ。

毎日がブルーマンデーで
毎夜が恐怖。
 
酔えば醒めたくないし、
寝ても覚めたくない。
 
どんだけ怠惰なんだろう?って思ったりもするけど
ストレスフルな毎日には、
そうやって少しでも自分を救う気持ちを否定しないで持たないと
たぶん、生きている事その物が嫌になってしまう。

だからそんな毎日を笑い飛ばすクセすら、
ついてしまったのだろう。
 
  

 

情報が少なかった時代に育った自分には
そんな人達が少なからず存在している事を、知る術がなかった。
 
学校で、クラスの誰もが持っている表情を理解する能力が
自分には無いな・・と気付いたのは、小学校4年の頃。
 
同時に、自分の感情は
わかりやすいほど表情に出ている事を
意識したのもその頃だったと思う。
 
そこで自分がやったのは、
とにかく、人と対峙する時のデータ収集。
 
あらゆる事を誰かに投げかけて
その結果を記憶する事で社会に適応できる力を養ったのだけど、
それでもやっぱり、
無意識に他人を傷つける言葉を吐いてしまうのは
この歳になった今でも、ままある事だったりする。
 
だから若い頃は、人との親密な関係を築く事に恐怖を感じ、
笑う事を拒絶するやり方で、人間関係を増やさないスタイルが
できあがっていた。
 
そんな頃、
縁あって今の会社に転職し、
聾唖者のための施設で働くようになる。
 
 

 
 
「おあよ・・・ えん・・き?」
 
と声をかけられて、ぎょっとする。
 
見れば、
満面の笑みをたたえるオッサンが、一人。
 
ほんの少しの沈黙のあと、
自分はあわてて挨拶をしてから、無理に笑みを作っていた。
 
 
そうだった、
ここは聾唖者が職員として多く働いている施設だった。
 
彼は私を見つけて、普通に挨拶をしてくれただけで
自分の言葉が不完全な事を知っているから
それを笑顔というツールを使って補完しているのだった。
 
 
どれだけ、
自分は笑っていなかったのだろう。
 
 
毎日、
どう見ても不公平なくらいに起こる不幸をいちいち感じないように、
頭の中にスイッチを作って、辛いと感じたらオフにする生活に慣れる。
 
その結果が、自分から笑顔を奪っていて、
それを知ってても楽だったから、
何の疑問も感じないまま生きていたのだ。
 
でも、この社会では、笑顔は大事な言葉なんだ・・と気付いてから
心がけて笑う事を、笑顔を作る努力を、始めることになる。
 
 

 
 
「あんたが居たから、私は何もできなかった。
 やりたい事は全部諦めて、揃えた道具に全部処分した。
 何故、私はあんたを育てなきゃいけないの?」
 
 
母親は、毎日のように恨み言を言った。
物心ついた時から、それは続いていた。
 
だから自分は、
自分が生きている事がいけないって毎日思っていたし、
八つ当たりに近い体罰にも慣れてしまっていた。
 
例え人間関係が上手く作れなくても、叩かれない場所=学校は唯一の逃げ場所で、
家に母親が帰ってくるまでの平和な時間だけが心安まる時間だったことを、思い出す。
 
 
自分は、生きてても良いんだろうか? 
自分は、誰にも必要とされていない?
自分は、存在する価値もない?
 
 
そんな思いは、子供の頃からずっと持ち続け、
同時に、悲鳴を上げている心に触れると放置できない
という困った感情も育ててしまったが。
 
 

 
 
もともと、逃げる事は嫌いだ。
だけど、自分を守るためには逃げるしかなかった。
 
だから逃げ足は速くなったし、
心を許すような関係はごく限られることになった。
 
 
だから
だけど
本当はもっともっと
楽に人間関係を構築したいし
誰にだって優しくありたいし
自分も素直に出ていたい
 
それでもやっぱり
突然
想いは裏切られることって、ある。
 
 
愛情って
自分より相手が大事に思えてはじめて、
重さを持って育つものだと思っている。
 
その思いの重さに程度はあるし
重さに比例して関係も変わるけど
自分のチームだったり、仲間だったり、
ましてやファミリーだったりすれば、
どれもやっぱり、自分よりも大事に思う気持ちは
ちゃんと存在していたりする。
 
でも、なかなかそんな思いは
届かないのが現実。
 
逆に、思いが届いたことで
相手を苦しめることもあって
時にはそれ死を招くこともあったので
徐々にだけど、子供の時のように、
心を閉ざしがちになってきた、今日この頃。
 
社会との関係が
本人の意思とは関係無い部分で変えられていく時期には
それに対応して、守りにシフトしつつある、という事なのだろう。
 
そう言えば、今の自分、
夢中になれるものが全部消えて
新たに探す元気も湧いてこない・・・
 
やばいな(^_^;

バル

 
 
 「最近、大人しいね」
  
 「そうかな」
  
 「前ならどんどん遊びに来たのに、
  なんかずっと音沙汰無しだし?」
  
 「あ〜、ごめんなさいね。
  結構、今の仕事忙しくてね」
  
 「ふ〜ん」
  
  
そうじゃない。
実際のところは、そうじゃない。
  
誰かと会うとすごく気を遣うし、
そもそも相手の気持ちを想像しないと
恐くて会う気になれない自分。
 
そのためのエネルギーが
最近めっきり減ってしまったのだ。
 
 
 「で、何故、わざわざこの店へ?」
 
 「最近仕事で横浜通いなんだけど、
  駅の手前に女子が集ってる店があるから入ってみたら、料理が美味しいし安い。
  石川町だから来れるだろうと思って、声かけたのよ。」
  
 「ありがとうございます。」
 
 「なんかさ、元気ないじゃん?」
 
 「歳の為せるワザ、でしょ。
  体調だったり意欲だったりが落ちるのって・・・」
  
 「違うでしょ。
  こうやって、誰かと一緒に食べたり飲んだりする事が
  減ってるから・・でしょ?」
 
 
あ・・・
そうかも知れない。
 
勿論、今だって、一緒に食事をする人はいるけど、
自分の好きな物を、一緒に楽しめる人とは、会えてないのかも。
 
 
 「すいませ〜ん!
  スパニッシュオムレツとアモンティリャード2つ!
  あと、ラムを、お願いします!」
 
 「あれ? ラムって平気だっけ?」

 「前はダメだったんだけど、札幌で生マトンのジンギスカン&ビールを食べて
  初めて羊って美味しいって感じてから、もう好物!」
 
 「札幌でジンギスカン食べたら、そりゃ美味いさ。
  サッポロビールも工場で飲んだら、しびれるほど美味いよ〜」
 
 「ちょっと、調子出てきたね。」
 
 「食い意地張ってるんで(^_^;」
  
  
スパニッシュオムレツは、
タパスの中でも好きな物の一つ。
 
野菜やベーコンなんかを入れて焼いた洋風厚焼き玉子って感じだけど、
簡単な様で奥が深いのか、それとも個性を出そうと必死なのか、
色々な店で食べてみてもどれ一つ同じ感じの物に出会わない。
 
 

  
 
あ、見た目は一緒ね(爆)
 
ここのは、ジャガイモの調理が見事で、
厚いのに固くなっていないから、かなり腕が良いと思った。
 
 
 「ねぇ、アモンティリャードってもっと甘くなかった?」
 
 「色で言ってない?」
 
 「あれ?」
 
 「メーカーにもよるけど、辛口に分類されるよ?
  ティオペペとかと同じレベルだよ。甘いのはクリームとかペドロ・ヒメネスね。」
 
 「なんか前飲んだのは、もっと甘かったのよ〜」
 
 「甘いのが良いの?」
 
 「今日の気分はね」
  
  
多分、関係の形は色々でも、
人生の中で、頻度が高く一緒に食事ができる人は必要で、
一緒に「美味しい」と言える事は、すごく大事。
 
酒を一緒に楽しむ事より、
食事を一緒に楽しむ方がより、大切なんじゃないかって思っている。
 
 

 
 
 「これこれ、前食べたら美味しかったの〜」
 
 
 「どれどれ・・・」
 
 
美味い!
 
ちょっと脂身が多い感じもあるけど、火の通し方が抜群。
 
 
 「ここね、ラムはわざわざ炭を使って焼くみたい。」
 
 「あ〜なるほど。
  しっかり火が通っているのに、風味が落ちてないのは
  温度管理ができてるって事なんだろうね」
 
 「美味しいね」
 
 「美味しい! 久々にマトモなラム食べた気がする」
 
 「うん」
 
 
美味しい物を食べて
こぼれる笑みを与え合う時間って
大事だね。
 
よく行ってた店に行かなくなったり、新規開拓をしなくなったのは、
きっとこういう時間を分かち合いたい人と、会えなくなってきたからだろう。
 
今日、一緒に食事を楽しめる時間をくれた人は
そんな私に気付いていたのかも知れない。
 
 
 「でさ、なんか話あった?」
 
 「あったけど、もういいや」
 
 「あれ?」
 
 「美味しいって笑いながら食べてるから」
 
 「そうか。
  で、この後、まだ飲む時間あるよね?」
 
 「飲むだけ・・ならね」
 
 「抜群な更科を食わせる蕎麦屋が、中華街にあるんだけどなぁ・・・」
 
 「飲むだけ・・・・ならね」
  
 

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