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2012-02

Discretion is the better part of valor.


 
 
天皇を元首とする。
自衛隊と自衛軍とし、自衛権を明記。
公益や公の秩序を害する結社は認めない。
公務員の労働基本権の制限の明記。
外国人参政権を認めず国籍条項を設ける。
 
緊急事態には国は、法律と同じ効力の政令を制定し
地方自治体の首長に指示でき、
「何人も国その他公の機関の指示に従わなければならない」
 
これは自民党の憲法改正推進本部が作成した
憲法改正原案の一部だ。
 
 
勿論、この原案には
戦争放棄も結社の自由も確保するとあるが、
正直言おう。
 
この原案には、
戦前の日本をイメージさせる怖さを、感じさせられてしまう。
 
何故なら、邪推であって欲しいが、
天皇を頂点に軍を組織し、
国に逆らうように見える団体は存在を否定され、
外国人を排除し、緊急事態宣言をすれば国=天皇の名のもとに
何でも指示できる体制を整える・・・
と読めるからだ。
 
 
自衛の力は大切だが、
天皇を絶対権力者に持ち上げて民主主義を破壊すれば、
その力は自衛という名の侵略行為だって、可能となる。
 
戦争放棄と自衛を分ける必要性も、
大災害時の国単位の活動力も、
トップがちゃんとしていなくては
国を違った方向へ向ける力になる。
 
なのに、トップは
直接有権者が選べないのが現実ではないか?
 
アメリカの様に大統領を決める方法論は
何故、提案すらなされないのか?
 
 
子供を育てにくい社会や環境を放置した結果、
経済重視の動きから外国人居住者は増える一方だ。
 
納税はさせても政治は触らせないという事だと思うが、
日本人以外は人間ではない・・という扱いにも見えてしまうのは
考え過ぎなのだろうか?
 
 
この冬が寒いのは
気候だけの問題ではないよう・・・だね。
  


 
 
会議に会議が重なり、
しかも雪で仕事も飛び、
そして足下が悪いのに訪問までこなす。
 
ひょっと見れば横浜には見えない風景。
 
まぁ、慌てても何も良い事は無い。
ゆっくり確実に・・と思ったりする。
 
 
閏年にしか無い日に
珍しい雪。
 
珍しい事が起きるなら
良いものであって欲しいと願うよ。

Time is the only true purgatory.


 
 
気がついたら
長い間の付き合いに、なってしまったね。
 
色々な事が、あったよね。
 
ふっと休みたくなった時
ちゃんと休める場所でいたいと思ってるし、
そのためにできる事はやってきたと思ってるけど、
まだまだ充分ではない、とも感じてる。
 
だから、出しゃばらないように密やかに構えるし、
いつも同じ場所にいる事しかできなくても
想いは変わらずに生きているよ。
 
 
いつも
ここにいるよ。
 
変わらずに
いるよ。
 

Smart

 とにかく驚いた。
 
 街中にはスマートフォンと
 パッドが溢れかえっていた。
 
 もともとも香港市民は携帯の使用がアクティブで、
 歩きながらは勿論、電車の中だろうがレストランの中だろうが
 とにかくどこでも電話で話しまくるのだ。
 
 だからこうなるのはわかっていたのだけど、
 とにかく今はスマートフォンが全盛だ。
 
 

 
 
 ゲームやビデオに熱中したり、
 チャットやメールで会話したり・・・とあちこちで
 そんな風景を目の当たりにする。
 
 そして思いも寄らない所にもその手の端末は侵食し
 ライブバンドの譜面やワインリストにまでiPadが使われているのを見て
 時代の流れを感じる以前に、行きすぎなのでは?
 と感じたのは正直なところだ。
 
  
 カメラマンの友人に言わせればiPadは、
 撮った写真をクライアントに見せるツールとして
 かなり有能だ・・・との事。
  
 見るだけのツールとしては理解できる意見だし、
 iPadでコンテンツの加工をする・・なんて事を無理強いしなければ、
 確かに便利な物なのだろうと想像できる。
 
 でも
 レストランでワインリストに出された時、
 レストランに求める物が違う事にも、気付かされる。
  
 コースならメニューはちゃんと料理の前に出て欲しいし、
 ワインリストは専用のメニューをめくる楽しみだってあると思うからだ。
  
 iPadのワインリストやメニューが格式を下げる、
 とまでは言い切れないけど、
 何となくクラシックな物全てを否定されているようだし、
 時間を積んだ事による感触や、大切にされてきた伝統まで一緒くたに
 否定された気分にさせられたのは、事実だ。 
 
 

 
 
 「iPadで本を読むなんて信じられない。
  新しい本のインクの匂いやページをめくる感触も
  本を読む行為の中に存在しているんだ・・・」
 
 
 と力説する友人がいるが、
 実際、紙であって欲しい物が自分の中にも明確に存在し、
 指でめくる動作が大切なものなのだ、とも気付けば、
 その意見を「時代遅れ」と片付けてはいけないんだな、
 と、思えてきた。
 
 
   香港は今や、サイネージの街だ。
 
   必要ならビルの外側全部にポスターを貼り付けるし、
   所構わずデジタルサイネージを設置する事も当たり前。
 
   そして、目を引けば勝ちとばかりに
   強烈な色の圧力をかける店さえ存在する。
  
   時代を先取りし、何でもできそうな事は実験してしまう街では、
   人がやってない事ができないと生き残れないのだろうか。
 
 

  
 
     だが、
     人は心で生きている。
  
     誰よりも強く早く関心を得ても、
     誰よりも先にいると自慢できても、
     安らぎや幸せが伴わなければ、続きはしない・・・
  
     と考えていて、思いつく。
     この国のように家族を大事にする気持ちが薄くなった日本人には
     これだけのパワーを絞り出す基礎が足りない、という事に。
      
 

     「情けは人のためならず」

     とは言ったものだ。
 
 
     誰かを大切に思う事。
     誰かを背負う事。
 
     それはやっぱり、
     自分と自分が生きる社会の為にも
     必要な事だ。 
 
     そんな思いが希薄だから、
     今の日本は・・・
 
     ボロボロなのだろう、ね。

Times chende and we with time.

 

 
 
 
     気がついたら
     古くから頑張っていた店が消えている。
 
     「オリジナルジョーズ」「梅香亭」の閉店ニュースが舞い込む度、
     時の流れの強さと恐さを感じていたが、
     今日、久々に海老フライカレーでも食べようとでかけたら
     県庁前の「セントラルグリル」も閉店している事に、気がついた。
 

     ここもか・・・
     これも時代なのか・・・ 
 
     
     失ってみて思う、その意味。
 
     当たり前にあると思っていたものが儚い事はよく知っていても
     実際に失うと、物理的な事より心への影響の大きさに少なからず動揺する。
 
     
     でも
     去年はそういう事の連続だった。
 
     大切なもの、大事な事、
     それを真剣に考える年でもあった。
 
     そして本当に必要なものを
     必死で守った一年だった。
 
      
 
     今、残っているものは
     全部大切で譲れないものばかり。
 
     それでもその存在は
     かなり脆いものだとも気づかされている。
 
     今年はその
     脆く儚いものを大事にする道を
     丁寧に辿ってみる年かも知れないね。
      

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