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2012-02-13

Smart

 とにかく驚いた。
 
 街中にはスマートフォンと
 パッドが溢れかえっていた。
 
 もともとも香港市民は携帯の使用がアクティブで、
 歩きながらは勿論、電車の中だろうがレストランの中だろうが
 とにかくどこでも電話で話しまくるのだ。
 
 だからこうなるのはわかっていたのだけど、
 とにかく今はスマートフォンが全盛だ。
 
 

 
 
 ゲームやビデオに熱中したり、
 チャットやメールで会話したり・・・とあちこちで
 そんな風景を目の当たりにする。
 
 そして思いも寄らない所にもその手の端末は侵食し
 ライブバンドの譜面やワインリストにまでiPadが使われているのを見て
 時代の流れを感じる以前に、行きすぎなのでは?
 と感じたのは正直なところだ。
 
  
 カメラマンの友人に言わせればiPadは、
 撮った写真をクライアントに見せるツールとして
 かなり有能だ・・・との事。
  
 見るだけのツールとしては理解できる意見だし、
 iPadでコンテンツの加工をする・・なんて事を無理強いしなければ、
 確かに便利な物なのだろうと想像できる。
 
 でも
 レストランでワインリストに出された時、
 レストランに求める物が違う事にも、気付かされる。
  
 コースならメニューはちゃんと料理の前に出て欲しいし、
 ワインリストは専用のメニューをめくる楽しみだってあると思うからだ。
  
 iPadのワインリストやメニューが格式を下げる、
 とまでは言い切れないけど、
 何となくクラシックな物全てを否定されているようだし、
 時間を積んだ事による感触や、大切にされてきた伝統まで一緒くたに
 否定された気分にさせられたのは、事実だ。 
 
 

 
 
 「iPadで本を読むなんて信じられない。
  新しい本のインクの匂いやページをめくる感触も
  本を読む行為の中に存在しているんだ・・・」
 
 
 と力説する友人がいるが、
 実際、紙であって欲しい物が自分の中にも明確に存在し、
 指でめくる動作が大切なものなのだ、とも気付けば、
 その意見を「時代遅れ」と片付けてはいけないんだな、
 と、思えてきた。
 
 
   香港は今や、サイネージの街だ。
 
   必要ならビルの外側全部にポスターを貼り付けるし、
   所構わずデジタルサイネージを設置する事も当たり前。
 
   そして、目を引けば勝ちとばかりに
   強烈な色の圧力をかける店さえ存在する。
  
   時代を先取りし、何でもできそうな事は実験してしまう街では、
   人がやってない事ができないと生き残れないのだろうか。
 
 

  
 
     だが、
     人は心で生きている。
  
     誰よりも強く早く関心を得ても、
     誰よりも先にいると自慢できても、
     安らぎや幸せが伴わなければ、続きはしない・・・
  
     と考えていて、思いつく。
     この国のように家族を大事にする気持ちが薄くなった日本人には
     これだけのパワーを絞り出す基礎が足りない、という事に。
      
 

     「情けは人のためならず」

     とは言ったものだ。
 
 
     誰かを大切に思う事。
     誰かを背負う事。
 
     それはやっぱり、
     自分と自分が生きる社会の為にも
     必要な事だ。 
 
     そんな思いが希薄だから、
     今の日本は・・・
 
     ボロボロなのだろう、ね。

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