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2007-12-04

使う場所

ここのところは、ひたすら数字を見ていて、
それが制作の仕事をする時とは、脳の違う部分を使うんだ・・とわかってたが、
今日、スチール撮影をしていて、さらに気付いた事がある。

数字を見る事と、日本語を操る事と、画像を構成・演出していく事は、
それぞれが脳の違う部分で似たような処理をしているらしい・・という事だ。

以前は、それぞれについて、同じ感触を感じる事ができると感じていたが、
今日は同じ感触を感じていても、それを判断しアウトプットするためには、
まったく違う回路を使っている事を如実に感じたのだ。

一緒に回ってくれた同僚は、クライアントへのリップサービスとドライバー、
そして私へのアシストまで1人こなしてくれたが、
彼が投げかける言葉に対して撮影中はまったく回路が開かないだけではなくて、
自分の言葉も出てこなかった。

光と色と構図を考えている上に、クライアントが求める画をどう表現するか・・・
という要素を足しながらファインダーを覗いている時は、
日本語をアウトプットする回路が閉じてしまっているようだ。

ポートレートを撮る時のように、言葉を投げながら撮影する事もできるはずなのに、
どうしても今日は言葉が出てこない。

で・・・
思わず自分でも呆れるほど、撮っている時はぶっきらぼうになってしまった。

ただ、1つ困った作用が起きている事にも気付く。

抽象的で理解不能なオーダーを撮影中に投げかけられると、
微笑む事もできず・・・いや、かなり不機嫌な顔して?いるようなのだ。

「アレを撮ってください。」

「はい・・・
 こんな感じですが、如何ですか?」

「あ?
 真ん中に写っちゃってる」

「え?」

「真ん中・・・に」

「はい・・・ダメですか?」

正直、戸惑った。
そして次に、腹が立つ。

要は対象の位置についてお叱りを受けたわけなのだが、
その意味を理解できない自分が、何だか腹立たしいのだ(^_^;)

もしかしたら、オーダーした人の中には既にイメージがあって、
それとの乖離に対して「何故?」という問いかけをしたかっただけなのかも知れない。

そのための会話を持つための回路が動かない・・・

きっと、ムッとした顔したろうな・・とも思ったが、
それよりもまずは膨大な量のカットをこなさないといけない(^_^;)

上がったカットを気に入ってもらえば良いのだし、
抽象的なオーダーを具現化するのがコッチの仕事。

言葉が出ない時は、言葉以外で会話するしかない。

という事で、ひたすら撮っては見せ、
見せては撮り・・・・

気がついたら1ギガと4ギガのカードを使い切って、
夜景の撮影に突入・・という事になった。

1日に5ギガ以上撮ったのは、初めてだなぁ・・(/–)/

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