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2008-08

使うだけ傷むのは自分

日々感じる事や、積み重なった諸々の事、
それが言葉の使い方を変えていくようで、
最近は、どんなに言葉を尽くしても通じない事に自分も傷つくので、
言葉よりも映像で語る方が、その感触だけでも理解してもらえるように思うから、
「写真を見てもらう事が、今一番自分らしい表現方法なんだ」と伝えたりする。

 

面白いもので、ライダー達は、
その意を直感的に理解してくれる。

多分それは、日常的に死と隣り合わせな状況にいて、
目で安全に対する情報収集を余儀なくされていて、
結果、映像に対する感度が高くなっているからだ・・・と思う。

 

しかし、ごく普通の人は、言葉や文章を主体に情報を得ようとする事が多く、
映像が発する様々な情報に対して「なんとなく感じる何か」の説明を
イージーに求める傾向が強い。

「今年の広島はどうだった?」と聞かれても、
8月6日に実際に足を運んで、
その暑さを感じ、
様々な人々の行動を見聞きして、
言葉にはできない「何か」を感じた事は、
通じもしない言葉を尽くしても伝えようがない・・・
とさえ思うのだが。

だからか、
下手に文章なんか書かないで、写真だけにした方がまだわかりやすいのか?
と思う事も多いが、書く事もまた私の表現スタイルの1つなので、
思うままに書く事を止めるのには、抵抗がある。

で・・・相変わらず私見を書き連ねてしまうワケで・・・・(/–)/

 

1年に1回ぐらい
「戦争や平和について考え、自分なりの行動をしよう」と
私自身は思う。

既に63年もの年月が流れ、
原爆の体験を語り、傷跡を見せる事ができる人は大幅に減ってしまったが、
だからこそその残された貴重な時間を共有している今、
実際に動いて自分の目や耳で確認し想いを引き継ぐ事が、
戦争を知らない世代が唯一できる、
日本人だからこそできる、
反戦への祈りではないか・・・と思っている。

そして今年、
私らしい表現方法で今の「広島」を表現した事が、
確かに何かの影響を誰かに与えている感触は、
今日は、ここそこに感じる事ができた。

 

想像力と客観視。
そして表現。

それは結局、経験でしか養われない。

 

言葉を尽くしても相手にその経験が備わっていなければ、
伝わるどころか、場合によっては反撃を喰らったりするし、
「わかんねぇよ」と切られれば、その分余計に自分が傷んでしまう。

 

だから、通じない言葉は使わなくなってしまう

 

だってさ・・・
使うだけ傷むのは、自分なんだからさ。

順番

「ちょっとだけ飲みたいから、一合飲まない?」

「あぁ、いいですねぇ」

 

昨晩はちょっと涼しくて、ビールより日本酒の方が気分だったし、
行きつけの蕎麦屋には楽しい冷酒と美味しいアテがあるから、
ちょっとだけ・・・という提案は無事受理されたようだ。

 

「今日、日本酒は何がありますか?」

「ちょっと出しますね」

 

いつも売りたい酒があると、熱心に勧めてくれる店長は不在で、
年配の店員が応対してくれたが、出してくれる酒の特徴は説明してもらえない。

が・・・・
今日はそれで良い。

軽く飲んで、蕎麦を手繰って、
するっと出て行くパターンだからだ。

 

「じゃ、臥龍梅を一合、お願いします。
 それとアテは・・・・鴨のつくね焼きを。
 蕎麦は温かい物にしますね。
 精進煮蕎麦と・・・?」

「私はかき揚げ蕎麦を。 暖かいのね」

「わかりました。」

 

この店は、つまみも蕎麦も美味しく酒も美味しい物が揃っているので、
関内地区では結構人気がある。

だが昨日は何故か客が居なくて、
私達以外には一名の客が、既に蕎麦を手繰っている状態だった。

 

「お猪口をお選びください。」

 

ザルに様々な猪口を用意し、客が選ぶスタイルが楽しいが、
形は様々でも薄さが均一に見えるあたりが、私の好みからは外れている。

でもそれは毎度の事なので特に気にせず、
ガラスの猪口を選んだ。

 

「臥龍梅、一合です。」

「ありがとう」

「んじゃま、いただきますか」

 

その日は、後期の資金繰りの話など、
ちょっと重めの詰めたい話があったから、
こんな潤滑油はある意味必要悪であったりする(^_^;

するっと飲もうとして、何かが違う事に気付いて猪口を見ると、
酒は漏れないものの、気になる大きさのヒビが入っている事に気付いた。

 

「あらら・・・ヒビ、入ってるな。
 漏れないから、このまま飲むかなぁ・・」

「換えてもらえば?」

「そうだねぇ・・・」

「何かのタイミングで割れても嫌じゃん?」

「すいません! お猪口換えてもらっていいですか?」

 

店員があわてて猪口のザルを持ってきた。

 

「どういたしました?
 あ、申し訳ありません、お取り替えしましょう」

「やっぱりちょっと恐いしね」

 

ヒビが入った猪口を渡すと、彼はそのまま持っていこうとする。

 

「ごめん、酒勿体ないから、移すね」

 

殆ど猪口いっぱいに注いであったから勿体なく思ったんだけど、
できた店なら、その分は酒を足してくれるんだけどなぁ・・・(^_^;

と、ちょっとだけ意地汚く考えたりするが、
それよりも今は、仕事の話だ。

 

アテが出てくるはずだから・・・と、ピッチをかなり遅くして飲みつつ話をしていたが、
なかなか「鴨のつくね焼き」が出て来ない。

まぁ、2人で飲んでるんだから、アテが出た時酒が足りなかったら、
もう一合頼めばいいや・・・(^_^;)

と、シビアな話を続けていた。

 

「お待たせしました、精進煮そばです」

 

え?

何故、先に蕎麦が出る??

 

「すいません、つくねは?」

「今作っています」

「そうですか・・・」

 

この時点で、実はかなり腹が立っていた。

だが、こちらも明確に蕎麦を後にしろとオーダーしてない。
だから腹を立てても、我慢すべき事なのかも知れない。

でも、アテを待って残した冷酒を飲んでいれば蕎麦は伸びるし、
アテが出るまで蕎麦をやっつけていると、酒を飲む気分が落ちるだろうし・・・

 

「お待たせしました、かき揚げ蕎麦です」

 

 

 

ブチッ・・・・・・

 

「すいませんが、つくねはキャンセルしてください。」

 

2人とも、熱い蕎麦です。

かき揚げ蕎麦なんて、衣が汁に浸みていく短い時間にこそ
その食感の楽しさがある物です。

このまま待っても、2人は当然に蕎麦に集中します。
勿論、腹も空いているワケです。

もし、かき揚げ蕎麦の前につくねが出てきたら、もしくは同時に出ていたら、
自分のオーダーにダメ出しして諦めるつもりだったが、
店には他の客もいないような状態で、酒のアテを蕎麦より後に出す事は・・・・

許せん!
と言うか、食べる気になれん!!

 

 

で・・・
気付いた事。

不愉快な気分で食べると、美味しいはずの物が不味くなる・・という事。

 

で・・・
推理する事。

オーダーを通し忘れたから、厨房が先に蕎麦を作ってしまった・・・?

 

で・・・
思う事。

順番は、大切です。
言い逃れは、時として逆効果です。
間違えてはいけない所を間違えると、全て台無しです。

 

 

過去、一度もこのような出し方をしない店だったから、
大切にして、客も連れて行く所として認識していました。

ただ、若干のミスがあったとしても、
笑って許せる愛情は持っています。

だから次回、店長にはこの件を話そうと思います。
これからも付き合っていきたい、大切な店だからこそ。

 

愛情が無ければ・・・・
単に2度と行かなくなるだけ・・・だからね(/–)/

国替え

まだケンタウロスが、カネサカビルにあった頃。

ある時はクラブハウスがある2階に続く階段を、
血だらけになった男が転げ落ちてきたり、
ある時は、入口に置かれた小さなベンチで
大将と兄弟がへべれけになっていたり・・・と
一般人から見たら、それは野蛮な集団に見えたはずのケンタウロス。

そしてそんな場所に集まってくる人間達は、
ストレートのバーボンを飲みつつ交わされる問答や、
道交法を守って走る児回りでのキー争奪戦などに参加させられ、
いっぱしにクラブハウスメンバーになる頃は、
違う世界の中でその存在を認知してもらうために、
必要以上のアトラクションを繰り広げる事もよくある話だった。

 

常に殺気をみなぎらせるガードや、
部屋の隅で殺気を懐に隠して傍観する長老、
それがクラブハウスの空気を重くしていたが、
クラブハウスに出入りするようになった人間は
そこに溶け込む事に必死だったのかも知れない・・・と今は思う。

そんな気が抜けない場所の中で、
ホノボノとした空気をまとった長老の1人が居た。

 

私が会った頃に彼が乗っていたのはヤマハのビラーゴで、
そのスタイルからゆっくり走る人だと思っていたが、
ある時夜一緒に走る事あった。

 

「俺のバイクはコーナー苦手だから、
 ゆっくり走ってくれよな」

「またまた・・
 そう言いながら、どんでもない速度で走るのが常じゃないですか。」

「ビラーゴだぜぇ?
 お前のようなカウル付きのバイクと一緒にしないでくれよ」

 

でも、当時の国産アメリカンは、
実は運動性能がかなり良い事は知っていた。

それになんたって1100ccだ。
遅いワケはない。

はたして、一緒に走り出すと、
こっちがかなりの加速をしているにも関わらず、
斜め後ろでニヤニヤ笑いながらついてくる。

交差点で止まると・・・・

 

「な、遅いだろ?」

 

そこにはあの憎めない笑顔が
輝くように、あった。

 

 

そんな彼が国替えをした。
心筋梗塞と聞いている。

残念ながら、あの時代を生き抜いてきたメンバーが
また1人旅立っていった。

 

岡さん
安らかにお休みください。

私が国替えした時は、よろしくお願いします。

 

 

通夜:27日18時〜19時
告別式:28日10時〜11時
場所:高円寺南2−31−2 長龍寺会館

on your mark

よく「嫌な事も大変な事も、全部捨てて一からやり直せ」って言う人がいるけど、
それはやり直すための基本的な力がある、という前提に寄っかかった言葉じゃないか・・・
と思っていたりする。

 

例えば、普通に歩けなかったりすれば、
会いたい人に会う事も自発的に行う事は難しくなるし、
例えば半身の感覚を失っていたら、
両手や両足を駆使しないとできない事には、
最初から目を向けないようになる、と思うからだ。

要は、全部捨てる・・・と言ってもそれは単なるリセットで、
実は何も失わずに、責任やしがらみだけペナルティを払いつつ
捨て去れって事ではないか・・・と(^_^;)

 

そんな事を考えるのはもちろん、
今の自分の状態が身体的にも精神的にも悪いからだ。

先週は、色々な身体的トラブルが重なっていて、
嫌な事を捨てようにも、身体が動いてくれなかった事もある。

自分自身と向き合うばかりの一週間はかなり苦痛で、
生き続ける気力を半ば失いそうにもなっていた。

どうせ自分なんて、誰にも必要とされていないのだ・・・
と悪く考えたくなってしまうらしい。

 

わかってるさ
ちょっとへこたれてるだけさ。

ダメな時にダメになっていくのは、
自分のせいだからね。

 

休憩が必要な時は休憩し、言いたい事は言って、
涙が溢れるほど寂しかったら泣き叫んでも、
誘いは出来る限り受けて無理矢理でも動く。

それがきっと、元気が湧くキッカケになると知っているから、
動けない時の視界を「引出」にしまいながら「今の全速力」で走るしかない。

 

今起きている事は、次への準備。

やりたい事は見えているのだから、
そのために必要な時間だと理解して、
飛び出すための力を貯める事にしよう。

予定変更

今日は取材が飛んだ。

 

夜遅くまでかかる取材だったが、
夜から明日にかけて雨が予想されている事と、
午前の時点で光が無い事で、
無駄な作業になるのはわかっていたからだ。

 

ぽかっと空いた日。
こんな日は寝るに限る(爆)

 

先週医師と相談して変えた薬が、
今の体調に合っているらしく、
久々に痛みに悩まない数日間を過ごせている。

だが、無理は禁物。
仕事中に動けなくなるとヤバイから、
ビール飲んで寝ちゃう事にしよう。

 

 

あ?
なんかメール??

 

そうですか・・・
データが欲しい・・・ですかorz

 

デスクワーク、しますかね(/–)/

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