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日記的雑感 Archive
ORNELLAIA
- 2008-06-11 (水)
- 日記的雑感
オルネライアと言えばスーパートスカーナのワインとして有名で、
そのグラッパとなれば、やっぱり気になる物。
屋外でゲストと飲むのに、線の細い酒ではどうか・・・と悩んでいて、
コスタルッシかサシカイヤのグラッパをと思いついたのは、
グラッパの強さとシガーを合わせてみたかったからに他ならない。
「最近、サシカイヤよりこっちの方が安くて遙かに美味いって
お客さまが言いますね。」
「そうなの?」
「如何しますか?」
「そこまで言われたら、買いますよ」
そんな会話をしながら手に入れたボトルは、
500mlの細長い上品な物だった。
で・・・
予定通り、このグラッパをあてにしているゲストとともに、
屋外でテイスティンググラスに注いで、まずは一口頂いた。
え?
これ、本当にグラッパ??????
飲んだ瞬間に、あまりの優しさと美味さに、
グラッパという酒の概念が変わる程の衝撃を受ける。
勿論、日本に10本しか入りませんでした・・・とか言われて、
グラッパにしてはクソ高いコストのスペシャルな物は何度か試しているし、
この前飲んだイル・ボッロのグラッパみたいにツンと来ない滑らかな物も
結構飲みまくっている。
それでも・・・
無意識に「これグラッパ?」と呟くほど洗練された柔らかな口当たりと、
屋外なのにふわっと広がるほど豊かな香りには、驚いた。
「これさ・・・・やばくね?」
「うまい・・・」
「これ、ほんとにグラッパですか?」
ゲスト達も口々に驚きを表現するほど、
半端なく美味しくて・・・・
いやはや、恐れ入りました。
カベルネ・ソーヴィニヨンとメルローで作られたこの酒は、
最高のロットのみをブレンドして9ヶ月の樽熟成が行われている・・・
と店の人には聞かされたが、樽物だとしてもクセがあまりに無くて、
エレガント・・ととしか言いようの無い、一本と言える。
で・・・
あまりに美味しいので、
シガーを合わせる事を忘れてスルスルと飲んでしまって・・・(/–)/
という事でこの酒は、あるウチに仕込んで、
楽しく日々飲む事に決定!・・・です(^_^)
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区切り
- 2008-06-05 (木)
- 日記的雑感
振り返ってみると、
5月は色々なものが見えた月だった。
対人間のポジションの変化や、
見えていなかった裏が見えるなど、
具体的には書けない事ばかりだが、よく見えた。
で、思うのは・・・・
明らかに自分のポジションが変化していて、
それによって目線が変わった結果、
様々なものに対して、今一度客観視する必要がある・・という事だ。
我がクラブは、
瞬間的にすれ違うような出会いまで含めると、
もの凄い数の人間達が交差する場でもあった。
で、そこに生きている暗黙の了解事項として、
「自分の事は自分で処理する」
「来る者拒まず、去る者追わず」
というスタンスが存在する。
一期一会を大切にし、縁を信じて生きていれば、
今、この場で一緒に居る事も必然である事を知る。
そして、一緒に行動すべき時間の長さだけ、
共に走る事もまた、偶然ではないのだ。
今一度、自分を客観視する。
そして、自分の回りも確認する。
その事が、これからの自分にとって必要不可欠である・・・と、
自分にだけわかる感触が語っている。
そして月が変わり、
また新たな世界が見えだした。
新しい道も、朧気だが見えだした。
また、自分を研がないといけないらしい(^_^)
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Blackadder Macallan 19年 1976
- 2008-06-01 (日)
- 日記的雑感
Blackadderがボトラーズとして日本で広く認知されたのは、
ケイデンヘッズやゴードンマクファイルに比べれば日が浅い方だが、
ボトラーズモルトが実に個性的で品質も良い・・
という常識ができあがるにつれ、コストパフォーマンスの良さを買われ、
巷のバーにはそのボトルが多く存在している。
昨晩飲んだ一本は、まだボトラーズのモルトが安価であり、
かつ、Blackadderがまだ有名でなかった頃まとめ買いしたうちの一本で、
ストックとしては最後の生き残りマッカランだった。
ボトラーズのマッカランとオフィシャルのマッカランの大きな違いは、
その熟成に使われる樽が違う・・・という部分にある。
モルトのロールスロイスと言わしめる格と品質は、
現在のマッカランにはその名前のみが残り、
分析され演出されたつまらないモルトとして生き残っているが、
それでもまだ、高級品としての地位を失っていない。
で、そのマッカランたる部分は、熟成にシェリーカスクを使う・・・
という部分にあるわけで、ボトラーズの物はマッカランが熟成に使う樽を
入手しにくい事から、大概が違う樽によって熟成されてしまうから、
マッカランのようでいて、マッカランでないモルトとして存在することも
また、当たり前のように多いのだ。
このマッカラン1976年も、
手に入れた当初はトゲトゲとしたキックのあるマッカランで、
一本辺りのコストが3000円程度だった事を割り引いて、
なんとなく家飲み用としてゆっくり消費していった物だが、
昨日のプレ東屋に、その飲み残しを持っていって飲んでみたら、驚いた。
グズグズになったコルクをどうにか抜いた瞬間、
屋外だというのに、その甘い香りが広がっていく。
それだけでも瓶内熟成(と称する劣化)が良い方向に進み、
トゲトゲとしたキックは見事に丸みを帯びていただけでなく、
70年代のゴールデンプロミス種が持つ豊かなコクと
軽やかな焼き菓子にも似た心地よい味わいがあった。
懐かしい・・・と思わず呟くほど、
その素朴で優しい、しかもどこか郷愁を誘うような、麦の味。
そんなにあの時代のモルトって、美味しかったんだ・・・
とあらためて思い知る夜、
このBlackadder Macallanのカスクストレングスが
ストックに一本あった事も、思い出した。
さて・・・
何時飲んだら、良いものか・・・・ねぇ(^_^;)
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イエスか釈迦か?
- 2008-05-31 (土)
- 日記的雑感
「あのね、キリストって右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せって教えるじゃん」
「うん。
だけど、随分いきなり、高尚な話だねぇ?」
「いいから聞いて。
で、釈迦はね、違うんだって」
「釈迦・・・」
「釈迦は最初から、打たれないように生きろって教えるんだってさ」
「はぁ・・・なるほど。」
「誰かにイラッとする時は、自分がイラッとしてるんだし、
敵が多い人は、勝手に他人を敵として見てる傾向がある・・・と。
だから釈迦は他人を敵にしないように、自分を戒める方向の教えを説いてるのね。」
「たしかに。」
「キリスト系の生き方と釈迦系の生き方、どっちが好き?」
「そりゃ・・・釈迦系だな」
他愛の無い話をしている時、突然始まった禅問答。
でも、こんな会話は嫌いじゃない。
「なんかね、最近思うんだけど、
無意識に敵を作ってたんじゃないかなって・・・」
「そりゃ、しょうがないよ。
頼れるのは自分だけって生き方だったし、
実際誰も助けてくれはしなかったでしょ?」
「・・・うん」
「で、そんな君が何故、こんな話を?」
「そういう見方を教えてくれた人が居てね。
なんか最近、苦しんでいるように見えるから、その考えを分けてあげよう・・と」
「ありがと。
でも・・・そうか、誰かを敵視してるように見えてるって事なんだろうな」
「そうじゃないの?」
「俺ってさ、仕事には私情を挟まないし
誰かを蹴落とそう・・とかも思わないから、
基本的に誰かを嫌うって事はないんだけどねぇ」
「それが・・・嫌われる最大の理由なんじゃないの?」
まぁ、人は他人を疑ってみる傾向があるから、
客観性をもって話をする人間は少ないだろう。
その人間が間違いなく敵ではないと納得するまでは、
警戒を解かないで付き合うのは自己防衛本能なのだから仕方ない事だ。
だがそれにしても、
客観性を持って物事を伝えても、
そこには主観が混入し、意識的に操作された発言だ・・・
と、決めつけて受け取る人は多いのかも知れない。
「あのさ、何故キリストと釈迦が違う教え方をするかわかる?」
「え?・・・
なぜだろう、そこまでは考えてませんでした。」
「ちょっと想像するとわかる・・・と思うけど?」
「う〜ん」
「ヒント、『三つ子の魂百まで』」
最近の若者は・・・という言葉は、どの時代にも存在する。
それは、世の中が確実に変化していて、
それぞれの時代に育った経験が、大人の仲間入りをする頃、
成熟した社会とは違った生き方に反映されているからだ。
殺人事件なんて起きないし、
玄関に鍵をかけなくても誰も泥棒に入らない社会に育てば、
今の社会は信じがたいほど酷い社会に見えるだろうが、
殺人も強盗も政治も信じられない社会に育てば、
「やられる前にやれ」という常識を持って育っても可笑しくない。
そんな育ちをした若者達が非常識だ・・・とは、
言えない社会が来るとしたら、恐い事だ。
「キリストは母子家庭に生まれて育ち、
釈迦は裕福な家に生まれて何不自由なく育った。
それが、他人を愛する行為の形の違いに現れたって事さ」
「そう考えると面白いね」
「今は表面的に裕福で何不自由の無い社会。
でも、精神的や文化的には貧しい社会に見える。
そんな時代には、どっちの考えが必要なんだろうね」
「で、あなたはどっちなんだっけ?」
「釈迦系・・・」
すいません、やられたら反射的にやり返しちゃうんで、
やっぱ「最初からやられない生き方」に徹したい・・と強く望みます(/–)/
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逆鱗
- 2008-05-24 (土)
- 日記的雑感
「逆鱗に触れる」という言葉がある。
逆鱗とは、龍のアゴの下にある一枚だけ逆さに生えた鱗の事で、
それに触れると、龍は怒って触った人を殺す、と言われている。
つまり「触れてはいけない物」という意味をそれに準えるわけだが、
そんな逆鱗に触れるような行動を取ってしまう人間が複数いて、
いささか呆れはてる事が最近多く起きている。
ホラを吹いて、実際に追い込まれて破綻するとか、
あまりに見え透いた嘘をついても、本人は騙せていると思いこんでいるとか、
自分の立場をわきまえずに従うべき立場の人にケンカを売ってしまうとか・・・
それらが個人的な領域で起きて、
個人的に対処する事で収束するなら問題は無いが、
これが会社だったりグループだったりする限定された社会の中で起きると、
その社会全体の責任問題にも発展して、
問題を収束させるのにかなりのエネルギーが必要になる。
ただ、そうなる前に何か手を打とうと努力しても、
会社という社会の中では裁定権を持つ上席の判断が必要となり、
得てして手遅れ・・・という事態に陥る事もまた、多いのだ。
我が身を振り返ってみると、自分にもそんな逆鱗は存在しているが、
どうも他人よりはその大きさが小さいようにも、思っている。
と言うのも、若い頃こそ瞬間湯沸かし器のように激昂するタイプであったが
今は余程の事が無い限り、腹が立っても怒鳴るような事は無くなったからだ。
(要は、怒っている時間もエネルギーも無駄だと思うワケで(^_^;))
ただ、そんな私でもブチッと切れる事はあり、
怒鳴って机を叩くような事態もまた、あったりする今日この頃、なワケだ。
で・・・・
自分なりに自分の逆鱗はどこにあるのか?と考えてみて、
気付いた事がある。
口先だけで誤魔化そうとする行為、
見え透いた嘘をついて自分の立場だけを守ろうとする行為、
家族や家族同様に愛している人間に近寄る行為・・・と、
要は自己中心的に生きていて
私自身が大切にしているエリアに土足で入り込んでくるような行為は、
それを美辞麗句で誤魔化そうとされたりすればするほど、
私の逆鱗に近づく・・・という事。
でもさ・・・
逆鱗に触れられてもある程度は笑ってスルーする位は、
歳も食っていたりするのさ。
それに、ある程度我慢して時間をかければ、
私が嫌がっている事に気付ける人もいるわけで、
その為にも、「待ってみよう」と経験が私に忠告してくれて・・・
で、
歳を食うって悪い事じゃないな、と、
思う毎日だったりするわけです。
しかしさ・・・
マイペースに生きる人達には、敵わないねぇ・・・(/–)/
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