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日記的雑感 Archive

TYCOON

中華街昼Dcm
 
 
バブル時代というのは、確かにあった。
 
でもそれは、対岸の花火大会のようなもので、
仕事は潤沢にあったけど、それをこなすだけで終わる日々。
 
そして給料が凄く上がるワケじゃ無く、
ただただ疲れていた事だけを覚えている。
 
政治家は箱物を作りたがり、
バンバン債券を発行して借金を将来に肩代わりさせ
それこそジャブジャブと金を使いまくった時代。
 
大阪万博の夢を再び・・と地方博が至る所で開催され、
89年には横浜で横浜博が開催される頃に、
その店も「大物」という意味を持った名前を堂々とつけて
オープンする。
 
そしてその年は、
突然社命を受けて生番組の現場に放り込まれた年でもあり、
自前のワープロを持ち込んで原稿を書いたら(字が汚いからね)
「こんなもんじゃ、仕事にならん」と怒られた時代でもあった。
 
 
「スタンバイが12時前に終わったら、どっか飲みに行こうよ」
 
「終わればね。」
 
 
この場合に12時とは深夜0時の事を指す。
 
パソコンも携帯電話も無い時代、
昼間は情報収集とアポ取りの電話連絡で過ごすか、
取材を2〜3本まとめてこなすのが通常勤務。
 
そして夜は編集して原稿書いて、本番前のスタンバイ(準備)をやって、
仕事が一段落するのは大概深夜2〜4時となる毎日。
 
それでも朝は普通に出社しなくちゃいけなかったから、
30分でも睡眠時間を伸ばそうと家に帰らない(帰れない)体制が出来上がり、
深夜0時あたりで仕事が終了すれば1時間位は飲む余裕があったわけだ。
(逆に飲まないと寝付けないって事もあった)
 
 
「どこ行きます?
 肉喰いにジャックス行くとか、ゴージ行って軽く飲むとか?」
 
「ケーブルカーも良いなぁ。腹減ってるなら北京飯店で炒飯もいいけど」
 
「どうせだったら、タイクーンかバードに行きません?
 車あるんですよね?」
 
「あるけど・・・、だったらアロハカフェとかリキシャルームへ行く?」 
 
「VFWとかイタリアンガーデンとか?」
 
「そこまでわざわざ行って、食って即帰るのは・・やだな(^_^;」
 
「じゃ、県庁そばの吉野家行きます?」
 
「あのねぇ〜」
 
「491にしましょうよ、座れなかったら北京飯店とかゴージに流れるとして、
 どうせスターホテルで寝るんですよね?」
 
「そうだけど味気ないよねぇ・・・
 タイクーン行ってみる?」
 
「エスニックって大丈夫ですか?」
 
「パクチーがなぁ・・・」
 
 
こんな会話をアシスタントとしてはいたけど、
実際、ちゃんと終わるまで気は抜けない。
 
ただ、タイクーンはカリカチュアという名の建物に、
エスニック料理をメインとした無国籍料理店としてオープンし、
横浜バードというナイトクラブと一緒に営業を始めていた。
 
カリカチュアの隣の倉庫を改造したクラブは、ベイサイドクラブ。
 
そこでは、外タレの歓迎パーティーを局の仕事の一環で開催した事もあったし、
カリカチュアの一部で深夜からの生番組を放送したりしていたので、
自分達にとっても馴染みが深い店ではあった。
 
 

6643Dcm

 
 
「レストラン・タイクーン」は
5月10日をもちまして、閉店させて頂く運びとなりました・・・
 
ネットにその情報が流れて、驚いた。
 
ベイサイドクラブは、バイクのクラブにとっても馴染みがある場所だったし、
タイクーンとは色々と因縁があった店でもあったが、昨年ちょっとしたパーティーで
クラブメンバーが集って飯を食った事もあった。
 
場所柄、ボートで来て専用桟橋から入店する客も結構いて、
いかにも横浜らしい店として、頑張って営業しているんだな・・
と感心した事も思い出す。
 
そんな店が突然閉店すると聞けば、 
1度だけでも顔を出してみようと思うのは当然のこと。
 
そしてバブル時代の色が残るタイクーンでビールでも飲みながら、
あの熱に冒されたような時代を思い出してみるのも面白いだろうと思った。
 
 

6785Dcm

 
 
しかし驚くよね。
このとてつもなく派手な入口。
 
そして中も天井が高い、バブル時代の設計が・・・
 
 

6729Dcm

 
  
「毎回、今までやった事が無い『何か新しい事』を仕掛けたいんだ。」
 
「面白いとは思いますけど、大変ですよね。」
 
「大変だよね。
 でも、誰でもできるような事やってたら、自分が頑張っている意味ないじゃん?」
 
「さし当たって、何をしますか?」
 
「どこかで放送に耐えるレベルの小型カメラを調達してくるから、
 スタジオで遊ぶ事を考えたいんだ。」
 
「そんな機材、どこから?」
 
 
買っちゃったんだよ、プロ用のCCDカメラ。
池上のENGカメラ(HL95)と一緒にリースアップ品としてね(爆)
 
 
「技術がウンって言わないと思います。」
 
「大丈夫。説得する。俺元々カメラマンだし、一通り技術的な事はわかってる。
 ちゃんと放送にも使ってたリモコンユニット付きのモノだよ。」
 
「で、どう使います?」

「手元を写すとかは当たり前にやるとして、
 こんなところで放送してるってライブ感を強調したいんだよね」
 
 
若き日の自分は、自らが仕切っていく放送番組の拡張性に
色々な夢を持って頑張っていた。
 
自分が全ての責任を持って取材をするけど、問題が起きたら会社全体の責任になる
というプレッシャーは凄く感じていたが、いい加減な思い込みで情報を扱う事はしなかったし、
わからない事は裏を取れるだけとってから管理者に許諾を取った。
 
ただ、そういう中でも、自分の目線で切り取った情報を、自分の感覚でメディアに乗せる
その魅力(魔力?)と怖さに、どこか快感を得ていたのだと思う。
 
起きている時間、例えばスタッフと食事をする時も、
個人的な仲間と何処かへ出かける時も、
そこで感じた感覚と得た情報は、常に、放送に使えないか?・・という目線で見て、
使える要素を感じたら、取材を始めるような生活だった。
 
そして・・・
 
どこかで、人間らしい感覚を喪失した。
 
 
6706Dcm
 
 
週1日2時間の生放送を作り、それ以外に2日は10分コーナーを合計で3〜4本担当し、
徹夜してしまった朝は5時から朝の生放送の手伝いにも出かけ、
「撮って出し」と言われる、その日取材したモノを編集しその日のウチに放送する
ようなコーナーも多く請け負った。
(担当した番組は昼の2時間だったから、午前中に取材し放送中に編集して間に合わせる)
 
それでも完徹は週2日で済んでいたけど、残業時間は月160時間を下る事は無かった。
(仕事中に仮眠しちゃった分は減算したけどね)
 
そんな狂乱な時代にこの店に来ても、
何の感動も感じなかったのは、驚く余裕が心に無かったからだと思う。
 
そこで繰り広げられていた男女の駆け引きなんて
「素人の漫才」を見ているようなモノで、面白くも何ともない・・という感想しかなくて、
今から思えば、なんて勿体ない時間の使い方をしたんだろう、と思ったりする。
 
 
東京で適当に遊んだ後、
タクシーをぶっ飛ばしてベイサイドクラブで踊り、
火照った身体をテラス席で冷やしながらビールとエスニック料理を楽しむ。
 
終電なんてとっくに終わってるけど、ここは横浜。
 
口説くつもりで誘った男なら、ニューグランドかザ・ヨコあたりを押さえているだろうし、
朝まで飲み倒せる店だってそこそこあるから、気に食わなければハマの男を引っかけりゃ良い・・・
なんて話をする女子2名が、
ここまで連れてきただろう野郎2名をテーブルから追い出す風景は、
まさにあの当時のバブリーな空気、そのものだった。
 
 

6668Dcm

 
 
今、こうやってテラスでビールを飲んでみると、
その残滓が景色に感じられるくらいで、
なんともお寒い空気しか流れていない事に気づく。
 
携帯なんて持たなかった時代は、
不便故にエキサイティングだったのかもしれない。
 
ポケベルが鳴ったって、公衆電話が無ければ連絡はつかないし、
伝言ダイヤルにメッセージを残しても、実際どこで何をしているかを証明できない。
 
だから男達は、自分で何処にでも行けるように車を持ったし、
車で女を遠くへ連れて行くのは常套手段だったのだろう。
 
 
聞けばタイクーンが入っているカリカチュアビルの
老朽化が酷くて、営業が難しくなったという事だった。
 
勿論、それ以外の理由も大きい事を
今更追求する意味も無いけど、
横浜らしい場所を一つ失う寂しさは、かなり大きい。
 
この次、こういう施設ができるとすれば、
カジノを導入するような再開発がなされる時だろう。
 
その時横浜は、どんな顔をしているのだろうか。
横浜らしい顔というのは、どう変化しているのだろうか。
 
そしてその顔を、私はどんな顔をして見るのだろう、ね。

予感

6793Dcm
 
 
その日は何故か、
何をしていても独りよがりな気持ちに
支配されていた。
  
そういう事ってたまにあるので
あまり気にはしないのだけど、
無力感と倦怠感も伴うのでつい下を向いてしまう。
 
そうか
春っぽい気候や様々な花粉の匂い、
新緑の色や若さが持つ輝きなど、が街に溢れているからね。
 
嫌でも上ずる気分に
ついていけない苛立ちなのかもね。
 
見えてしまっているゴールには理不尽な色がついているし、
日々、利用される事が多すぎで疲れているから、
モチベーションは下がりっぱなし。
 
でも、自分が信じる道を行く事だけが、
自分の心を救う事になるのは、わかっていること。
 
楽しみを感じる事が無さ過ぎでも、
誰かの役に立っている事が実感できていれば、
そんなもんさ・・・と笑う事ができるってものだ。
 
ただそれでも
その日は生きている事が辛い、という気持ちに捕らわれていた。
  
 
「危ねぇな!」
 
  
と独り言が出た。
 
横断歩道を渡りだした時に
強引に右折して目の前をかすめるタクシーがいた。
 
確かに光の加減で見えにくいだろうけど、
背中には派手な反射板が付いたジャンパーを着ているから、
タクシーから私は確実に見えたはずだ。
 
見えていて、いけると踏んで強引に横断歩道を過ぎった事は
運転手と目が合った時にすぐわかった。
 
落ち込む気分は美味い酒でも飲んで忘れてしまおう、
と酒場に向かう道。
それも店の前の横断歩道での出来事だ。
 
 
0137D
 
 
朝、玄関でグローブを見て、考えていた。
 
今日はそこそこ気温が上がるから、
グローブをやめようか?
 
いや、何かで転倒した時に直接手をつくのは嫌だから、
薄手のグローブをする事にしようか?
 
メカニック用のグリップしやすい布製グローブを数種、
革製のグローブは防寒用からライディング用は多種、
布と革のコンビでプロテクターが付いてるものも少し・・
 
そんなグローブ入れの中で、ゴツイ感じがするからあまりしない
プロテクター付きの物に目が止まる。
 
たまには、コレしていくかな・・とそれを持ち
通勤途中でそのゴツさにちょっと恥ずかしい気持ちになりながら、
気分だけは変わるかなと良い方に捉えて出社した。
 
そんなグローブをしていたから、
そのタクシーに一発パンチでも入れてやれば良かったと思いつつ
(そんな事はしないけどね)
そのまま横断歩道を渡っていく
 

音も無くライトが近づいた。
 
あ?
車か??
 
あ??
止まれよ!
 
おい!!!
 
 
車は私の杖をバンパーで押し切り
私はそのままその場に転倒した。
 
受け身を自然に取るが、
肘を道路にぶつけてしまう。
 
だけど、横断歩道の真ん中にいた私をそのままはねた車だから、
そこで止まらない可能性の方が高い。
 
 
6387Dcm
 
 
「どこが痛いですか?」
 
「肘打ったので今痺れてて握力が出ないだけですよ」
 
「ちょっと見ますね。
 あ、ちょっとだけ赤くなってるだけですね。」
 
「擦過傷無いですか?」
 
「無いですよ。」
 
「良かった。」
 
「他に痛いところは無いですか?」
 
「大丈夫ですよ。
 極端な話、道に転がっただけで済んだから。」
 
 
救急車の中で、
メディカルチェックを受けていた。
 
右手に力が入らないけど、事故によるショックが出ているだけだから、
30分もすれば元に戻る事はわかっている。
 
とりあえず知らせたい人にメールをしようとするが、
左手ではメールをするのも大変で、右手の握力が戻るのを待つ事にした。
 
 
警察が来て、現場検証を始める。
 
細かい説明を被害者として説明していて、
どう考えても掌も突いたりぶつけたりしている事に気づくが
プロテクター付きのグローブのおかげで、無傷だった事がわかった。
 
あ・・・
これだわ。
 
朝、どうしてもこのグローブをしなくちゃ・・
と思ったのは。
 
 
6395Dcm
 
 
なんとなく嫌な感じがする、とか、
今日はあっち方向へ行くのをやめよう、とか、
そういう予感を感じた時には、その予感に従うのがクセになっている。

長年、ライダーとして走ってきた人達には解りやすい事だけど、
そういう予感ってかなりの確率で当たる事が多く、
当たった時でも予感があったからどうにかギリギリで対処できたって事、
私の場合はありすぎるほどあるのだ。
 
今は殆ど車両に乗らない日々なので、
ヤバイ事に巻き込まれる確率は凄く下がっていると思っているけど、
この日は、そんな予感が無意識にさせたグローブのおかげで、
上手く転がって頭も打たずにピンピンしたまま事故をやり過ごす事ができている。
 
 
しかし
生きているのが辛いなぁ・・と歩いている時、
じゃぁ、死んでみる?って状況に追い込まれるって
どうなんだろう?
 
日々、悔い無く生きているつもりだし、
やりたい事は一通り経験して、
もうお腹いっぱい・・な感覚もあった。
 
だけで路上に転がった時、
死ぬ前にやっておきたい事がある、という事に気づく。
 
求めていても手に入らないモノは諦めるられるけど、
諦められないこともあるんだって、気づく。
 
だから、それは
素直にもう一度求めてみようと思いつつも、
今更ながらに、生きている事を実感した。
 
 
もうね
自分の役目は終わったと
思っていたんだ。
 
後は、どうやって自分を仕舞っていくのかが、
最後の仕事だと思っていたんだ。
 
いつの間にか必要が無くなるように仕込み、
いつの間にか存在が消えていくよう、姿を消していく。
 
そして、そこにある事しかわからない空気のように、
世の中に溶け込んで、最後は行方もわからないように・・と。
 
でもまだ、悔いがある。

それなら、
役目もあるのだろう。
 
例えばこうやって、独り言のように表現する事も、
ひょっとしたら何かの役に立っているかも、と、
思う事にした。
 
 
しかし・・
この年で車にはねられるとは、思わなかったよ(爆)

57

1年という時の長さが、随分短く感じられるようになった。
 
毎年誕生日に何かを書くようにしているから、
今年はと思う前に、過ごしてきた1年を振り返る。
 
で、驚く程に短く感じられたのが、
実はちょっと面白くも感じている自分がいる。
 
 
7921Dcm
 
 
56歳のテーマは「持続可能」だったが、
残念ながら逆方向に物事が動いてしまったと感じるような
そんな1年であったと感じている。
 
でも、だからと言って落胆したりとか、
自らの無力さを嘆くような気持ちにはなっていなくて、
それこそが、時間の流れを早く感じる故の結果なのかも、
と思える事が面白いのだ。
 
毎日が早く動くように感じる事は
小さい事に気を揉む必要さえ排除してくれて
心穏やかに生きる術のようなものなのかも・・・とも思うのだ。
 
 
人は、きっと
いつも役目を担っている。
 
本人の思いとは別の役目であったり、
役目である事に気づかないでいたりもするけど、
何かしらの役目を持って生きているのは間違いない。
 
そんな思いは、毎年強くなっていくのが実感だけど、
その役目はその時その時で入れ替わったり変化したりするようなので、
今年のテーマは「役目を考える」にしてみようかな、と思っている。
 
まぁ、最近は、
自分の役目がよくわからなくなってきてる
って事もあるんだけどね。

助ける、ということ

最近のネットに流れる情報は、無規制に主観的で裏付けの暴力的な物が多くなり、
流れる情報そのものを最初からシャットアウトするような傾向が、
私自身の中に芽生えてきた。
 
とは言え、すでにテレビのニュース番組そのものも、
信頼に足るモノが無くなりつつあって、
様々なソースを見比べて判断するしかない現状においては
全部シャットアウトする事は、できそうにない。
 
そんな思いを持ったまま、全部は信用しないよって思っていても、
それでも悲しい情報操作や勘違いによる情報の暴力が、心に刺さる。
 
例えば、川崎の中学生殺人の件では、
情報による私的制裁が裏付けが無いまま行われ、
トバッチリを受けた人への救済がなされないまま
放置されている現状がある。
 
売れれば良いと考える週刊誌では、 
著名な作家が主観的な意見を週刊誌上で表現するという形で、
二次的な暴力になっている事も問題だと、思う。
 
ひょっとしたら、法的規制が必要なのでは?
と思うくらいに。
 
 
そんな負の情報もネットで転用されて伝わり、
私自身も、真偽もわからないまま感情を揺さぶられてしまったのは事実。
 
だからこそ、元のソースを確認する作業が大事だと思うし、
できる限り裏を取って、誤認の無いように務めるのだが。
 
でも、SNSで拡散した情報は裏が確認できない事から、
「拡散する意味を考える頭をどう育てるか?」という問題を感じるに止まり、
ここまでやったらアウトだよ・・というガイドラインを作るのが関の山だと思ってしまう。
 
ただ、週刊誌を使った負の情報は、
記事の一部分だけを転用し負の情報に仕立て上げる事も可能なので、
私が気になった記事が、実際どのような展開で書かれどうまとめたかを、
確認したくなってしまった。
 
という事で
その週刊誌を購入して読んでみた。
(この時点で、週刊誌側の思うツボ)
   
 
2007
 
 
いや・・
驚いたね。
  
あまりにも見識が浅く、
あまりにも裏付けがされていない、
と読めてしまう事に。
 
その作家はもともと何故人気があるのかわからない類の人だったが、
何故かマスコミに乗せられて、色々な事をやらされる、
どちらかと言えばバラエティ向きのタイプだと思っている。
 
だからこそ、週刊誌はこういう使い方をして、
問題になったり炎上したりすれば、週刊誌の売上が上がると考え、
喜ばしく思っている事も、理解できた。
 
それにしても・・・
どうなんだろう?
って思わされる。
 
売らんかな、な週刊誌の戦略だったとしても、
不特定多数の人を傷つけるような記事を載せる事に対し、
最低限の配慮を持てるような考えは、できないのだろうか。
 
私が聞き捨てならなかったのは、
殺された中1男子の母親に対する意見としての、以下の部分。
 
 
「いつまでも女でいたい、などというのは、
 恵まれた生活をしている人妻の言葉である。
 
 もし離婚をしたとしたら、子どもが中学を卒業するぐらいまでは
 女であることはどこかに置いといて欲しい。
  
 <中略>
 
 もし恋人ができたりしても、
 子どもはいちばんのプライオリティに置いてほしい。
 
 そしてセックスとかそういうことで、現実逃避しないで欲しい。
 お願いしますよ。」
 
(週刊文春2015.3.19 より引用)
2006
    
 
 
悪かったね
自分も母子家庭で育った人間だよ。
 
私の母親は、ずっと女だったよ。
男ができて出歩いてもいたけど、それが淋しいと思うよりも、
片親じゃない生活ができるかも知れないと、私自身は喜んださ。
 
恵まれた生活をしている人妻は、
女として遊びまくって良いとでも言いたいのか?
 
母子家庭の母親は、子どものために全てを捨てなくちゃいけなくて、
第2の人生を歩む道すら閉ざさないといけないのかい?
 
という感情が、反射的に生まれた。
 
知りもしない母子家庭の現状を、
両親揃った家庭での生活しか知らない人が、
頭の中で勝手に作り上げた「不幸」を論じた事が、許しがたいと思った。
 
 

離婚率が上がり、片親世帯が増えている今、
とくに母子家庭における経済状況は悲惨な状態で、
年収が130万を超えない世帯は半数に近いと新聞報道されている。
 
そんな家庭に育つ子ども達を誰が助けるのか?
という疑問には、作家はこう答えを出し文章をまとめた。
 
 
「行政はもちろんであるが、近所の私みたいなおせっかいなおばちゃんたち、
 どうか気の毒なお母さんたちに手を貸してあげてほしいのである。」
 
 
あのね 
言うのは、簡単なんだよね。
 
ほんのちょっとの事、簡単な手助けで救われる部分はたくさんあるけど、
年収が130万に満たない母子家庭に手を貸すって、
簡単な事じゃないんだよ?
 
そんな年収じゃ、
金借りる事だって今はできないんだよ?
  
それは行政で、とか言うのは無しだよ。
 
そういう家庭は、どうにか自力で暮らそうと必死に頑張ってるし、
行政からの援助はもらえるだけもらっても、厳しい状況なんだから。
  
個人が個人を助けるのには限界があるし、
綺麗事じゃ済まない覚悟が必要だし、
中途半端はありがた迷惑にしかならないって事くらい、
小説を書く頭があるなら、想像して欲しいものだって思う。
 
 
5689dfpc
 
 
たぶん、誰しもが、
悲惨な経済状況に追い込まれている人達に
何か手助けをしたいという気持ちは持てると、思っている。
 
でも、実際に、
手助けする事はもの凄く難しい。
 
リアルに言えば、生活費を毎月援助できるか?
って事にもなるからだ。
 
自分の家族にすら援助の手を差し伸べない人が少なくないのに、
他人のために自分の生活を圧縮してまで手助けする事をできるか?
と考えれば、その答えは簡単に見えてくるだろう。
 
 
作家が自分を「おせっかいなおばちゃん」と言うなら、
その知名度を利用して
恵まれた生活をしている人妻達を焚き付けてでも、
母子家庭を助ける基金でも設立するような運動を始めれば良い、と思う。 
 
そうでなければ、実際に某かの金を、
たった1家庭でもいいから与え続けて欲しい。

そういう行為を実際に行わずに、
偉そうに手を貸して欲しいと言えるなら、
まさに低収入家族を卑下しただけの文にしか読めない、と私は思う。
(やってるなら、その経験を踏まえた文章を入れないと説明不足)
 
 
格差社会の中では、
富める人達は多くの寄付行為を行う。 
 
それは、社会の中で成功した事へのお返しであり、
他人より多くの収入を得た者が背負う、義務的な行為でもある。
 
そしてそんな支援をしている事を、
決して口外しないのも当たり前。
 
それは、格差社会では当然に行われる行為であり、
才能ある者や可能性を秘めた人を育成する事で、
大きなリターンに繋がる事も含めての寄付行為でもあるからだ。
 
 
そういう自分は?
 
見ず知らずの人に、
分け隔て無く援助するような財力は、全くありません。
 
ただ、できる事は微力だけど、できる範囲でやってきました。
 
でもそれも誰かの様々な支えがあって実現している事だし、
「お互い様」だと思うからできた事。
 
社会に生き、社会に生かされ、社会から得て、社会に返す。
 
そういう中では、同じ社会の中に生きて、
愛情を持てる人達には、精一杯の事をやってきた。
 
それだけは、自信を持って言える事。
 
そして、それは、母子家庭で育った子ども時代に、
母親が付き合っていた男達が与えてくれた様々な愛情に報いる、
自分なりのお返しでもあるんだと、今は気づいている。

agosto

「春節に帰国するんですけど、友人達がパーティーを企画しているので
 いらっしゃいませんか?」
 
 
そんな誘いを受けて、出かける事にする。
 
仕切ってくれたのはMC関係者なので、
半分冗談で質問してみた。
 
 
「ドレスコードは?」
 
「フリーで。」
 
 
私的な集まりだから、正装は必要無い。
 
ただ、集合場所はMC関係者の店なので、
ノリで正装してくる人もいるだろうな・・・
と思ったのも事実。
 
主催は誘ってくれた友人が属する東京のMCだけど、
兄弟のようなチームなので、2チームの正装が揃ってしまうと
かなり威圧的になってしまいそうだから、
通勤着と皮パンででかける事にした。
 
 
5394Dcm
 
 
結局、こんな感じ。
 
正装じゃん?
これなら正装で来れば良かった??
 
まぁ、楽しければ良いけど、ね(^_^;
 
 
この日は貸し切りにして頂き、
スタンディングで楽しむ事になっていたけど
乱入する人もいて人口密度がどんどん上昇する。
 
 
5398Dcm
 
5464Dcm
 
 
パーティーという事でバイキングスタイルでの食事になったけど、
MC関係者が作る料理だからか、繊細な感覚と豪快な感じが入り交じる風情があった。
 
化学調味料を使わない事から素っ気ない味わいにも感じられるけど、
素材の良さが伝わる料理で、食べていて楽しい。
 
その上、仲間との久しぶりな会話という調味料があり、
勿論酒もたっぷりとある・・と。
 
 
今、悩んでるんですよ〜な話だったり、久々に見る大御所の昔話だったり、
とにかく時間はあっという間に過ぎていく。
 
 
5449Dcm
 
 
去年50周年を迎えた我がMCが何故存続してきたか・・・を考えた時、
勿論、求心力ある大将の存在が大きい事は当然としても、
こういった形で、日本各地で集まれる仲間が揃っていることも大きいのだろう、と、
楽しそうな皆を見ていて気づかされる。
  
東京のMCも我がMCと動きを同じにする事が多く、
我がMCだけでも自分が所属する会社なんて比べものにならないほど大きな組織であり、
そんな集団が見事に統率されて動いていける力があるから、
仕切り屋がいないこんな集まりでも気持ち良く流れていくのだろう。
 
それにしても、ここの料理は優しい。
 
今日はパーティースペシャルで通常の物とは違うのだと思うけど、
料理は作り手が顕れるものだから、通常営業の料理も想像ができる。
 
 

5446Dcm

 
 
「今日はパーティーでワインはハウスワインにしちゃいましたけど、
 普段だったら色々選べるので、是非また・・・」
 
 
そんな声までかけてもらって、
是非、ここへまた来ないといけない、という思いを強くする(^_^)
 

しかし・・・
 
今日は、ビール&ワイン、飲みすぎだ・・・わ(爆)
 
 

5432Dcm

 
 
   agosto
    045-568-4737
    横浜市西区中央1-2-11
 
    ランチ(平日)11:30~14:00
    ディナー   18:00~
    不定休(らしい)

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