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日記的雑感 Archive
不安
- 2015-02-15 (日)
- 日記的雑感
「なんか最近、戦争に向かうような気がして不安なの」
「どうして?」
「色々な情報が流れすぎてて、何を信じていいかわからない。
自分勝手な解釈だろうって思っても、全体的には戦争できる国へと
流れがあるような気がして、恐い。」
そんな会話を聞いて、思う。
日本は、事実上、戦争なんてできない、と。
憲法9条があるから、じゃない。
軍事力が低いから、でもない。
日本には、自給自足で今の社会を維持する能力が無い、からだ。
では何故日本が、戦後あらたな戦争に巻き込まれなかったのか?
それはパクスアメリカーナの下、核とドルの傘下に日本が存続していたからであり、
軍備的にはアメリカ軍の補完しか許されず、食料自給率も意図的に下げられて、
アメリカの許可無しには何もできない状態であったからだと思う。
そしてそれは、今も何も変わっていないと言える。
と言うか、
さらに戦争できない国へと締め付けが強くなってるようにさえ、思う。
例えばTPP。
関税撤廃で環太平洋の貿易を自由化するとの考えは、
アメリカから見れば、食料自給率が高い国へのアプローチに相当し、
環太平洋におけるアメリカの平和を維持するための方策と言っても良い。
これによって競争力を失う国内生産品は存続が不能となり衰退し、
いざ戦争となった時の対応力を今以上に失う事となる。
日本の場合は食糧自給率の問題だけじゃなく、
燃料の類等の海外依存性の高さがあるので、
開戦、即時講和、という流れ以外、戦争の状態を維持する事はできないのだが、
それとて、ICBMを持つ国には敵対能力が無い事は、誰でも想像できる事だと思う。
つまりアメリカは、日本が個別的自衛権による国防を考える事は絶対認めないし、
(=アメリカと戦争しても負けない軍備をする、という事になる)
アメリカを襲うICBMを迎撃する能力もアメリカからの攻撃には無力になるよう
何等かの仕掛けがされていると考えるべき、と思っている。
何故ならアメリカは第二次世界大戦で、
国際法に反して、非戦闘員(一般市民)の大虐殺(空襲や原爆投下など)を行ったほど、
日本を怖れているからに、他ならない。
そしてその結果、一般市民が武器となる物の所持をする事は固く禁じられ、
日米地位協定は安保が存続する限り撤廃する気配も見せず、
自衛隊の基地と米軍基地が同居するような監視体制も張られているワケだ。
だが近年、中華人民共和国が昔の感覚で領地増大を進め、
アメリカは経済的問題もあって世界の警察気取りを後退させ、
東アジアの安全はアメリカ同盟国に担わせる方向性が示唆されてくると、
俄然、日本への軍備負担の必要性も考えるようになった。
そこでアメリカは、日本がアジアをまとめてアメリカと敵対する恐怖を
色々な方策を使って緩和しながらも、軍備拡充を進める方向性を模索している。
それに対し反アメリカ勢力は、日本が完全な独立をしないように世論調整を図り、
SNSに踊る民衆の感情を、はき違えた意味を持たせて煽るという戦略に出ている。
(集団的自衛権とかね)
実際アメリカは、
見えない部分で日本の軍備を増強させているのが現状なんだが・・・
でも
それでも日本は
単独で戦争なんて起こす事はできない。
ミサイル一発でその地域が使えなくなってしまう原発施設を各所に持ち、
食料・資材・燃料等日々生活に必要なモノを輸入に頼る事が当たり前になっている日本には、
どんなに優れた武器を所有しても継続的な戦闘は不可能なのだ。
そしてそれを証明するのは、まさに第二次世界大戦の結果、だと言える。
ただ、
そんな戦争ができない国であるが故に、
侵略的な行動に対しては弱腰にも見えてしまうのは、事実。
そしてそんな動きに対して、
地方分権が叫ばれ、国と国との約束よりも
地域の長が決める方針が先立つような気配が大きくなっている事は、
好戦的な国民意識を醸成する流れもまた、育んでいるように感じる。
一つの独立した国として、
明確な意思を持って動かなくてはいけない時は、必ずある。
国を構成するのは国民であって、地方、地域、という集団ではない。
主権在民という占領下の国が持つような憲法を大事にしている日本であるからこそ、
国としての動きをどうすべきかを我々国民は問われている気がする、
と言ったら言い過ぎだろうか。
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布施
- 2015-01-07 (水)
- 日記的雑感
今年の年越しは
色々気づいたり考える事があった。
「情けは人のためならず」と生きてきても
自分への戻りは気持ちの問題だけ。
視点を変えれば
利用されまくったようにさえ見えてしまう。
でも、やっぱり
自分の行為は自分をどうにか支えたと
気づく事もできていた。
大事に思って自分の欲は忘れて
できるだけの事をやってきても、
その結果がよく見えない事は当たり前で、
だから自分が、何を頑張っているのかもわからない
という気持ちに苛まれた1年でもあった。
同時に、
年を越す時、社会人としての寿命がリアルに感じられた
って事も大きかった。
後、こうやって今までと変わらずに動けるのも
3回しかないんだな・・と思えば、
残された寿命を全うする時間をどうやって生きていくか・・は、
リアルに考えなくてはいけない、とも思ったのだ。
思えば
私の世代にとっては
必ずお目付役やご意見番と言える大人がそばにいた。
「小僧、その考えは優しくないぞ」とか
「その考え方は間違っているぞ」とか
理路整然と指摘してくれる大人がそばにいたように、記憶している。
では、今はどうなのか?
そもそも「これが正しい」と自信を持って指摘できる人が
恐ろしいほど減っている・・・と感じてしまう。
その上、年齢差のある関係で、説得力ある話ができる人間が
実に少なくなってもいるのだと、感じている。
何故だろうか?
それはたぶん
アメリカ的な教育のせいだと
私は思っている。
それまでの日本独自に育んできた文化を否定し、
アメリカ人が理解しやすい人間に育てるための教育のせいだと
思っている。
日本は、島国だ。
外敵が殆ど来なかった国として
長きに渡る歴史を育んでこれた国だ。
士農工商という階層設定があったけど
そのトップに立つ階層には、
名を重んじ、誇りを守る為に死ぬ事を求められていて
その判断・行動には常に「自らの命をかけて」という責任が伴っていた。
だからこそ侍は、必死に生きたのだと思うけど、
それ以外の階層はどんな生き方を良しとして生きたか・・と言えば、
それはやっぱり仏教の教えだったのだと、私は感じている。
我が家は
真言宗の教えを守って生きてきた。
布施という言葉があるがその意味は
人に慈しみの心を持って接し、
人々に自分の財産を与え(財施)
仏の教えを説き(法施)
怖れを取り除く(無畏施)
などを人に施す事となっていて、大切な修行の一つとなっている。
他の修行としては
「持戒」=ルールを守ること
「忍辱」=苦難にあって堪え忍ぶこと
「精進」=修行に励むこと
「禅定」=精神を統一すること
「智惠」=心理を見極めること
というのがあるが
これはひょっとしたら日本人が基本的に大事にしてきた生き方その物では?
と思ったりもする。
もちろん、自分の財を人に与え・・というのは難しいから
「無財施」という自分の財を使わずにもできる布施もある。
「眼施」=人に接する時に優しい眼差しをする
「和顔施」=人を和ませる穏やかな笑顔を見せる
「言辞施」=相手を思いやる優しい言葉を使う
「身施」=相手を思いやる行いをする
「心施」=相手を思いやる心を持つ
「床座施」=身体の不自由な人などに席をゆずる行い
「房舎施」=自宅を利用して社会奉仕などを行う
という7つがあるのだが、
これを見れば、日本人が基本的に持ってきた大事な行いは
仏教がそもそも教えてきたものだ、と考えられるのではないだろうか。
そう
お前それは間違ってるよ・・と指摘してきたのは
坊主だったと、思えるのだ。
でも
そんな教えや生き方をひっくるめた文化を否定したのは
アメリカだと思う。
ところがそう簡単にはいかない。
ギネスに認定されるほど続いている国家に根付いた文化は
ちょっとやそっとで廃れるほど柔じゃない。
それぞれの家では、
生き方として、家風として、
家そのものを大事にする考え方として染みついてきた文化は、
ちゃんとした家であればあるほど、
躾という名の教育がなされ、恥の概念も教え込まれてきた。
だから、日本人の考え方の基本として
今も脈々と生き続けているのだと、感じている。
戦後の復興、右肩上がりの高度成長期、
他人を蹴落としてでも人の上を行けばそれだけ儲かる時代があったから、
「そんな教えはくそ食らえ」と利己的に生きる人達も多くなったけど、
それでも社会のトップにいた人達は、日本が大事にしてきた生き方を外れずに
ここまでの国に育ててきたのだと思う。
ただ、
そんな世代の最後年代がリアルに社会からリタイアをしてしまった今、
押さえつけられていた利己主義な世代がトップを張って、
日本は本当に占領下の国らしい様相を見せてきた。
主権在民は聞こえが良いが、
国民一人一人が実は何の権利も持てない今の日本。
「スジを通せ」と言ってもそのスジが何だかわからない社会、
そもそも日本が大事にしてきた「スジ」という物が何であったのかも、
見失いつつある。
だからこそ
仏教の教えにもヒントがあると
今頃になって気づいたのだろう。
島国故に大事にしなくちゃいけなかった思いやりや、
そもそもの国の名前「大和」にあるように、
大きな和を持って国となしている自分たちの社会を、
大事に、大切に、育み、守り、次の世代に繋げていく事が
今の日本には一番大事な事なんだと、
この歳になってやっとわかったような気にもなれたのだろう。
考えてみれば
自分の生き方はいつもそうだった。
表面的に場を和らげたり盛り上げたりする事が苦手だったけど、
見えないところや、気づかれないところでこそ
思いやりを持って動きたいと心がけ、
そうやって生きてきた事だけは確かだと、思っている。
実に利己的な考え方だったと思うけど、
気づいてもらえなくても、誰かの助けになっている事ができているなら
それは自分を救う事と同じだと考えられていたから、
自分の中で折り合いがついてきたのだと思うけどね。
そろそろ、時間が無くなってきた。
同時に力を失う時期も見えてきた。
それは自分にとっての布施の方法を
変えなくてはいけない時期が近づいた、という事でもある。
新年早々
そんな思いを込めての提案を上席に投げてみたんだけれど、
残念ながら反応は芳しくない。
でもそれも
ある意味「流れ」なのだと受け止めている。
できる事をできるだけやろう。
無理はしないけれど
漏れは無いように粛々と。
そして、その先を見据えながら、
生きていければ良いと思っている。
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今年も喰らおう
- 2014-12-23 (火)
- 日記的雑感
今週末には職場で「仕事収め」をする人も多いだろう。
我が社も一般職は26日に仕事が終了するので、
ぶっ続けで仕事する人も含めて「仕事収め」を開催する。
自分は勿論・・・
稼ぎ時の年末年始に出勤が入っているけど、
それももう慣れっこの事で、仕事終わりに行きつけのバーに行って
いつもと違う空気を味わうのが楽しみになっていたりする。
でも、大晦日の「蕎麦喰い」だけは外さない。
そう今年も
108枚の蕎麦を喰らうのだ。
1983年頃から始まった年越し蕎麦喰い会。
108の煩悩を払うべく、我がクラブは108枚の蕎麦を喰らって
煩悩も厄も腹に収めて消化してしまおう・・という会を
今年もいつも通りの場所で開催する。
日時:12月31日
19時30分(受付) 20時(開始)
場所:横濱そば處 江戸藤
横浜市南区真金町2−12
会費:2000円(酒代別)
今年も煩悩と厄に塗れた1年だった。
新しい年を迎えるためにも、
煩悩を喰らい尽くしたいと思っている。
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嫉妬
- 2014-12-12 (金)
- 日記的雑感
20代だったと、思う。
とにかく、
筋を通そうが完璧に仕上げようが、
ひたすら怒られ、意思に反する命令を受ける事が、あった。
何故だか、わからない。
命令そのものを聞いていれば理はあるように聞こえるけど、
元々のオーダーから考えれば理不尽な事になるので、
正直、イジメか嫌がらせにしか、感じられないでいた。
「それはな、嫉妬だよ」
「え?」
「人はさ、自分がやりたくてもできない事をあっさりやられてしまったり、
見事なまでの結果を当たり前に見せられると、
なんとなく面白くないと思うものなのさ。」
「でも、嫉妬・・ですか?」
「そうだよ。
自分に持ってない物を見せびらかすヤツは
面白くないだろう?」
「まぁ・・・確かに。
でも、それは物の話ですよね?」
「同じだよ。
物だけじゃない、能力だろうが、育った家だろうが、学歴だろうが、
全部自分では手に入らない物を持つヤツには、嫉妬するものなのさ」
大先輩に相談した時、
先輩は明確に嫉妬が原因で起きている現象だと指摘したのだが、
その頃の私には、単なる嫌がらせにしか感じられなかった。
何故なら、
文句をつける人は何だって持っていたからだ。
容姿端麗で立派な学歴を持ち、
社内的にも地位は高く、
勿論サラリーも高くて仕事もできる人だったからだ。
「いいか、良く聞け。
嫉妬ってのは女がするもんじゃない。
と言うか、女の嫉妬はまだカワイイもので、
野郎共の嫉妬の方が遙かに恐いし、質も悪いのだぞ。」
「そうなんですか?」
「たぶん相手は、お前の真っ直ぐなところや、
仕事の出来やスピードを見て、その能力に引け目を感じたのだよ。
そして嫉妬した。
ひょっとしたら嫉妬だと気づいていないかも知れないがな。」
「・・・そうなんですか」
「偉そうな事を言うヤツは、偉そうにしたいのさ。
人の上に立ちたいヤツは、能力あるヤツを蹴落とす事しか考えないのさ。
そして会社なんてものは、好き嫌いで全てが決まってるようなところだ。
だから、能力を見せびらかして仕事するヤツは、鬱陶しくて目障りで、
しかも自分の地位を脅かす敵にしかならず、嫌われて扱いが悪くなるのだよ。」
「どうすれば良いのでしょう」
「能力を隠せ。
それと、
無意識にでも相手を下に見るような態度は、見せない事だ。」
そんな会話をした後、
職場が、下卑て気持ち悪い世界に見えて、嫌気がさした事を思い出す。
若かったよね。
そりゃ20代だしね。
でも、仕事は飯の種だ。
だから、仕事がある事を感謝して、
その感謝に対して笑顔を作っていれば良い・・と思う事にした。
仕事だけが人生じゃないし、
仕事だけが自己実現の場ではない。
自分にはまったく仕事とは関係の無い世界があるし、
表現もまた、自分だけの場を持っている。
それを考えると、
メディアの世界で働く魅力なんて、実に大したことの無い物だと理解できた。
そして30年近く年月が流れたが・・・
今、感じるのは、
やはり人は好き嫌いで物事を見がちだ、という事。
それと、何かを否定する事の根底には、
嫉妬という物が隠れている事も。
そりゃ、
隣の芝生は青く見えるだろうよ。
でもそれは、仕方の無い事でもある。
上っ面しか見ないから、自分の気持ちの中にある
「欲しくても手に入らないモノへの欲望」が、余計にそう見せるのだ。
そして
「手に入れてしまえば途端に色褪せる」という経験が無ければ、
いつまでも「隣の芝生は青く輝いて見える」だけの事だ。
嫉妬も上手く使えばエネルギーになるし、
そのエネルギーを気持ち良い方向に発揮すれば
世界は違うように見えてくる。
「手に入らない」と自分で決めつけるではなく、
手に入れる努力をし、手に入らないならそれを凌駕できるモノを
必死に手に入れる努力をすれば良いだけの事。
そして手に入れたら「何だ、こんなもんか」と知る。
それをどれだけ重ねたかで、
人はきっと、嫉妬を上手く捨てる事ができるようになるのだと、思う。
人生はきっと
いつまで経っても頂上に辿り着けない坂道を登るようなモノだろう。
振り向いてみれば、自分が登ってきた世界を、俯瞰して見る事ができる。
そしてその世界が素敵だったら、そこで登るのをやめても構わないのだ。
でも、自分より前に、自分より高いところに登っている人がいて、
自分の不甲斐なさを感じるのなら、やっぱり登っていくしかない。
最初から高いところにいる人もいるし、
健脚で下から追い抜いて登っていく人もいるけど、
その人達の脚を掴んで止めても、間違えれば一緒に転げ落ちるだけの事だ。
だから、
今、ここまで登った事を、
疲れたら休んで振り返って確認して、
それでももっと高い所から世界を見たかったら、
また登れば良い事なのだ。
最近だけど、
きっと頂上には辿り着けないと悟って、
ゆっくり振り返りつつ、登る事を良しとする自分がいる事に気づく。
でも、まだ脚を止める気には、ならない。
脚が動くうちは、少しずつでも登っていきたい。
そして動けなくなったら、
その時はゆっくりその世界を俯瞰して
今度は何が見えるかを探せば良いと思っている。
え?
辿り着けないと思ってた頂上に着いてしまったら・・だって?
そりゃ、その時は
お祝いすりゃ良いじゃん(爆)
そしてそれからどうするかは、
その時考えれば良い事、だよね。
でもさ
頂上の位置は、登る人の意識でどうとでもなるモノなんだよね。
頂上だと思ったら、
別の坂が目の前にあったりする事も・・・
あったりするんだしね(^_^;
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50th
- 2014-11-25 (火)
- 日記的雑感
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
と謡い舞ったとされる信長。
幸若舞の「敦盛」の一節だが、
人生は短く儚く、人間は必ず死ぬ運命にある事を敢えて謡い
桶狭間の戦いに赴いたのはあまりに有名である。
我がクラブは
50周年を迎えている。
信長から見れば、一生の長さを持った
モーターサイクルクラブなのだろう。
それはある意味奇跡で、
その存在は既に伝説の域に達しているのかも知れない。
「失礼ですが、背中を撮影させてもらっても、よろしいでしょうか?」
突然、街中で声をかけられた。
瞬間的に応える。
「だめです。
申し訳ありませんが、許可できません」
「わかりました。
ずっと憧れていたのです。
本物を見る事が初めてでしたので、失礼を承知でお願いしました。
でも、見る事ができただけで幸せです。」
そう私に声をかけたのは
まだ若い空気を持つごく普通の男性だった。
正直、驚いた。
でもそうやって、
我がクラブは今の時代でも
誰かの心の中に存在しているという事を
知らされる。
その日は兄弟達が集った日であり、
私は傷む脚を持て余しながら燃料切れとなった身体に
アルコールと炭水化物をぶち込んだ後、
帰宅する最中の事だった。
だから正装でいたのだけど、
そんな日にそんな声がけがある事は
50年続いた歴史の重さの証明でもあるな・・・
と感じている。
考えてみれば、本格的にクラブに関わってから
既に30年以上の月日が過ぎた。
仕事の関係から、人が寝ているような頃とか
普通の人が生業に時間を取られているような頃にクラブに顔を出していて、
顔を出す度に違う世界の空気を吸い込み、
その都度、それまで自分が培ってきた感覚を破壊され、
自分らしく生きる事の大切さと難しさを理解させられ、
そして、自分らしく生きる事を実践する道を選ぶようになっていく。
そりゃぁ、色々な事があったよ。
数多くの「出会い」と「別れ」が。
そのどれもが大切で重く、
必然で不可欠なモノだった。
それらは心に小さな傷をつけ
時には穴を開けたり、
時には傷を埋めたりもして
今の生き方が形成された事は、理解できている。
そしてそんな社会の中に生きられた事を
幸せと言う以外に、選ぶべき言葉は見つからない。
最近、言葉を紡ぐより
その場で感じた事を映像として切り取って
1枚の画像に作り上げたモノの方が
自分の感じたものをストレートに表現できる事に気づいている。
だから、以前ほどこうやって書く事は少なくなったけど、
自分の中では「一時の傾向」だという事もわかっている。
画像より文章の方が自分らしい表現ができる時期と、
今の様に画像の方が自分らしい時期というのが、あるからだ。
という事で、クラブの公式行事は、
大将の許可が出たらアップしたいと思っている。
一つの時代に区切りがついて
新たな時代を迎える時に立ち会えた事は
とても嬉しい。
そしてその区切りの中の1シーンを切り取る事ができた事は
望外の幸せだ。
信長が舞った「敦盛:人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
の一節には、続きがある。
「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」
意訳すればこうなる。
「人生50年の歳月は、下天(六欲天最下位の世)の1日にしかあたらず、
夢、幻と同じで短く儚いものである。
生まれた者で死なない者はいない。
これを悟りの知恵と見て、仏の定めと理解できなければ
悔しい人生を過ごす事になろう。」
我がクラブも、その存在をどう捉えるかで
メンバーそれぞれにとっての価値は、大きく変わるのだろう。
私にとっては、
なくてはならない存在、
背を向ける事ができない存在、
である事は言うまでもない。
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