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日記的雑感 Archive

久々に外飲みしようか?(延期のお知らせ)

   昨年、諸般の事情で開催しなかったので
   久々に東屋で外飲みをやろうかと(^_^)
 
   とお知らせしたけど、台風の影響もあってか
   20日の開催は難しそうな模様。
 
   という事で、翌週27日に開催します。
   
  

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      日時 9月27日(土)
      場所 いつもの場所(中区山下町公園東屋)
      時間 18時頃から22時まで
      持参品 マイカップ・マイ箸・飲み物・食べ物
      参加費 例によって無し 
       ※自分の飲み食いする分を持参してください。
 
      ゴミのポイ捨て厳禁
      飲酒運転厳禁
       ※飲む人は、公共交通機関を利用の上参加の事。
        ◎飲んだら乗らない
        ◎飲むなら泊まれ。

      飛び入り歓迎です。
      挨拶・スマイルしましょう。
   
      延期・中止の場合は、当日午前中に告知します。
 

ホフブロウ

       ハマには色々な国の船乗りが集うバーが
       数多くあった。
        
       船を降りて横浜に居着き、そんなバーを開く者もいて、
       店名の最後に「ラストスタンド」という常套句が付いていたり、
       店内にはエンジン・テレグラフ(操船者が機関運転指令を連絡する装置)が
       置いてあったりする。
       (港のイメージを付けるために置いてる店も多いけど)
 

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       そんな店も、円高や不景気、輸送形態の変化によってか訪れる船乗りが減って、
       また、オーナーが死去したりして姿を消していったのだが、
       生き残った店は、横浜らしさを匂わしつつも現代的な店へと変貌している。
 
       久々に行こうと思った「ホフブロウ」もそんな変身を余儀なくされた店だけど、
       昔ながらのメニューもいくつか残っているので、それを目当てに行く・・ワケだ(^_^;)
 
 

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       横浜は雨は上がり、気温も下がった。
 
       気付けば秋?
       な気分にもなるけど、今日の目当ては「スパピザ」と「ビール」。 
 
       「スパピザ」とはこの店の名物で、
       鉄皿の上にナポリタン系のスパゲッティを乗せ
       その上チーズを乗せてオーブンで焼いたもの。
 
       もともとはドイツの家庭料理を参考に作られた物だと聞くけど
       店のオーナーは昭和22年に店を作った人とは関係無く
       店が入ってるビルのオーナーらしい。
 
       現在の店は昭和55年に海岸通りから移転してきたのだが、
       仕事の関係でよく使うようになったのはそれから数年後の事。
 
       当時は、ホテルの食事が高いから・・と食べに来る人や、
       昼間っから飲みたい人達が多くいて、カウンターでは一日中
       ジョッキを煽る人達で溢れていた。

       昼のランチを食べに行く事もあったけど
       サービスしてくれる外国人の高齢な女性がいて、
  
       
       「何する?」
       
       「スパピザを」
       
       「そんな物食べたら身体に悪いからやめな」
       
       「・・・」
       
       
       みたいな乱暴極まりない口調が有名だった。
       
       だから、この店は嫌いだ!って叫ぶ人も結構いたけど、
       それも味のうち・・と楽しむ事にしたのだが、
       食べたい物を食べさせてくれなかった事を思い出す。
       (だったら売るなよ?・・みたいな)
        
       異動になって夜も寝られない仕事になってからは
       明け方まで営業していたこの店で朝ご飯。
        
       モーニングセットがあったけど
       明け方まで営業していたバーテンダーがビールを飲みにも来るので
       コッチもそれに乗っかって朝5時から飲んだくれ~♪
       な事にもよくなっていたっけ(爆)
        
        

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       しまった・・・
       量、凄かったんだ(・.・;
        
       しかもグツグツと沸くチーズは油の海に泳いでいる。
 
       う~~~ん
       カロリーが恐い。
 
        
       あ・・
 
       懐かしいな、この味。
 
 
       前のオーナーが変わった時に
       本来のうどんの様なスパゲッティが細めのパスタになって
       何だか違う料理になっちゃったなって思った事を思い出すけど、
       今日のこれは、麺は細めでも味のバランスが良くなっていて妙に美味しく、
       しかも以前の味わいに近いと感じさせられた。
     
       たまに来る時は必ず「麺半分にしてね」って頼むんだけど
       今日はこれで1日分のカロリー摂取と諦める。
 
       そしてこの焼けたチーズがビールに合い、
       ナポリタンと言うよりもミートソースに近い味わいのソースが
       妙に美味しかったりするんだな。
 
 
       あ・・・
       でも、この料理、以前はこんなにチーズ使ってなかったよ。
 
       しかも麺やチーズがもっとパリパリになっちゃうほど焼かれてて・・・
 
       そうか
       料理人も変わったんだな。
 
       懐かしいだけでは生き残れないって思ったのか、
       今の人の嗜好に合わせてチーズを選び量を増やしたのかも、知れないね。
 
 
       変わったと思わせないで
       アップデートするのは難しい。
 
       でもそれが、生き残る術なのだろう。
 
       そんな事を感じる休日、
       自分のアップデートはちょっと情けないって思ったら
       余計にビールが飲みたくなった(^_^;
 
 
       ごちそうさまでした。
 

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「ザ・ホフブロウ」
 045-662-1106
 横浜市中区山下町25-1 上田ビル1F

集団的他衛権?

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集団的自衛権について、どこまでの理解がされているのだろうか?
そんな思いを持ったのは7月の頃だった。
 
そもそもこういう事だよね?
って事を論ぜずに表面的な一部分を取り上げて
何が何でもダメという論調のマスコミ報道は
SNSを介してモンスターな情報に変化していく。 
 
今話題の「朝日新聞・慰安婦報道問題」も同様で、
戦時に起きた女性に対する人権蹂躙な行動そのものに目を向けず
表面的な一部分についての事で大騒ぎをしているようにしか見えない。 
 
そしてSNSでの情報はもっとエキセントリックに変化する。
 
だから、
問題はそこですか?
って思ってしまう。
 
裏も取らずに条件反射で情報発信する個人をどうこう言う気は無いけど、
集団的自衛権の解釈についての閣議決定が出された後、
徴兵制が始まるとのデマが流れた事は記憶に新しく、
モンスター化した情報に、悪意を絡めた操作が見え隠れしてくるのは
実に気持ち悪かった。
 
何だろうね、この違和感。
 
 
論点が違う
 
最近の報道は
稚拙を通り越して罪深い行為に見えてくる
 
そういう、なんともモヤモヤした気持ち悪さ・・かな。
 
 
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集団的自衛権とは
国連憲章に謳われた独立国家が持つ権利として
第二次世界大戦後に確立した考え方による権利、と言っていい。
 
それまでの時代は、独立国家の権利として個別的自衛権は認められていたのだが
その結果は歴史が証明する通り、軍拡の道に繋がってしまった。
 
そりゃそうさ。
自分の国は自分の力だけで守る、というのが個別的自衛権だから、
全世界のどの国が攻めてきても守れるだけの軍備が必要になってしまう。
 
その上、軍拡を進める近隣他国の姿が見えれば
疑心暗鬼に陥り、やられる前に潰してしまえ・・という発想も
軍部の中に生まれてきやすくなるワケだ。
 
そんな時代に起きた第二次世界大戦のような事態に二度と陥らないよう、
国際連盟が招いた大国の脱退も起きないよう色々の方法論が採られ、
なかでも「集団的自衛権」は
独立国家の権利である旨を国連憲章第51条に規定して
国際法上承認される事が、確認された。
 
これは、国際連合に所属する国家が紛争に巻き込まれた場合、
国際連合に所属する他の国(紛争当事国は除く)が協力して紛争を集結させる
という意味合いもあるのだが、
同時に軍事同盟等による集団的自衛権の行使も
国際連合はその権利を害さないという規定としても、盛り込まれている。
 
 
って話になると、わかりにくくなってしまうよね。
 
要するに、国際連合は集団的自衛権の上に成り立つ組織であり、
所属する国には、当然に集団的自衛権の行使が求められるという事だ
って言えば、乱暴だけどわかりやすいだろうか。
 
 
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大事なのは「自衛権」という権利の事。
 
間違っても「集団的他衛権」では無いって事。
 
どの国も自国を防衛するために持つ権利として
行使するって事。
 
そしてこの集団的自衛権が日本にもある事は
大戦後の日本が独立する際確認されているし、
この権利があるからこそ他国の軍隊(米軍)が駐留し、
日本の国防に関われるのだ。
(集団的自衛権無く他国の軍隊が駐留し国を守っている状態は、占領下と言える状態)
 
つまり日本は、既に集団的自衛権を行使している、
と言っても言い過ぎではない。
(1951年の旧安保、1960年の新安保でも集団的自衛権を
 制限的に保有・行使できるとしている)
 
そして集団的自衛権を行使しているからこそ、
個別的自衛権の行使手段として持つ自衛隊の規模が
必要最低限であっても事足りているのは、紛れもない事実だと思う。
 
 
一対一の戦争はそれぞれの国の軍事力に影響されるが、
一対集団の戦争が起きにくくなる事は、子供でもわかる道理だ。
 
そしてNATOやワルシャワ条約機構ができて集団的自衛権の行使のもと
冷戦が終結に向かった事実は、集団的自衛権の行使が抑止力になっている事を
証明している。
 
だからここで今の
「集団的自衛権の行使=他国との戦争」
という論調に、異を唱えたい。
 
自分の国を守るために集団でその侵略者に対抗するのが、
集団的自衛権の行使。(その方法は武力だけに限らない)
 
他国へ戦争に出かけるのは集団安全保障であり、
(国連決議に基づいた連合軍へ協力し派兵する事)
集団的自衛権と混同するのが間違いなのだ。
 
そして憲法解釈の変更を閣議決定した、というのも、
実は1972年(田中角栄政権)の時点で出ている解釈(政府答弁)に基づいて
アップデートしただけ。
だからこそ、閣議決定のレベルで進めたって事でしかないのだ。
 
  
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なにか、感じませんか?
 
どこかのマスコミが、
集団的自衛権とはそもそもこういう物ですよ・・と
定義し解説した上での報道を行っていた記憶が、ありますか?
 
 
現在のマスコミの欠点は、ここにあると思う。
 
報道する物をちゃんと調べず(調べたかも知れないけど)
センセーショナルな表現を、浅はかにも連呼するばかり。
 
問題点をわかりやすく解説した上で、
事実を報道し状況を解説するというスタンスは
残念ながら殆ど無いと感じている。
 
それじゃ、
不快感ばかりが募るよね。
  
そして、嘘を嘘で塗り固めるような体質を持つ報道などは
見るに値しないものとして、区別するようになる・・と。
 
 
なんだか、怖い時代になってきたものだよね。

69年

マスコミの報道が地に落ちた事は周知となったが、
情報を鵜呑みして疑わない今の人達にも
問題はあるのだと思っている。
 
そんな人間を作り上げたのは、
たぶん、戦後の教育の為せるワザ。
 
記憶力が良い人間が良い点を取るような教育は
物事を考える力を伸ばすとは思えないし、
与えられた情報が正しいかどうかを考える訓練をさせないから
間違った情報も正しいと思い込む人間ができあがる。
 
そして権利を主張する事は刷り込んでも
義務の上に成り立つ事や物事の多面性は積極的に教えない。
 
その上今は、プッシュされる情報のシャワーに
疑い深い人さえ感情のコントロールをされてしまうのだから
今の世論の流れは、とても稚拙で恐いと感じている。
 
 
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資本主義は
儲かった者が勝つ社会だろうか?
 
儲けるためには何をしても良いのだろうか?
 
食べたら害がある物でも
コストが安いから使うのか?
 
なんて事が、ウェブ発信から明らかになっていく今。
 
テレビや新聞が流す報道は、
裏取りの甘さが素人でわかるレベルに落ちて、
既に死に体になっている。
 
そして、個人的見解に彩られた情報には悪意が忍び、
発達したウェブ情報網がそれを増幅して、
時には実力行使に繋がる「情報の暴力」と化す。
 
 
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8月は、日本が2回の原爆を受けた月だ。
 
無条件の殺戮が行われ、
69年経った今でも苦しんでいる人がいる。
 
その当時、これほどまでにも忌まわしい兵器である事が
わからなかったから使ったと言う説もあるが、
それこそどこかの新聞社と同じ詭弁に、聞こえてしまう。
 
放射能の怖さがわからなくとも、
その強大な破壊力が非戦闘員を巻き込む殺戮になる事を、
十二分にわかって使った事は誰にでもわかる事なのだ。
  
 
社会派と言われるオリバー・ストーン監督は
大学を中退し21歳に志願兵としてベトナム戦争に参加し、
15ヶ月間最前線で戦った。
 
その時の体験を元に「プラトーン」を制作しアカデミー賞を取り、
トムクルーズが主演した「7月4日に生まれて」で
ベトナム帰還兵の苦悩を表現して再度アカデミー賞に輝いた。
 
その「7月4日に生まれて」の中で誤射により一般市民の母子を殺害
するシーンがあって、「とんでもない事をしてしまった」と
兵士達が慌てるシーンが描かれている。
 
実際に戦場に行った彼が体験から描いた物である事を考えれば、
同じ米軍が広島で16万6千人、長崎で14万9千人を一瞬で殺戮した事が
どれほど罪深い行為であるかは、わかっていたはずだ。
 
でもそれを実行できたのは、当時の米軍の感覚として
日本人は人間扱いされていなかったのだろうと、邪推してしまう。
 
 

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不特定多数の人達に向けて発信する情報には
踏み越えてはいけない表現がある。
 
裏付けも必要だ。
 
だからマスコミは、
本来一人で情報を作り上げる事はせず
幾つかのチェックを受けてから、発信する。
(・・・はずなんだが)
 
だが、個人が発する情報は
得てして主観的で裏付けも弱く
感情的で扇情的、そしてそれ故魅力に溢れているものだ。
 
例えば今の集団的自衛権について、
多くの人が主観的な感情論で語っている現実を見ると
その危険性を強く感じてしまうのだが・・・
 
国という物を考えたら
必要なものは用意しなくてはならない。
 
ただ、先手必勝とわかっていても、
日本は先手は取らないと誓った国でもある。
 
多くの犠牲と、 
将来の国のために命を投げ出した人達がいて、
今の平和がある事を感謝して、
今の日本を守る事が生き残りの義務だと、思う。
  
そういう意味で今、溢れかえる情報を見ていると、
大切な事を忘れていませんか?・・・と問いかけたくなるんだけど、
その言葉が通じる自信が持てそうにない。
 
それが最近一番の恐怖だと感じている。

知覧

毎年夏は、戦争の事を考える旅を重ねてきたが、
今年は知覧へと思っていた。
 
1度は行ってこい、と言われていた知覧。
 
神風と言われた海軍特別攻撃隊ではなく
陸軍の特別攻撃隊基地である。
 
去年は長崎から足を伸ばそうと思ったりもしたが
早朝に出ても、滞在時間が短くなるので断念。
 
だから余計行きたくなっていたのだと、思う。
 
 
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徳川時代に一国一城と決められていたから、薩摩藩は鶴丸城を内城にし、
領内に113の外城を造って防衛を図ったと言うが、その中の一つが知覧だった。 
 
そんな歴史的な事も知らずに訪れた私は、こんな場所に何故ここまでまちゃんとした街があるのか
まずは驚いてしまったのだが、そんな外城に軍が入ったのは、
大陸に近い場所である事も含めて色々な条件が揃っていたからなのだろう、と想像する事はできた。
 
 
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「街全体が、慰霊する気持ちに溢れている」と以前に行った友人が言っていたけど、
確かに特攻平和会館へ向かう道には慰霊のために献燈された石灯籠が並んでいた。
 
そしてその灯籠には、出撃された方々の像が掘られていた。
 
 
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当初は、出撃され戦死された1036名分の灯籠を寄贈により設置されたが、
その後も寄贈の希望が多くあったため、寄贈の受付が再開され現在も数は増えていると聞く。
 
これは生半可な気持ちで訪れるわけにはいかないな・・と思うと同時に
何故か、怖さよりももっと温かい気持ちが溢れているような
不思議な感覚に陥った。
 
とにかく
穏やかな空気が流れている。
 
違和感無く・・・
  
 
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隼の実物大模型を見ても、特に心が揺れる事も無かったのだが、
特攻平和会館に入ると空気はがらりと変わる。
 
悲惨さや無念さがあるわけではない。
だが、そこには出撃し戦死された方々全員の写真と
遺書があった。
 
 
正直言って、遺書の内容等はある程度知識として持っている。
 
多くの制作者が、その事実を何とか形にしようと、
様々な方法で作品に仕上げてきた事も知っている。
 
その時代の考え方や戦況、
そういった時代背景も知識としては持っていた。
 
だが・・・
 
そこに並ぶ、まだあどけない顔つきの人達の写真が、
家族に宛てて書いた遺書の文字が、
その時の思いを伝えてきた。
 
 
頭を殴られた気が、した。
自然に涙が、溢れた。
 
そこにある覚悟に、
どれほどの重さがあるかが、
心に直に染み込んでくる。
 
 
だから、
ここへ来ないと
わからないのか・・・
 
活字で見る言葉より
肉筆で書かれた言葉の方が
どんなにリアルに思いを伝えるのか、
思い知らされた気持ちになった。

平和会館の展示物は撮影不可なので紹介する事はできないが、
そこまで足を伸ばし、ちゃんと対峙する意味の方が大きい。
 
戦争の空しさ、命の大切さ、
平和の有り難さを、ちゃんと考えるためにも
ここへ来る意義は大きかった。
 
 
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知覧へ来るもう一つの目的は
鳥濱トメさんだった。
 
特攻隊員の母親代わりとして語られる彼女がいた富屋食堂が復元されているので、
この目で見たいと思っていた。
 
店は資料館となっていて、
彼女から見た特攻隊員の姿が表現されている。
 
その資料の中には、平和会館で見た物もあったが
さらにリアルな感情を表現するものとなっていて
生きている意味を考えるよう、
彼女が諭しているようなスタンスが見えた。
 
 
生きているのは
なにかを成すための役割があるから。
 
だんだん、役目が外れていくように感じる日々を生きているけど、
お役御免と態度に示される事も多いけど、
それでも命があるのなら、別の役目が待っているのだろう。
 
自分の思いよりも
命有る限り全うすべき役目の方が重いなら
その役目を果たす事が大事なのか。
 
そんな事を考えさせられた、知覧。
 
来るべき場所、
来るべき時だったと、
いう事らしい。

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