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中華街昼Dcm
 
 
バブル時代というのは、確かにあった。
 
でもそれは、対岸の花火大会のようなもので、
仕事は潤沢にあったけど、それをこなすだけで終わる日々。
 
そして給料が凄く上がるワケじゃ無く、
ただただ疲れていた事だけを覚えている。
 
政治家は箱物を作りたがり、
バンバン債券を発行して借金を将来に肩代わりさせ
それこそジャブジャブと金を使いまくった時代。
 
大阪万博の夢を再び・・と地方博が至る所で開催され、
89年には横浜で横浜博が開催される頃に、
その店も「大物」という意味を持った名前を堂々とつけて
オープンする。
 
そしてその年は、
突然社命を受けて生番組の現場に放り込まれた年でもあり、
自前のワープロを持ち込んで原稿を書いたら(字が汚いからね)
「こんなもんじゃ、仕事にならん」と怒られた時代でもあった。
 
 
「スタンバイが12時前に終わったら、どっか飲みに行こうよ」
 
「終わればね。」
 
 
この場合に12時とは深夜0時の事を指す。
 
パソコンも携帯電話も無い時代、
昼間は情報収集とアポ取りの電話連絡で過ごすか、
取材を2〜3本まとめてこなすのが通常勤務。
 
そして夜は編集して原稿書いて、本番前のスタンバイ(準備)をやって、
仕事が一段落するのは大概深夜2〜4時となる毎日。
 
それでも朝は普通に出社しなくちゃいけなかったから、
30分でも睡眠時間を伸ばそうと家に帰らない(帰れない)体制が出来上がり、
深夜0時あたりで仕事が終了すれば1時間位は飲む余裕があったわけだ。
(逆に飲まないと寝付けないって事もあった)
 
 
「どこ行きます?
 肉喰いにジャックス行くとか、ゴージ行って軽く飲むとか?」
 
「ケーブルカーも良いなぁ。腹減ってるなら北京飯店で炒飯もいいけど」
 
「どうせだったら、タイクーンかバードに行きません?
 車あるんですよね?」
 
「あるけど・・・、だったらアロハカフェとかリキシャルームへ行く?」 
 
「VFWとかイタリアンガーデンとか?」
 
「そこまでわざわざ行って、食って即帰るのは・・やだな(^_^;」
 
「じゃ、県庁そばの吉野家行きます?」
 
「あのねぇ〜」
 
「491にしましょうよ、座れなかったら北京飯店とかゴージに流れるとして、
 どうせスターホテルで寝るんですよね?」
 
「そうだけど味気ないよねぇ・・・
 タイクーン行ってみる?」
 
「エスニックって大丈夫ですか?」
 
「パクチーがなぁ・・・」
 
 
こんな会話をアシスタントとしてはいたけど、
実際、ちゃんと終わるまで気は抜けない。
 
ただ、タイクーンはカリカチュアという名の建物に、
エスニック料理をメインとした無国籍料理店としてオープンし、
横浜バードというナイトクラブと一緒に営業を始めていた。
 
カリカチュアの隣の倉庫を改造したクラブは、ベイサイドクラブ。
 
そこでは、外タレの歓迎パーティーを局の仕事の一環で開催した事もあったし、
カリカチュアの一部で深夜からの生番組を放送したりしていたので、
自分達にとっても馴染みが深い店ではあった。
 
 

6643Dcm

 
 
「レストラン・タイクーン」は
5月10日をもちまして、閉店させて頂く運びとなりました・・・
 
ネットにその情報が流れて、驚いた。
 
ベイサイドクラブは、バイクのクラブにとっても馴染みがある場所だったし、
タイクーンとは色々と因縁があった店でもあったが、昨年ちょっとしたパーティーで
クラブメンバーが集って飯を食った事もあった。
 
場所柄、ボートで来て専用桟橋から入店する客も結構いて、
いかにも横浜らしい店として、頑張って営業しているんだな・・
と感心した事も思い出す。
 
そんな店が突然閉店すると聞けば、 
1度だけでも顔を出してみようと思うのは当然のこと。
 
そしてバブル時代の色が残るタイクーンでビールでも飲みながら、
あの熱に冒されたような時代を思い出してみるのも面白いだろうと思った。
 
 

6785Dcm

 
 
しかし驚くよね。
このとてつもなく派手な入口。
 
そして中も天井が高い、バブル時代の設計が・・・
 
 

6729Dcm

 
  
「毎回、今までやった事が無い『何か新しい事』を仕掛けたいんだ。」
 
「面白いとは思いますけど、大変ですよね。」
 
「大変だよね。
 でも、誰でもできるような事やってたら、自分が頑張っている意味ないじゃん?」
 
「さし当たって、何をしますか?」
 
「どこかで放送に耐えるレベルの小型カメラを調達してくるから、
 スタジオで遊ぶ事を考えたいんだ。」
 
「そんな機材、どこから?」
 
 
買っちゃったんだよ、プロ用のCCDカメラ。
池上のENGカメラ(HL95)と一緒にリースアップ品としてね(爆)
 
 
「技術がウンって言わないと思います。」
 
「大丈夫。説得する。俺元々カメラマンだし、一通り技術的な事はわかってる。
 ちゃんと放送にも使ってたリモコンユニット付きのモノだよ。」
 
「で、どう使います?」

「手元を写すとかは当たり前にやるとして、
 こんなところで放送してるってライブ感を強調したいんだよね」
 
 
若き日の自分は、自らが仕切っていく放送番組の拡張性に
色々な夢を持って頑張っていた。
 
自分が全ての責任を持って取材をするけど、問題が起きたら会社全体の責任になる
というプレッシャーは凄く感じていたが、いい加減な思い込みで情報を扱う事はしなかったし、
わからない事は裏を取れるだけとってから管理者に許諾を取った。
 
ただ、そういう中でも、自分の目線で切り取った情報を、自分の感覚でメディアに乗せる
その魅力(魔力?)と怖さに、どこか快感を得ていたのだと思う。
 
起きている時間、例えばスタッフと食事をする時も、
個人的な仲間と何処かへ出かける時も、
そこで感じた感覚と得た情報は、常に、放送に使えないか?・・という目線で見て、
使える要素を感じたら、取材を始めるような生活だった。
 
そして・・・
 
どこかで、人間らしい感覚を喪失した。
 
 
6706Dcm
 
 
週1日2時間の生放送を作り、それ以外に2日は10分コーナーを合計で3〜4本担当し、
徹夜してしまった朝は5時から朝の生放送の手伝いにも出かけ、
「撮って出し」と言われる、その日取材したモノを編集しその日のウチに放送する
ようなコーナーも多く請け負った。
(担当した番組は昼の2時間だったから、午前中に取材し放送中に編集して間に合わせる)
 
それでも完徹は週2日で済んでいたけど、残業時間は月160時間を下る事は無かった。
(仕事中に仮眠しちゃった分は減算したけどね)
 
そんな狂乱な時代にこの店に来ても、
何の感動も感じなかったのは、驚く余裕が心に無かったからだと思う。
 
そこで繰り広げられていた男女の駆け引きなんて
「素人の漫才」を見ているようなモノで、面白くも何ともない・・という感想しかなくて、
今から思えば、なんて勿体ない時間の使い方をしたんだろう、と思ったりする。
 
 
東京で適当に遊んだ後、
タクシーをぶっ飛ばしてベイサイドクラブで踊り、
火照った身体をテラス席で冷やしながらビールとエスニック料理を楽しむ。
 
終電なんてとっくに終わってるけど、ここは横浜。
 
口説くつもりで誘った男なら、ニューグランドかザ・ヨコあたりを押さえているだろうし、
朝まで飲み倒せる店だってそこそこあるから、気に食わなければハマの男を引っかけりゃ良い・・・
なんて話をする女子2名が、
ここまで連れてきただろう野郎2名をテーブルから追い出す風景は、
まさにあの当時のバブリーな空気、そのものだった。
 
 

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今、こうやってテラスでビールを飲んでみると、
その残滓が景色に感じられるくらいで、
なんともお寒い空気しか流れていない事に気づく。
 
携帯なんて持たなかった時代は、
不便故にエキサイティングだったのかもしれない。
 
ポケベルが鳴ったって、公衆電話が無ければ連絡はつかないし、
伝言ダイヤルにメッセージを残しても、実際どこで何をしているかを証明できない。
 
だから男達は、自分で何処にでも行けるように車を持ったし、
車で女を遠くへ連れて行くのは常套手段だったのだろう。
 
 
聞けばタイクーンが入っているカリカチュアビルの
老朽化が酷くて、営業が難しくなったという事だった。
 
勿論、それ以外の理由も大きい事を
今更追求する意味も無いけど、
横浜らしい場所を一つ失う寂しさは、かなり大きい。
 
この次、こういう施設ができるとすれば、
カジノを導入するような再開発がなされる時だろう。
 
その時横浜は、どんな顔をしているのだろうか。
横浜らしい顔というのは、どう変化しているのだろうか。
 
そしてその顔を、私はどんな顔をして見るのだろう、ね。

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