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助ける、ということ

最近のネットに流れる情報は、無規制に主観的で裏付けの暴力的な物が多くなり、
流れる情報そのものを最初からシャットアウトするような傾向が、
私自身の中に芽生えてきた。
 
とは言え、すでにテレビのニュース番組そのものも、
信頼に足るモノが無くなりつつあって、
様々なソースを見比べて判断するしかない現状においては
全部シャットアウトする事は、できそうにない。
 
そんな思いを持ったまま、全部は信用しないよって思っていても、
それでも悲しい情報操作や勘違いによる情報の暴力が、心に刺さる。
 
例えば、川崎の中学生殺人の件では、
情報による私的制裁が裏付けが無いまま行われ、
トバッチリを受けた人への救済がなされないまま
放置されている現状がある。
 
売れれば良いと考える週刊誌では、 
著名な作家が主観的な意見を週刊誌上で表現するという形で、
二次的な暴力になっている事も問題だと、思う。
 
ひょっとしたら、法的規制が必要なのでは?
と思うくらいに。
 
 
そんな負の情報もネットで転用されて伝わり、
私自身も、真偽もわからないまま感情を揺さぶられてしまったのは事実。
 
だからこそ、元のソースを確認する作業が大事だと思うし、
できる限り裏を取って、誤認の無いように務めるのだが。
 
でも、SNSで拡散した情報は裏が確認できない事から、
「拡散する意味を考える頭をどう育てるか?」という問題を感じるに止まり、
ここまでやったらアウトだよ・・というガイドラインを作るのが関の山だと思ってしまう。
 
ただ、週刊誌を使った負の情報は、
記事の一部分だけを転用し負の情報に仕立て上げる事も可能なので、
私が気になった記事が、実際どのような展開で書かれどうまとめたかを、
確認したくなってしまった。
 
という事で
その週刊誌を購入して読んでみた。
(この時点で、週刊誌側の思うツボ)
   
 
2007
 
 
いや・・
驚いたね。
  
あまりにも見識が浅く、
あまりにも裏付けがされていない、
と読めてしまう事に。
 
その作家はもともと何故人気があるのかわからない類の人だったが、
何故かマスコミに乗せられて、色々な事をやらされる、
どちらかと言えばバラエティ向きのタイプだと思っている。
 
だからこそ、週刊誌はこういう使い方をして、
問題になったり炎上したりすれば、週刊誌の売上が上がると考え、
喜ばしく思っている事も、理解できた。
 
それにしても・・・
どうなんだろう?
って思わされる。
 
売らんかな、な週刊誌の戦略だったとしても、
不特定多数の人を傷つけるような記事を載せる事に対し、
最低限の配慮を持てるような考えは、できないのだろうか。
 
私が聞き捨てならなかったのは、
殺された中1男子の母親に対する意見としての、以下の部分。
 
 
「いつまでも女でいたい、などというのは、
 恵まれた生活をしている人妻の言葉である。
 
 もし離婚をしたとしたら、子どもが中学を卒業するぐらいまでは
 女であることはどこかに置いといて欲しい。
  
 <中略>
 
 もし恋人ができたりしても、
 子どもはいちばんのプライオリティに置いてほしい。
 
 そしてセックスとかそういうことで、現実逃避しないで欲しい。
 お願いしますよ。」
 
(週刊文春2015.3.19 より引用)
2006
    
 
 
悪かったね
自分も母子家庭で育った人間だよ。
 
私の母親は、ずっと女だったよ。
男ができて出歩いてもいたけど、それが淋しいと思うよりも、
片親じゃない生活ができるかも知れないと、私自身は喜んださ。
 
恵まれた生活をしている人妻は、
女として遊びまくって良いとでも言いたいのか?
 
母子家庭の母親は、子どものために全てを捨てなくちゃいけなくて、
第2の人生を歩む道すら閉ざさないといけないのかい?
 
という感情が、反射的に生まれた。
 
知りもしない母子家庭の現状を、
両親揃った家庭での生活しか知らない人が、
頭の中で勝手に作り上げた「不幸」を論じた事が、許しがたいと思った。
 
 

離婚率が上がり、片親世帯が増えている今、
とくに母子家庭における経済状況は悲惨な状態で、
年収が130万を超えない世帯は半数に近いと新聞報道されている。
 
そんな家庭に育つ子ども達を誰が助けるのか?
という疑問には、作家はこう答えを出し文章をまとめた。
 
 
「行政はもちろんであるが、近所の私みたいなおせっかいなおばちゃんたち、
 どうか気の毒なお母さんたちに手を貸してあげてほしいのである。」
 
 
あのね 
言うのは、簡単なんだよね。
 
ほんのちょっとの事、簡単な手助けで救われる部分はたくさんあるけど、
年収が130万に満たない母子家庭に手を貸すって、
簡単な事じゃないんだよ?
 
そんな年収じゃ、
金借りる事だって今はできないんだよ?
  
それは行政で、とか言うのは無しだよ。
 
そういう家庭は、どうにか自力で暮らそうと必死に頑張ってるし、
行政からの援助はもらえるだけもらっても、厳しい状況なんだから。
  
個人が個人を助けるのには限界があるし、
綺麗事じゃ済まない覚悟が必要だし、
中途半端はありがた迷惑にしかならないって事くらい、
小説を書く頭があるなら、想像して欲しいものだって思う。
 
 
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たぶん、誰しもが、
悲惨な経済状況に追い込まれている人達に
何か手助けをしたいという気持ちは持てると、思っている。
 
でも、実際に、
手助けする事はもの凄く難しい。
 
リアルに言えば、生活費を毎月援助できるか?
って事にもなるからだ。
 
自分の家族にすら援助の手を差し伸べない人が少なくないのに、
他人のために自分の生活を圧縮してまで手助けする事をできるか?
と考えれば、その答えは簡単に見えてくるだろう。
 
 
作家が自分を「おせっかいなおばちゃん」と言うなら、
その知名度を利用して
恵まれた生活をしている人妻達を焚き付けてでも、
母子家庭を助ける基金でも設立するような運動を始めれば良い、と思う。 
 
そうでなければ、実際に某かの金を、
たった1家庭でもいいから与え続けて欲しい。

そういう行為を実際に行わずに、
偉そうに手を貸して欲しいと言えるなら、
まさに低収入家族を卑下しただけの文にしか読めない、と私は思う。
(やってるなら、その経験を踏まえた文章を入れないと説明不足)
 
 
格差社会の中では、
富める人達は多くの寄付行為を行う。 
 
それは、社会の中で成功した事へのお返しであり、
他人より多くの収入を得た者が背負う、義務的な行為でもある。
 
そしてそんな支援をしている事を、
決して口外しないのも当たり前。
 
それは、格差社会では当然に行われる行為であり、
才能ある者や可能性を秘めた人を育成する事で、
大きなリターンに繋がる事も含めての寄付行為でもあるからだ。
 
 
そういう自分は?
 
見ず知らずの人に、
分け隔て無く援助するような財力は、全くありません。
 
ただ、できる事は微力だけど、できる範囲でやってきました。
 
でもそれも誰かの様々な支えがあって実現している事だし、
「お互い様」だと思うからできた事。
 
社会に生き、社会に生かされ、社会から得て、社会に返す。
 
そういう中では、同じ社会の中に生きて、
愛情を持てる人達には、精一杯の事をやってきた。
 
それだけは、自信を持って言える事。
 
そして、それは、母子家庭で育った子ども時代に、
母親が付き合っていた男達が与えてくれた様々な愛情に報いる、
自分なりのお返しでもあるんだと、今は気づいている。

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