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日記的雑感 Archive

局地的豪雨からのプレゼント

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こんな風景が
ほんの数分だけそこにあった

日食

雲の隙間から見えた日食。

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子供の頃、校庭で、
濃い色の下敷き越しに見た太陽を思い出した。

次に見る事は、あるのかな・・・(^_^;

良識

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皆既日食が46年ぶりに観測できる・・・という事で、
屋久島から奄美大島に渡る地域に人が集まっているらしい。
 
その地域にあたる十島村では、
彼らを受け入れるための準備に必要なコストを上乗せしたツアー客だけを
受け入れる事とし、飲食資源や臨時電源、仮設シャワー、簡易トイレなど
その準備に走り回っている。
 
しかし、報道(朝日新聞)によると、
かなりの高額になるツアー費用を支払わず、
自前の船等でトカラ列島に上陸をした人間が
19日までに27人確認されたようだ。
 
インフラ整備費込みの料金を払っているツアー客との公平さが保てないと
村職員は島を出るように説得にあたっているが、
自前の食料や水を持ち込みテント等に泊まり込んでいる彼らの中には、
「何故、出て行かなければならないのか」と拒否する人も。
 
旅行者にとってはたった数日の上陸で
ひょっとしたら2度と訪れる事がない場所だから
良いと考えるのかもしれない。
 
「宿泊設備も食料も持ち込んで島には迷惑をかけない」と反論もするのだろうが、
「何だかなぁ・・・」という感は否定できない。
 
 
で、感じるのは、最近の世の中に蔓延している「自分だけがよければ良い」という考え方。
 
電車では、優先席を譲ってくれない人に多く出会うし、
駅のエレベータ等では、
我先に乗り込む健常者や、子供が乗ってないベビーカーを
畳まずに乗り込むカップルも、少なくない。
 
早く動けないハンディーキャッパーとしてみれば、
文句を言う前に諦める事を覚えるしかなくて、
冷たい社会を悲しむのが精一杯の反攻だったりするが、
やはり「何だかなぁ・・」と思うのだ。
  
  
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ある日、
テラス席で食事を摂っていた。
 
季節は今よりも涼しく、気持ちの良い時期で、
屋外での飲食は、何とも心地の良いものだった。
 
空席があったテラス席は、
いつのまにか多くの客で賑わいだし、
私の隣には子連れのカップルが陣取った。
 
 
聞くとはなしに聞いていた親子の会話は、
ひたすら子供を甘やかすばかりの耳障りなもの。
 
その子は玩具を何度も投げ飛ばし、
傍若無人の振る舞いを見せていたが、
親は叱る事もせず放置する。
 
で、その玩具を投げ飛ばす音がうるさくて、
つい彼らを見てさらに呆れた。
 
なんとその子は靴をはいたまま席の上に立って遊んでいて、
親はそっぽを向いたまま・・・なのだ。
 
「靴ぐらい脱がせろよ」・・と聞こえるように呟きつつビールを煽ってみたが、
カップルは聞く耳を持たないらしく、無視された。
 
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もしかしたら、外のイスは汚いから・・と
わざと靴を履かせたままにしているのかも知れないが、
それはあまりに良識無い行為であり、同時に不快でもある。
 
だが、敢えてそれ以上、関わる気にはなれなかった。
 
 
何故なら、子は親の姿を見て育つもの。
他人への配慮もマナーも、親が行ってみせて、おぼえさせるもの。
 
イスの上に靴を履いたまま立っている事を放置できる親は、
同様の感覚で育ち、社会の中でもそう振る舞っている・・と想像できるからだ。
 
 
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ライダーは、基本的にスペースとディスタンスを大切にする。
 
同じ道を走るライダーがいれば、
そのライダーのスペースやラインを潰すような事はしないし、できない。
 
それは、
お互いの安全の為にお互いを思いやる行動無しには
危険な交通社会を生き抜けない事を、体感的に知っているからだ。
 
そしてその当たり前に持つ「他人へ譲る心」は
結果的に自分の為になる事でもあり、
社会を成り立たせるために必要なもの、でもある。
 
ただ、そんな感覚を持って話をしても、
利己的に振る舞う人間には何も届かない事もわかっている。
 
結局、
悲しい事だけど、距離を取る事だけでしか、
身の安全は保てないかもしれないね。

逆風

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21日の週に解散8月30日に総選挙という情報が流れているが、
どんなに引っ張っても逆風が収まらないと判断したのだろうか。
 
今の逆風は、正直言えば政治家全体への逆風のようにも見えるが、
情報を発信する側の操作もそれなりに効果を見せたという事だろう。
 
 
高速道路を税金投入してまで値下げする事が、
全ての納税者に対して公平な施策では無い事は、誰だってわかるはず。
 
相変わらず高い税金と社会保険料に喘ぐサラリーマンにとっては、
この先払いした税金の無駄づかいをはじめとした、
膨大な借金埋める消費税率アップの恐怖が、より身近になっただけの事。
 
そして国は、現役労働者をどうにかして70歳まで働かせよう・・
という施策を展開しているワケで、
社会保険も税金も、絶対数の少ない若者達には背負わせきれない事を
充分に理解して動いているのだ。
 
 
高い税金や社会保険料を払えるのは、ちゃんと収入がある人だけ。
 
今の日本では、死ぬまで国民に働いてもらわないと、
国を維持できないのでは?・・と勘ぐりたくなる。
 
そんな漠然とした不安を背景として、
ネガティブキャンペーンを打てば、
それは面白くかつ効果的に反応が出るだろう。
 
 
しかし・・・
 
しかし、だ。
これは結局、自分に戻ってくる、問題だ。
 
100年に一度とか、歴史的大敗・・とか、
そんなキャッチに踊らされてしまう人が多いのは事実だが、
よく見て、客観的に判断して、
本当にそのキャッチコピーが正しいのか見極めないと、
選挙後の社会に大きな影響が出てしまう事を、今一度考えて欲しい。
 
 
偉そうな顔をしたいだけの人、
利権が欲しい人、
真剣に政治を行いたい人、
様々な候補者を選ぶのは私達だ。
 
そしてその権利を放棄すれば、結局社会も変わらないのだから、
今度の選挙は、意味ある一票を投じたいと思っている。
 
 
ただ、
ダメな政治家が多すぎるように見えるんだよねぇ・・・

もう・・・いいよね?

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押さえ込むと、反発する。
見ずに蓋をすれば、匂う。
 
しょせん逃げられない事なら、
早いところ処理をした方が良いとわかっていても。
どうにも進まない事もあったりする。
 
それをどうにかしなくちゃいけないから、
きっと日々、疲れるんだろうな・・・と、ここのところ痛感している。
 
 
何をするにしても「見返り」を求めない事は私の基本で、
当事者にはわからない形でどうにかしよう・・と動くのが常だった。
 
勿論、若い頃は理解を求めたくなった事もあったが、
求める自分自身が見苦しく思えてしまい、果たせない。
 
で、結局それが、スタイルとして定着したのだろう。
 
 
でも最近は、
「もう・・・いいよね?」という気持ちが大きくなって、
生活の一部のように無意識に動く事だけに任せている。
 
「客観性を持って見れば、なんとなくわかるよね?」という、
一歩間違えれば自己満足にも似た形ではあるが、
動けば、結果的に自らの環境を心地よくシフトさせてくれるのは事実で、
染みついた「生きていくための知恵」なのかもしれないけど。
 
 
ただ「もう・・・いいよね?」は、
人と人との関係においても、強く起きている。
 
気持ちを変えずに寄り添う事や、距離を意識して走る事、
それを互いに意識しないと「関係」は維持しにくいと思うが、
最近はそもそも「関係」を構築する気持ちや、
保全する気持ちを失いつつあるのだ。
 
 
やっぱり
生き方としての「多くを望まない事」は、
過ぎると良くないのかも知れないね。
 

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