- 2009-07-20 (月) 12:50
- 日記的雑感
皆既日食が46年ぶりに観測できる・・・という事で、
屋久島から奄美大島に渡る地域に人が集まっているらしい。
その地域にあたる十島村では、
彼らを受け入れるための準備に必要なコストを上乗せしたツアー客だけを
受け入れる事とし、飲食資源や臨時電源、仮設シャワー、簡易トイレなど
その準備に走り回っている。
しかし、報道(朝日新聞)によると、
かなりの高額になるツアー費用を支払わず、
自前の船等でトカラ列島に上陸をした人間が
19日までに27人確認されたようだ。
インフラ整備費込みの料金を払っているツアー客との公平さが保てないと
村職員は島を出るように説得にあたっているが、
自前の食料や水を持ち込みテント等に泊まり込んでいる彼らの中には、
「何故、出て行かなければならないのか」と拒否する人も。
旅行者にとってはたった数日の上陸で
ひょっとしたら2度と訪れる事がない場所だから
良いと考えるのかもしれない。
「宿泊設備も食料も持ち込んで島には迷惑をかけない」と反論もするのだろうが、
「何だかなぁ・・・」という感は否定できない。
で、感じるのは、最近の世の中に蔓延している「自分だけがよければ良い」という考え方。
電車では、優先席を譲ってくれない人に多く出会うし、
駅のエレベータ等では、
我先に乗り込む健常者や、子供が乗ってないベビーカーを
畳まずに乗り込むカップルも、少なくない。
早く動けないハンディーキャッパーとしてみれば、
文句を言う前に諦める事を覚えるしかなくて、
冷たい社会を悲しむのが精一杯の反攻だったりするが、
やはり「何だかなぁ・・」と思うのだ。
ある日、
テラス席で食事を摂っていた。
季節は今よりも涼しく、気持ちの良い時期で、
屋外での飲食は、何とも心地の良いものだった。
空席があったテラス席は、
いつのまにか多くの客で賑わいだし、
私の隣には子連れのカップルが陣取った。
聞くとはなしに聞いていた親子の会話は、
ひたすら子供を甘やかすばかりの耳障りなもの。
その子は玩具を何度も投げ飛ばし、
傍若無人の振る舞いを見せていたが、
親は叱る事もせず放置する。
で、その玩具を投げ飛ばす音がうるさくて、
つい彼らを見てさらに呆れた。
なんとその子は靴をはいたまま席の上に立って遊んでいて、
親はそっぽを向いたまま・・・なのだ。
「靴ぐらい脱がせろよ」・・と聞こえるように呟きつつビールを煽ってみたが、
カップルは聞く耳を持たないらしく、無視された。
もしかしたら、外のイスは汚いから・・と
わざと靴を履かせたままにしているのかも知れないが、
それはあまりに良識無い行為であり、同時に不快でもある。
だが、敢えてそれ以上、関わる気にはなれなかった。
何故なら、子は親の姿を見て育つもの。
他人への配慮もマナーも、親が行ってみせて、おぼえさせるもの。
イスの上に靴を履いたまま立っている事を放置できる親は、
同様の感覚で育ち、社会の中でもそう振る舞っている・・と想像できるからだ。
ライダーは、基本的にスペースとディスタンスを大切にする。
同じ道を走るライダーがいれば、
そのライダーのスペースやラインを潰すような事はしないし、できない。
それは、
お互いの安全の為にお互いを思いやる行動無しには
危険な交通社会を生き抜けない事を、体感的に知っているからだ。
そしてその当たり前に持つ「他人へ譲る心」は
結果的に自分の為になる事でもあり、
社会を成り立たせるために必要なもの、でもある。
ただ、そんな感覚を持って話をしても、
利己的に振る舞う人間には何も届かない事もわかっている。
結局、
悲しい事だけど、距離を取る事だけでしか、
身の安全は保てないかもしれないね。
コメント:9
- PORFIDIO 09-07-20 (月) 20:26
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トカラ列島の件、自分もニュースで知っていました。
説明を行い、理解をし退去する人もいるみたいです。
でも、やはり迷惑を掛けないからと居座ろうとする人も。。。
幼少の頃、市電やバスに乗って、後ろ向きにに座って表の風景を観るときに、必ず靴を脱ぎなさい!とお袋から言われたもんでした。
良識ではなく、常識だろうと。。。 - 某若 09-07-21 (火) 0:33
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大多数の非常識は常識・・・という現実ばかり見ていると、
常識って何だかわからなくなってます(^_^;>PORFIDIO子供は元気なんだから立ってなさい・・という親しかいない時代に育ったせいか
空いてる席にまず子供を座らせようとする親の気持ちが理解できません(爆)他の席に空きがなくて、どうしても座りたい時だけ座るのが
シルバーシートだと思ってましたが、
それも既に古い考え方のようです。で、最近は、折りたたみイス付きの
バックパックを買おうか・・・と物色中。座っていれば痛くないので、
専用席を持って歩けば確実に座れて、
快適に過ごせる・・・と(^_^) - ゲン 09-07-25 (土) 17:58
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久しぶりに覗いてみました。
トカラ列島の件、ニュースでみて、あきれ果てていました。
自分たちの子どもの頃は、「人に迷惑をかけるな」「それをやられたらどう思う、やられてイヤなことは人にはするな」って教えられたけど・・・。
今は、そんなことを言う大人はいないし、範を示すべき大人からそういうことをやるし・・・。
自分の時代は(気づけば42か)、大人になったら、「こういう感じの人になりたい」と目標になる人がいたが、最近は、スマートな大人が少なくなったような気がする(体型ではなく、生き方!)単車・車に乗っていても、スマートな運転をする人がめっきり減ったのはなぜ?
せかせかした運転をして、隙あらば割り込み、他人に平気で迷惑(急ブレーキをかけさせる等)をかけ・・・。
みんな、皮膚感覚ってのがなくなってきてるのかな。「昔がよかった」とは言いたくないけど、ほんとに少しでいいから、生活・行動にゆとりを持って生きたいな。
最近、自分自身もゆとりがなくなっていたんで、出来るだけ、背中を思いっきり伸ばして行動するようにしています(それでどうなるって事はないけど、背筋がぴしっとしている方がかっこいいかな、なんて) - 某若 09-07-25 (土) 19:33
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きっと、大人としての役割の中には、
格好良く、大人としての範を示す・・という事があるのだと思います。批評する事は簡単だけど、
自分は何もしないのはね・・・(^_^;という事で、
少しずつですが、チャンスが有るときに、
そういう意識を持ちながら動くようにしています。 - m.kawaharada 09-08-04 (火) 17:11
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この、書かれている意見に
同じ感性を持っている人が居たと嬉しく思いました。今の世間を見ると、やるせない気持ちになります。
しかし、反面、我等中年・熟年世代がもっと頑張って、カッコイイ存在に成らねば…とも思います。
縁を大事に、確かな基本骨子を持ち、人を大切に思いあえる人間関係を広めて行きたいですね。 - 某若 09-08-04 (火) 17:34
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恥を知らない人に恥を教えるのは、難しいですね。
元々「恥」と思うべき事は、
生まれた家が決めた生き様の具現化に必要なルールで、
クラスの存在が前提で成り立つ、日本の文化なのだと思います。
上っ面だけの平等を教え込んだ結果、
格好悪い生き方も権利の主張にすり替わる。
そして、浅ましい社会が出来上がったのだろう・・・
と思っています。
「情けは人のためならず」なんですけどね(^_^;>m.kawaharada - m.kawaharada 09-08-04 (火) 20:09
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おおっと!これは、手厳しい(笑)
でも、好きですね この切り口での物の見方!
勉強になります。ところで、「情けは人の為ならず」ですが、これは
「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というのが原義であります。恥を知らない人に恥を教えるのは確かに難しいです。
しかし、私たちも長い時間をかけてもらって、社会的な道徳意識を教えてもらったのです。
教育とは、文字通り”教え育てる”です。
教えるのは、ある意味誰にでも直ぐに出来ますが、育てるには忍耐、愛情、時間が必要です。
今の世代には、これがありません。
たとえば、赤ちゃんに知識という名の刃物を与えるようなものです。
これでは、危険と無秩序を与えるようなもの・・・
育てるということは、時間をかけて刃物の使い方を教えるために、社会的道徳を教え込み 善悪の良し悪しを教えた後、知識という刃物を与えなければなりません。
そうして、初めて正しい刃物の(知識)の使い方がわかるのです。
今の様な時代を作ったのも人間、しかし真っ当な時代を作ることができるのも人です。
その為に私たちは弱小ながらBellerophonを立ち上げました。
今は、ベースを作るためにミーティングが主ですが、オートバイという道具を通し、泥くさくてもよいので中年の生きざまを若い人たちに影響を与えることができれば・・・と思い活動を始めています。
横浜ケンタウロスの様に影響力のある集団が取り組めばさらに効果があるでしょう。
誰かがやらねばならないのです。
自ら手を挙げてやる時代と思います。
どこまで出来るかわかりませんが、今すぐには効果が出なくても、志があれば10年後には変化があるでしょう!
志がなければ100年たっても何も変わりません。
足腰が立たなくなっても、志は持って生きていきたいですね。
すこしカッコつけすぎですかね(笑) - 某若 09-08-05 (水) 1:08
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全ての行いは自分に返るもの・・と知れば、
格好良く生きる事もちゃんと返ってくるものです。
カッコつけすぎ・・・位じゃないと、
伝わらないかも知れないですね。
たまたま一緒に走る事になった見ず知らずのライダーの為に
スペースを残してあげる事は、ライディングの基本。
それに必要なのは、他人の気持ちを想像できる力です。
だから「情けは人のためならず」という考えも、
大人のライディングをできる人には備わっている事なのだろうと思えますし、
その返ってくるモノを感じる能力もまた、備わるのかもしれません。
鈍感な生き方だけはしたくない。
鈍感なフリをしながら・・・でもね(^_^; - m.kawaharada 09-08-05 (水) 4:31
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某若 殿の仰る通りですね。
とても共感します。
某若 殿の様な方が・・・、今の時代 大人と呼べる人が
増えることを祈りつつ、志を持ち地道に活動を
続けていかねばならないと思います。勝手、ご無礼なコメントを入れまして申し訳ありませんでした。
これからも、良い走りを!
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