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日記的雑感 Archive

杞憂

集団的自衛権の事を、
政治家の皆さんはお忘れなのだろうか?
  
その行使を、
「アメリカの手先となって、遠い異国で戦闘行為する事」
だと断じていた政治家の皆さんは、
何故、今、アメリカが侵略行為とも取れる行動に出る事に対し、
真っ向から否定する行動に出ないのだろうか?
 
 
北朝鮮が、核ミサイルと思しき飛翔体をアメリカに向けて撃った場合、
日本はその時点から戦闘の補助を行う事ができると解釈するのが
集団的自衛権の行使と考える。
 
その補助が、できる・できないで、あれほど揉めた問題なのに、
その論議をしようとしない意味が、わからない。
 
加えて、
アメリカが北朝鮮に対して先制攻撃を加えた時、
日本はどういう態度を取るのかを、何故、今、国会で議論しないのだろうか?
 
 
呆れるほどの威嚇情報を発信する国に対してアメリカが、
危険性を排除できない部分について、先制攻撃を起こすのは自然の流れ。
 
その時、
パクス・アメリカーナに組み込まれ甘えている日本は、
強制的に戦闘に引きずり込まれる可能性を否定できる力が無い。
 
そんな時、慌てふためいて先を見ないで対処だけしていたら、
日本はまた、占領下と同じ状態になるのではないか?
 
・・と、ここのところの情報戦を見ていて、杞憂してしまう。
  
 

 
 
日本は、何時の時も、
机上論では誤解・曲解を捏ねた小河原評定を重ねても、
問題が起きてしまってから泥縄的な対応する、間抜けなところがある。
 
「米が無くなる」と多く報道されても、
備蓄米である古米を食べれば良いとタカをくくり、
実際に無くなってから慌ててタイ米を緊急輸入した事が、あった。
 
これは国だけではなくて、もっともっと小さな社会である地域や職場、
へたすりゃ家庭内においても同様な行為は多くあって、
先を予想する意識の欠如と、予測する能力の欠如があると言わざるを得ない。
 
  
「未来は背中からやってくる」という考え方は古代ギリシャの考え方で、
我がクラブではその事を肝に銘じて、生きる事を求められた。
 
予測不能と思える事も、
通り過ぎて見えなくなってしまう過去を記録し、
経験の共有を図ることから予測可能な範囲を広げる。
 
これは、バイクという危険極まりない乗り物に乗り続ける上では
必要不可欠な行動でもあった。
 
 
経験に勝るものは、無い。
だから、年長者や経験者の言葉は重い。
 
ただ、それを聞いて記憶しても、
今に合わせたアップデートは必要だ。
 
過去に自らが述べた事を棚に上げ、
強引な議論をふっかけるような輩なんて、問題外。
 
それこそ今だけ良ければハッピーな幼児と一緒で、
予想外の事態に的確に対応できるはずは無いのだ。
 
 
予測は、
経験の蓄積と共有というベースの上に、
分析と対策という考察が必要なもの。
 
予想は、
予測ができてはじめて、
リアリティを持って行えること。
 
 
桜の花が散って
新緑の葉の色が濃くなった頃、
今の一触即発な状況がどうなっているか・・・と
正確に予想できる人は今、どれくらいいるのだろうね。

59

毎年、誕生日に書いているけど、
今年はちょっと特別な日に感じてしまうのは
やっぱり59歳という年齢だろう。
 
会社員人生最後の年度に、いよいよ突入するとなると、
その後の生き方を考えざるを得ないからだ。
 
時代は既に、希望者全員を65歳まで再雇用する事が当たり前になっていて、
所属する会社も労基署の指導もあって、同様の就業規則に変更済み。
 
ただ、同一職務であっても同一賃金にはなりにく風潮がまだ強く、
会社がどう考えるかも不明のまま。
 
そういう意味では、相変わらず先が見えないままの道行きとなるが、
まだ1年、今の立場を全うする事が最優先と考えている。
 

今までとは違う世界を、違う視点から見て動いた1年は、
何らクリエイティブなモノが無かった前職に比べて、
実に楽しい1年であり、経験した事がないトラブルも起こし・・と
なかなかエキサイティングでもあった。
 
1年かけて蒔いた種は、着実に芽吹いていて、
種を蒔く行為に注目を集めても、今はじっと待つ時期でもあるから、
少しだけ平穏な日々を過ごすように努めている。
 
と同時に、徐々にではあるが、
フェードアウトする動きも加速を始めた。

気がついたら居なくなっていた・・という感じで、
日々の一つ一つを大事にしつつ、
自分らしく、ちょっと自己中に生きていきたいから、
そのための準備をは粛々と進めるだけ。
 
しかし、自分がこんな歳になるなんて・・って思ってるし、
感覚的には何も変わっていない、とも感じている。
 
ただ、身体だけは、今までの酷使でだいぶ壊れてしまったから、
やっぱり59歳なのだな・・と思い知ったりも、すると。
 
来年、還暦を迎えるって・・・
恐いわ~

6年

職場で黙祷をした。
 
あの日を思い出す。
 
仕事でパートナー企業と
険悪な空気さえ纏いながら会議をしていた時、
あの地震がやってきた。
 
揺れは長かったけど、
交通機関は復活するだろうと楽観し、
開かなくなったドアを突破したり、
落ちた諸々の物を片付けたりしながら、テレビ中継を見る。
 
映画のような津波の映像が繰り返し流され、
凄い事態になった事だけは理解したけど、
とにかくこっちは、客を帰す業務に走り回る。
 
そして客が全部帰って、
事務所もあらかた片付いたところで会社を出ると、
交通が完全に麻痺していた。
 

 
いや、交通だけじゃない。
携帯もパンク。
 
行き場の無い人達が、飲食店で順番に食事を摂り、
繋がらない携帯で、何度も連絡を取ろうと足掻いている。
 
 

 
 
徒歩で帰宅する人。
自転車屋に飛び込んで自転車でピストン運送をした人。
帰るのを諦めて、駅の通路に座り込む人。
 
頭の中で、繰り返し流された津波の映像が浮かびあがり、
混乱を極める駅前の写真を一枚撮った時、
身体が震えて止まらなかった事を、思い出した。
 
地震国に生まれて、
逃げられない事はわかっているけど、
だからこそ、皆で支え合う気持ちが大切だと、
今更ながらに思う。
 
誰かを支えることは、自分を支えること。
 
生きていることに意味なんて無いけど、
社会の一員として生きている以上、
誰かを支え、誰かに支えられて、生きているのは間違いない。
 
ただあの日、
仕事で厳しい論戦を交わしていたパートナーの一人が、
既に国替えをしている事実に、時の流れの早さを感じてしまう。
 
 
 
 
 
もう6年。
まだ6年。
 
でも、6年後、
自分はまだ、
こうやって生きているのだろうか?
 
そんな事を考えながら、
今日も客が入る施設で仕事をしている。

ポピュリズム


 
 
ポピュリズムって何だろう。
大衆迎合主義って言えば?って思ったりする。
 
そもそもはエリートを腐敗した権益者として決めつけて、
民主主義の敵として排除する政治的手法なのだが、
民衆をくくる際に差別的な扱いにも利用されてきた。
 
考えてみれば、帝国主義や軍国主義においては
プロパガンダによって民衆の感情をコントロールしてきたのだが、
それに対抗すべき存在は報道機関であり、
それ故、自律できている切り口で報道を行う事が求められ、
実践されている報道機関は、それを信用できる人達が支えていく図式があった。
 
しかしここ数年、
報道機関の軽率で傲慢な情報発信が酷くなり、
同時に偏向した切り口が行き過ぎで、その価値が恐ろしいくらいに低下した。
 
それに対応するかのように、
ウェブ環境整備が進んで増えたSNS利用者が発信する情報が、
変な方向性を持って流布されていく現象も増えてしまう。
 
その結果、
私的な感情に振り回された情報に踊らされる人もまた、増えた。
 
ポピュリズムは、民衆(善)対エリート(悪)の図式を持つが、
そこにはリベラリズム(自由主義:異なるものを平等に扱う)への軽視、
もしくは無視が生まれやすい。
 
そういう意味で今のポピュリズムは
民衆による民衆のための排外主義にさえ、見えてしまう。
 
 

 
 
目の前に存在する脅威に、
人はまず怯える。
 
だから、リアリティある日々の危険性については、
実体験を伴うような感覚で、無意識に回避を行う。
 
その行為は本能的な事なのだけど、
目の前の脅威の向こう側にある問題や状況には目が行かず、
脅威を回避した瞬間に、もっと大きい脅威や回避不能な状況に出会い、
結果的に被害を被る事になる。 
 
 
今、社会で、何が起きている? 
社会はどうあるべきだと、思っている?
 
社会の健全化は、結果的に自分を助けるという事や、
「情けは人のためならず」という諺の意味を理解できないと、
間違った方向に民衆の意識は偏向していくだろう。
 
 
今、端末にプッシュされてくる情報には、
偏向された情報が多すぎると思う。
 
偏向しているよ、と警鐘を鳴らすべき報道機関は、
実際、存在していないのでは?
とさえ感じると言ったら、言い過ぎなのだろうか。
 
 

 
 
恐いと、思っている。
 
日本人は、
耐え難きを耐えた後に
命を捨てて反撃するメンタリティを
持っているからだ。
 
偏向した情報を遊んでいるうちは良いのだけど、
サイレントマジョリティが本当にブチ切れた時、
今の日本は変身する可能性を感じている。
 
それが、「右」なのか「左」なのか。
 
いずれにしろ、
乱暴な国家になるような予感が、してならない。
 
だから
恐いと思っている。

オバマが残した鶴

オバマが残した鶴がどんな効果を生んでいるか?
それが、純粋に興味としてあった。
 
だから今年は、広島へ行こうと決めていた。
 
それにしても今年は
例年にも増して、酷暑の夏だ。
  
案の定、広島では37度という気温が待ち受けていたけど、
体感的には40度を超えている感じさえあって、
着替えを多めに持ってきて良かったと思ってしまう。
 
 

8940Dcm

 
 
広島詣は、自分にとってはライフワークのようになっていて、
原爆ドームという71年前の惨状を表す形があるこの町の変化も、
訪れる度に違う形で見える不思議を味わってきた。
 
8月6日という日に、
誰がどんな形でそこに居るか、
という事。
 
それがその時の世情を表しているように見えて、
ある年は癒やされ、ある年は気づかされてきた。
 
式典が終わった会場へ行き、
まずは慰霊の祈りを捧げる。
 
その時点で、
今までと違う風が流れている事に気づいた。
 
うまく表現できないのだが、
明らかに以前とは違う空気がある。
 
 
8943Dcm
 
 
あ・・
言葉が違うんだ。
 
飛び交う言葉に聞き覚えの無い言語が多くあり、
同時に聞こえてくる日本語には穏やかな色がのっているのだ。
  
よく言えば、場をわきまえた人が多い、という感じ。
そして、ガイドをする人達の言葉も、何故か優しげな響きを持って聞こえてくる。
 
不思議な気持ちになりながら、
久々に広島平和記念資料館を訪れた。
 
 

8882Dcm

 
 
驚いた。
すごい人出だ。
 
8月6日という事もあるのだろうか?
と思いつつ列に並ぶと、ここも外国語が多く聞こえてくる。
 
あの独特の重苦しい、そして怖さを煽るような展示を見たいのか?
とも思いながら展示室に入ると、以前のような悲惨さを前面に出す形ではなく、
淡々と原爆の威力や怖さを伝える形でレイアウトが変わっている。
 
それにしても
フランス語やドイツ語くらいはしゃべり方でなんとなくわかるけど、
聞いた事がない言語が多すぎる。
 
 
8891Dcm
 
 
そういう観点を持って見てしまったけど、
それにしてもヨーロッパや中近東を感じさせる言葉が多く、
展示室は居場所が無いくらいに人がいても日本人の姿は少ない、
と感じた。
 
 
8886Dcm
 
 
傷は癒え、傷つけられた記憶も薄れ、
だけど傷跡だけは見続ける毎日。
 
風化は進んでも、
消えない傷跡はどう考えるべきか。
 
それはそろそろ、
今社会を支えている人達がリアルに考えるべき、
と感じたのが正直なところ。 
 
 

8893Dcm

 
 
ネットに流れる、
悪意が潜んだ情報。
 
事実さえ霞むようなキャプションで、
人々の感情が左右されている気配を感じると、
やはり現場に行って確認した情報以外、
信じられない気持ちになる。
 
だから今年は、
オバマが残した鶴をこの目で見たかった。
 
 
8906Dcm
 
 
体験を語れる世代に寿命が来ている今、
語り部をしてくれる人達は、包み隠さない語りを始めている。
 
ただ、その表情も語り口も、
どこか穏やかで、密やかだ。
 
そこに、
そろそろ貴方たちの世代で、
責任もって社会を守って欲しいというメッセージを感じてしまう。
 
 
8983Dcm
 
 
自分の考えを通すために暴力に訴えるのは論外だが、
激変していく社会のあり方を自分で積極的に動かさず、 
評論や批判を続けるのは如何なものだろう。
 
だからきっと来年もまた、
自分の目で確認する行動は取っていく。
 
そう思えた事が
一番の収穫だったと、思っている。
 
 

9085Dcm

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