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オバマが残した鶴

オバマが残した鶴がどんな効果を生んでいるか?
それが、純粋に興味としてあった。
 
だから今年は、広島へ行こうと決めていた。
 
それにしても今年は
例年にも増して、酷暑の夏だ。
  
案の定、広島では37度という気温が待ち受けていたけど、
体感的には40度を超えている感じさえあって、
着替えを多めに持ってきて良かったと思ってしまう。
 
 

8940Dcm

 
 
広島詣は、自分にとってはライフワークのようになっていて、
原爆ドームという71年前の惨状を表す形があるこの町の変化も、
訪れる度に違う形で見える不思議を味わってきた。
 
8月6日という日に、
誰がどんな形でそこに居るか、
という事。
 
それがその時の世情を表しているように見えて、
ある年は癒やされ、ある年は気づかされてきた。
 
式典が終わった会場へ行き、
まずは慰霊の祈りを捧げる。
 
その時点で、
今までと違う風が流れている事に気づいた。
 
うまく表現できないのだが、
明らかに以前とは違う空気がある。
 
 
8943Dcm
 
 
あ・・
言葉が違うんだ。
 
飛び交う言葉に聞き覚えの無い言語が多くあり、
同時に聞こえてくる日本語には穏やかな色がのっているのだ。
  
よく言えば、場をわきまえた人が多い、という感じ。
そして、ガイドをする人達の言葉も、何故か優しげな響きを持って聞こえてくる。
 
不思議な気持ちになりながら、
久々に広島平和記念資料館を訪れた。
 
 

8882Dcm

 
 
驚いた。
すごい人出だ。
 
8月6日という事もあるのだろうか?
と思いつつ列に並ぶと、ここも外国語が多く聞こえてくる。
 
あの独特の重苦しい、そして怖さを煽るような展示を見たいのか?
とも思いながら展示室に入ると、以前のような悲惨さを前面に出す形ではなく、
淡々と原爆の威力や怖さを伝える形でレイアウトが変わっている。
 
それにしても
フランス語やドイツ語くらいはしゃべり方でなんとなくわかるけど、
聞いた事がない言語が多すぎる。
 
 
8891Dcm
 
 
そういう観点を持って見てしまったけど、
それにしてもヨーロッパや中近東を感じさせる言葉が多く、
展示室は居場所が無いくらいに人がいても日本人の姿は少ない、
と感じた。
 
 
8886Dcm
 
 
傷は癒え、傷つけられた記憶も薄れ、
だけど傷跡だけは見続ける毎日。
 
風化は進んでも、
消えない傷跡はどう考えるべきか。
 
それはそろそろ、
今社会を支えている人達がリアルに考えるべき、
と感じたのが正直なところ。 
 
 

8893Dcm

 
 
ネットに流れる、
悪意が潜んだ情報。
 
事実さえ霞むようなキャプションで、
人々の感情が左右されている気配を感じると、
やはり現場に行って確認した情報以外、
信じられない気持ちになる。
 
だから今年は、
オバマが残した鶴をこの目で見たかった。
 
 
8906Dcm
 
 
体験を語れる世代に寿命が来ている今、
語り部をしてくれる人達は、包み隠さない語りを始めている。
 
ただ、その表情も語り口も、
どこか穏やかで、密やかだ。
 
そこに、
そろそろ貴方たちの世代で、
責任もって社会を守って欲しいというメッセージを感じてしまう。
 
 
8983Dcm
 
 
自分の考えを通すために暴力に訴えるのは論外だが、
激変していく社会のあり方を自分で積極的に動かさず、 
評論や批判を続けるのは如何なものだろう。
 
だからきっと来年もまた、
自分の目で確認する行動は取っていく。
 
そう思えた事が
一番の収穫だったと、思っている。
 
 

9085Dcm

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