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日記的雑感 Archive

Times chende and we with time.

 

 
 
 
     気がついたら
     古くから頑張っていた店が消えている。
 
     「オリジナルジョーズ」「梅香亭」の閉店ニュースが舞い込む度、
     時の流れの強さと恐さを感じていたが、
     今日、久々に海老フライカレーでも食べようとでかけたら
     県庁前の「セントラルグリル」も閉店している事に、気がついた。
 

     ここもか・・・
     これも時代なのか・・・ 
 
     
     失ってみて思う、その意味。
 
     当たり前にあると思っていたものが儚い事はよく知っていても
     実際に失うと、物理的な事より心への影響の大きさに少なからず動揺する。
 
     
     でも
     去年はそういう事の連続だった。
 
     大切なもの、大事な事、
     それを真剣に考える年でもあった。
 
     そして本当に必要なものを
     必死で守った一年だった。
 
      
 
     今、残っているものは
     全部大切で譲れないものばかり。
 
     それでもその存在は
     かなり脆いものだとも気づかされている。
 
     今年はその
     脆く儚いものを大事にする道を
     丁寧に辿ってみる年かも知れないね。
      

看板を磨け

今日は銀座で
坂東玉三郎初春特別公演を観ていた。
 
立女形として還暦を過ぎても尚追従を許さない芸の凄さは
日々の精進と研鑽に加え、常に進化しようとする意識とその実行が
支えているのは説明するまでもない事だろう。
 
歌舞伎の世界は名跡という看板があって
その名に負けない努力をする事で成立してきたが、
彼の名を継げる人も芸を超える人も居ないのでは・・・と
今日の公演を見ても思わされ、
本物の凄みを味わいながら自分を顧みる一時を楽しんだ。
 
で、公演の後に訪れたのは、浅草。
 
そう・・・
久々に老舗の味を楽しみたくなったのだ。
 
 

 
 
老舗と呼ばれる店は
長い歴史を誇れるだけの力を持っている。
 
この「駒形どぜう」は
創業1801年だ。
 
元々は「どじやう」と書くどじょうだが
縁起が悪いとの事で「どぜう」とあてたのが1803年。
 
以来、200年以上の歴史を誇ってきたわけだが、
その味わいは、確かに他の店では味わえない独特のモノがある。
 
 
どじょう鍋にはささがき牛蒡を乗せ
さらに長葱をのせて煮ながらいただく。
 
泥臭さは全くなく、臭みも無く、
でも、どじょうならではの旨味はあって、
いくらでも食べられてしまうような魅力に溢れていた。
 
 

 
 
そのワザを真似ても本物には敵わない・・という事は、
客の立場になってみればよくわかる。
 
その場しのぎのフェイクは表面だけを真似ているから、
奥行きも無ければ応用も利かず、
ちょっとしたワガママを客が通そうとした時、
見事に底が割れてしまうのだ。
 
だからこそ、一度看板を上げたら、
本物だと誰にでも言わせるために
精進が必要となるのだろう。
 
 
どじょう鍋を酒2合でやっつけて店を出たら
もう一つの目当てに顔を出す。
 
東京で一番辛い汁を出すとさえ言われる
「並木藪そば」だ。
  
ここの蕎麦を1枚手繰って帰ると決めていたから、
「駒形どぜう」ではご飯物を頼まずにいたのだ。
 
 

 
 
あら・・・
随分小綺麗になってるねぇ
 
店内は以前訪れた時と間取りは一緒だったが
机も壁も白木で作り直したようで、木の香りも楽しい設えになっている。
(去年2月に営業をやめ店舗を建て直し、11月1日に営業再開)
 
そして晩飯時だからか殆ど満席の状態ではあったが、
基本的に相席で・・・というスタンスだから
どうにか席を確保する事ができた。
 
 
「すいません、ざるを一枚」
 
 

 
 
そうそう
この逆反りのザルが、ここの特徴の1つだよね。
 
久しぶり・・と
まずは汁をつけずに啜ってみる。
 
 
あ・・・れ・・・・?
 
なんか、水が匂うよ???
 
  
汁を蕎麦猪口に少しだけ入れて
蕎麦にちょっとしか着かないようにして、啜る。
 
 
あ〜〜
ダメかも。
 
カルキの匂いが
蕎麦の匂いを消している。
 
ネギをちょっと落としても
山葵でパンチを効かせても
水の匂いが気になってしまう。
 
辛い汁をちょっとだけ浸して啜るから
余計に香りが立つのかも。
 
 
「すいません、蕎麦湯下さい」
 
 
大きめの急須で蕎麦湯が出てくるが・・・
 
 
 
 
ダメだ
蕎麦湯は一口も飲めないほど、
水が不味い。
 
 
  
これは、ショックだった。
 
江戸前蕎麦の原点とさえ称され、
大正2年創業でほぼ100年の歴史があるのに
今日の蕎麦はその歴史を感じる事ができなかった。
 
 
確かに蕎麦は
良かったのかも知れない。
 
でも蕎麦は吸い取り紙のような物で
茹でた水も汁もどんどん吸い込む物なのだ。
 
だから、水がダメだったら、どうしようもない。
 
 
店は客で満員で、繁盛は相変わらず続いているのかもしれないけど
蕎麦湯が臭くて飲めないほどの水を使ってる事に気づけないなら、
申し訳ないけど、看板の上に胡座をかいてるとしか思えない。
 
で・・・
はたと思いつく。
 
看板を磨く事もせず、仕事を進化もさせず、
質が落ちている仕事に気付きもしない処が彼方此方にある事に。
 
 
仕事は、本物になるのに時間がかかり、
本物となってもさらに、
常に変わっていく世の中に生き残れるよう
研いで磨いて進化していく必要がある。
 
だからこそ、
名声を集め、生き残っている老舗の看板というものには
重みが伴い輝きも大きく、ブランドとしての価値もあるのだ。
 
だが、同時にこうやって、
大切な看板に支えられている事に気づけず
ふざけんなって仕事をする老舗も出てくると、
代替わりか経営者が変わったか・・と思わされる。
 
横浜中華街では、
同じ名前で同じ料理を出しているけど
経営者が変わっていて味も落ちている・・という店が
実は結構存在していたりする。
 
この並木藪も、ひょっとしたら代替わりをしたのかもしれないけど、
大好きな蕎麦屋だっただけに、残念でしかたない。
 
残念だからこそ、敢えてこの記事を書く気になったのだが、
できる事なら気がついて、冷静に客観的にその蕎麦を食べてみて欲しい。
そして、修正できるところは修正して欲しいと、心から思う。
 
 
3回も手繰れば無くなる量の蕎麦を750円で売るのなら
さすがだ・・と思わせる味わいが無ければ、確実に廃れる事になる。
 
給料が天から降ってくると思い込んでるほど間抜けでは無いと思うけど、
看板に助けられているうちに体制を立て直さないと、
その歴史も終焉を迎える事になると思ってしまう。
 
 

 
 
さて
人の振り見て我が振り直せ
だ。
 
看板に寄りかかったり
こんなもんだろ・・・と手抜きをしていたり
そもそも仕事に対して真摯でない・・・
という愚行をしていないか?
 
自分の生き方を
今一度、見直してみようかね。
  
 

Happiness depends upon ourselves.

あと何回
君と会えるんだろう・・・
 
そう思うのは、
人生は予期せずに突然終わる事を知っているのと、
想像以上に寿命は短くて
なのに自由になる時間はもっと少ない事を
知っているからだ。
 
 
また、会えるよね?
 
って別れ際に言い合う事って
離れがたいとお互いが思う事の証明。
 
同時に明日を夢見て、
希望を信じるから、の言葉。
 
そしてそれは
まだまだ不安定な関係でもあり
埋めきれていない心の隙間が
まだ足りない・・と叫んでいる証拠でもあったりする。
 
 
最近思うのは
あと何回会える?・・・と
無意識に思ってしまう、自分の事。
 
会いたいと思うのは自分だけで
会えない寂しさを感じるのも自分だけで
 
実は自分は、必要がない存在なんだろう・・
と思いがちな心を否定する材料が、あまりに少ない毎日だからだ。
 
 

 
 
社会は人と人との繋がりで生まれ
感情というやっかいなエネルギーで発展してきた。
 
だから社会は保全のための手段として「ルール」を作り上げたが、
同時に「マナー」という心を救うための手段を醸成してきたのだ。
 
だが今の社会は、「ルール」はあっても「マナー」が無い。
 
自己中心的に「ルール」だけを守る人達が成功し、
他人の気持ちを踏みにじる行為さえ肯定されている。
 
だからこそ心の通う人と共に生きる事が唯一の救いになるのだが、
その時間を持てない現実が自分自身の問題とも重なって
絶えず心身を傷つけるのだろう。
 
 
でも、考えてみれば、
心が通い合う関係を持てない人だって
実は多いのかもしれない。
 
幸せの姿も、心の存在も、
相手を気遣う形式「マナー」が摩滅してしまう社会では
その実体を理解するチャンスすら無いのかも。
 
 
ごめん
私は
ルールを守ればそれで良し
という生き方はできないよ。
 
ルールはルールだけど
それよりも大事なモノがたくさんあるからね。
 
今の社会がダメと評論しても何も変わりはしないから
ルールよりも大事な事を優先する生き方をする事で
ほんの少しでも影響が出る事を期待しようかね。
 

成人式


 
 
この日私は、
成人式に出ないで
成人式の記念に写真を撮る人達の世話を、
していた。
  
職場の人達は「途中で抜けて行ってこい」と言ってくれたけど、
式に出る意味も価値も見出せ無かったし、
一刻も早く仕事を覚える事に専念したかった事を、思い出す。
  
 
いつの間にか横浜は、数回に分けて成人式を行うようになったけど
脳天気で同窓会と勘違いするような振る舞いが
取材で行った時には目について・・・
 
何故、今更こんな式を?
と思った事も、今は懐かしい。
  
  
日本国においては、成人と認められるのは20才。 
だが我がMCでは、30才をもって成人と扱うようになっている。
 
実際、寿命も精神年齢も、
昔の人に比べて7割ほどにしか見えない現代人。
 
ならば、我がMCの考えの方が、
「成人とは何か」を考えると正しいのでは?
と思えてしまうが不思議だ。
 
 
さて今年も、
成人式が各地で開催された。
 
戦争に匹敵する大きな被害を受けた天災の後、
若者達が自分の将来を真剣に考えるようになったと聞くが、
毎年どこかの街で起こる馬鹿騒ぎが無くなっているのなら
日本は新しい流れに乗った、と考えてもいいのかも知れないね。
 
 


 
 
昨日、自宅で使っていたTimeCapsuleが逝ってしまった。
電源が入らないのだ。
 
ネットで検索すると、
電源部のコンデンサーがパンクする、
という症状が多数載っている。
 
子会社の環境用に買った
AirMac Extreme BaseStationも
購入して暫くして電源が入らなくなって交換してもらったが、
自宅用のTimeCapsuleは購入してから2年以上経っているため
修理は有償となってしまう。
 
それでも不便だから・・とサポートページを見ようと思ったら
2日はアップルストアが初売りで1割程度の割引がある。
 
TimeCapsuleは思ったよりも使い勝手が悪かったし、
TimeMachine用のハードディスクは外付けの方がスピードも出るので、
AirMac Extreme BaseStationをポチッとしてしまった。
 
でも、ノートをワイヤレスで使えないの不便だ。
そう言えば会社でも、ワイヤレスで共有してるヤツが居たな。
自宅で使ってるiMacをノートと共有する事はできるのだから
インターネットも共有できないかな・・・・
 
と考えてネットを検索すると 
 
 
 
え?
 
インターネット共有にしておくと、AirMac要らないの???
 
 
 
あらら・・・
何だよ、それ(▼▼メ)
 
でも、パスワードはWEPしか使えないって
セキュリティレベルが低いのかぁ(・.・;
 
考えてみれば、個人宅のワイヤレス環境に入って、
共有切ってるPCにアクセスする技術がある人なら
AirMac使ってる時点でアウトなんだろうけどね。
 
 
う〜ん
初売りの値引きに乗って
AirMac Extreme BaseStationを買ったのは
失敗だったかも(^_^;
 
でもまぁ、
昔取った杵柄で、半田ごて持ってTimeCapsuleを修理するのも
楽しいかも、と思い直す。
 
最悪でも1TのHDを引っ張り出してストレージとして使えばいいんだし、
直ったら予備として持ってるも悪くない。
 
 
しかし、今日だけ割引・・とされると
買い物したくなるって、何故なんだろうね。
 
大して使いそうもないiPodTouchを買いそうになって 
物欲の神を退けるのに大変だったよ(爆)
 
 

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