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2009-06-11

東屋について

2b25
  

「人が信じるのは、真実ではない。
 自分が信用したい事だけを信じるものなんだ。」
 
 
と言う人がいた。
 
そして彼は、こう言葉を続けた。
 
 
「喋る事と聞く事を比べると、実は喋る事の方が遙かに楽だから、
 誰かに自分の話を聞かせよう・・と思ったら、
 相手の目の奥底を見ながら、相手の気持ちを想像しながら話さないと、
 まず伝わらないと思え。」
 
 
なるほど・・・と思う。
 
 
たしかに事実と真実は違う。
 
事実とは、ある真実のごく一部であって、
それだけを見ても真実を理解できるものではない。
 
だからこそ理解できた真実は、信ずるに値するモノになるのだが、
実は真実を理解できる事の方が奇跡に近いほど稀なわけで、
結局、自分の信じている事や信じたい事を信じて満足しているのかも知れない。
 
ただ、それでも「大人」と言われる人は、
その経験に裏付けられた、客観性を持った視点・考え方ができるから、
信じる事のみを信じていたとしても、酷い事にはならずに生きていけるのだろう。
 
そんな事を思うのは、
今回の東屋で若干あった、子供じみた行為を為す人間を見たからだ。
 
 
元々「東屋」という飲み会は、
私とシゲの個人的な「外飲みの会」だ。
 
2人で飲むより、一緒に飲みたい人が加わったらもっと楽しくなるかも・・・
と思ったからオープンにしてみて、気がつけば10年という月日が流れたワケだ。
 
でも、その10年の中で反省した事は多くあり、
明確にはしていないものの、ルールの様なものが出来上がっていた。
 
例えば
 
 ・自分達が出すゴミは持ち帰るのは当たり前と思っていたが、
  中華街の若者達が夜中に公園を掃除しに来るのを見て、
  その場を使わせて頂く気持ちを持ってゴミは全部片付けるべきと思い知ったので、
  各々それぞれが最初に東屋に着いた時点で見つけたゴミを拾い、
  誰かがそう動いたら必ず協力し、帰る時は分担してゴミを持ち帰り処分するようにした。
 
 ・あまりに楽しいから・・・と深夜まで飲み続け近隣住民に迷惑をかけてしまった事があり、
  以来、東屋消灯を持って解散とするようにした。
 
 ・参加者の自主性を重んじて参加費を取る事はしていないが、
  参加する人は、自分のできる範囲で、他の参加者の為に何かを提供する事にした。
 
 ・自分の事は自分で始末をつける事。
  飲む量、言動、泊まる所等、大人としての常識をもって行動する。
   
 ・ゲストを連れてきた人は、必ず参加者に紹介し、
  そのゲストについて責任を持つ事。
 
等がそれにあたるが、
考えてみればもっともな事ばかり。
 
そもそも大人の集まりだから一々そんな事を掲げないし、
友人の為に気を遣う事も、もてなす事も当たり前として、
自分のできる範囲でやれる事をやってきた、と自負している。
 
ただ、いつの間にか参加者の一部が、
自分の会のような気持ちを無意識に強く持つようになったのでは?
と感じるような事がここ3・4年あって、
参加者の自主性や大人としての常識を求めるためにも、過保護にアテンドする事は良くない・・・
と思うようになっていた。
 
で、今年、
私は、足が痛い事もあってクーラーボックスの持ち込みはやめ、
誰よりも早く東屋に行って掃除を済ませておくような事もやめてみたのだが、
辿り着いたら「ゴミだらけじゃん」という現実が待っていた・・・と。
  
  
正直、あらあら・・・とは思ったが、そこはそれ、
久々の再会を楽しんでる人達や、来たばかりの人達だから気付けないだろう・・と思い、
特に「手伝え」と言う事もなくゴミを拾いだしたが、
私のそばにいた若い参加者はその意味を理解できなくて、
ただ私の行動をぼ~っと見ていたようだ。
  
  
「若者!
 足が痛い某若がゴミ拾ってるのに、見てるんじゃねぇ!」
  
  
シゲが吠えた。
 
と、途端に他の参加者達が動きだし、
東屋の中は綺麗になる。
  
確かに、最初、自分だけがゴミを拾っていた事は、悲しいな・・と思わされたし、
そのパートだけ見れば「ダメなグループ」になっちゃったように見えるけど、
その後の参加者全員の動きを見て、ちゃんと動けるグループなんじゃん?
と思えて気持ちが救われたように感じたのも事実。
 
しかし、チェアウォーカーで見ている事しかできないシゲにとっては、
参加者達の「自分勝手な振る舞い」ばかりが目に映ってしまったのも、事実なのだろう。

 
では、真実はどうだろうか?
 
私とシゲとでは、若干の温度差があるけど、
見えた事実だけを分析しても、子供っぽい行動が目に付く人は確かにいたし、
逆に「この場」を凄く大切にし、楽しんでくれた人もまた、多くいた。
 
だから、正直言って、
真実はどこにあるかわからない。
 
そして私は、この東屋に参加する人達は
ちゃんと「大人」として行動できる人だと信じたいから、
そう見える「事実」だけを信じる事にした。
 
 
ただ、次回、掲示板等で情報をオープンしてやる時は、
これから先の10年の為にも、
上記に書いたような「参加者だったら知ってる不文律」を、
守れない人、守らない人には、お帰り頂く事を提案したい。
 
 2029
  
東屋の基本は「お互い様」の気持ちだ。
 
ライダーはどこかで「お互い様」という気持ちを持っていて、
だから最初は、MCの仲間が多く集まったのだろうし、
ゲストもまたそういう感覚を共有できる人だったのだろう。
 
そして10年が経ち、
やっぱり参加者の基本は「お互い様」だと感じているし、
だからこそ魅力も相変わらず存在していると考えている。
 
その「お互い様」という気持ち、
ひょっとしたら現在の社会には一番必要なモノかもしれないから、
そういう気持ちも込めて次回も開催したい・・と、
私自身は思っているけど、皆さんは如何だろうか?

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