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日記的雑感 Archive

管理職?

 4月は異動のシーズンで、

 我が社でも異動や昇進となった社員が数名いた。

 

 で、管理職も若返りを目指しての昇進があり、

 私の代はそろそろ、バックアップ側に回る感じでシフトしている。

 

 そんな現状を見て、ある意味正常進化だと思えるし、

 自分が会社を経営する立場であっても、同じように事を考えただろう・・と

 想像できるのが、面白かった。

 

 

 何かの仕事を効率よく行う為には、

 闇雲にスピードアップを行っても上手くいかない。

 

 一見無駄に見えるような下準備と、

 最終的なゴールを目指すために必要な何かを揃える事が、

 結果的に仕事を効率的にも、解りやすくもしてくれるものなのだ。

 

 そういう意味で、今、まだ若手とも行って良い年代を昇進させるのは、

 これからの会社の動きを考える上では大切な事であり、

 また、実際に彼らが誰にも頼らずに采配を振るう時点では、

 今の管理職よりも力強く確実に仕事を進めるためにも必要な事なのだ。

 

 ただ・・・懸念はある。

 

 というのは、

 若さ=経験不足、という事から、

 どうしても理想を強く持ちすぎたり、自我の強さから他人の意見を

 素直に聞く幅や奥行きが足りない傾向があるのだ。

 

 仕事は「急がば回れ」が当てはまる事が多いが、

 感情問題は「最優先に否定せず」という意思疎通好意が不可欠と言って良い。

 

 そして、人が人を動かす上で必ずついて回る感情問題を

 上手くコントロールできるようになってはじめて「管理職」という

 仕事をこなせるようになる。

 

 ただ、まだまだ欲もあり自我も強い若手達に、

 他人の幸せのために動き、

 他人の幸せを自分の喜びとして感じられるような

 一度自分を捨て去ってて気付ける心境になって欲しい・・・

 と言うのは、いささか過ぎた事でしかない。

 

 だからと言って放置したら意味はなく、

 どう、そこら辺を伝えるべきか、ここ数日、ずっと悩んでいる。

 

 

 つまり・・・

 ジジイらしい立場になってきたって事?

 

 なんだろうな・・・(/–)/

 

 

 で、何故か明日は、

 朝6時半集合で、スチールロケに出かける事になっている。

 

 はい

 要するに、スタッフ数が足りないので、

 何でもできる事はやらせて頂く管理職なんですな・・・>自分(^_^;)

新年度

 久々に、朝からネクタイを締めてみる。

 

 やっぱ嫌いだな、この格好。

 

 今日は4月1日だから、どうしてもセレモニーがあって、

 こういう日だけは着る事にしているのだけど、

 なんか、ちっとも仕事する気分になれなくなるのは、何故なんだろうね(爆)

 

 こんな日は、粋なジョークの一つも飛ばして

 エイプリルフールを楽しみたいところだけど、

 気分としては、新年度を迎えて、全部自分で数字をコントロールしていく・・・

 という重責で、重く、つまらなく、進歩無く・・・な感じなわけで。

 

 だから今日は、気持ちよく飲みたい気分ではあるけど、

 酒もなんとなく遠ざけるような体調だったりするから、

 まぁ、欲張らずに、コツコツと作業にも似た仕事にやられないよう、

 努めて軽く、明るく、頑張っていこう、と思ったりする。

 

 色々な事があって、

 自分の思うようにいかないから、

 人生は楽しい。

 

 何でも揃っている人生なんて、

 幸せ不感症人間を生むだけの、地獄でしかない。

 

 という事で、新しい年度のスタートは、

 相変わらずの自分を貫く・・・という気持ちで切る事にする。

50

 無事、50回目の誕生日を迎えて思う事は、

 「よくぞ、死なずに50年、生きたものだ」

 という事。

 

 人は、何かの役目を持って生き、

 その役目があるうちは死ねない・・と思っているが、

 自分が誰かに対してできる事は、そこそこ果たしきってきたと思っていて

 それでもまだ、こうやって生きている事を思えば、

 まだ、自分でも気付いていない役目があるのかもしれない・・と思う。

 

 今日は、広島から若者が私を訪ねて来た。

 

 特に何かを伝えようと思っていたワケではないが、

 ウェブという裏付けの無いメディアの中で知り合って、

 一緒に食事を供にできる・・という時間を持てた事は、

 やはり私が持たされている役目の1つなのだろう・・・と感じる。

 

 何かを伝える事なんてできそうにも無いけど、

 とにかく私は、今現在生きていて、

 こうして会って話ができて・・・と、生身の付き合いが

 ほんの短い時間の間にも成立したという事は、

 もの凄く「リアル」な出来事なのだ。

 

 

 人と人の関係は、

 縁と思いと偶然という名の必然があって成り立つ。

 

 そしてそれは、必ず人生の中で、お互いに必要なものだと、

 経験的に気付いている。

 

 そういう意味でも、

 50歳を迎える時に出会った若者達は、

 これからの私の人生にとって、何か大切な物を持ってきたのだ・・と

 気付いている。

 

 

 しかし・・・

 50年って、長くて短い。

 

 そしてそんな日を迎える時、

 一人きりで生きていないと思える自分は幸せだと、思う。

原風景

 「ねぇ、正直に言っていい?」

 

 「うん、何?」

 

 「貴方の香港の写真って、あまり好きじゃなかったの。

  だけど、今回見てわかった事があるの」

 

 

 え・・・?

 そうだった??

 

 私の写真は、その時感じた物を、

 意識しないで自然に撮る・・という物で、

 特に計算して撮るような物は無いから、

 撮る場所で、そんなに変わる・・なんて思えなかった・

 

 

 「好きじゃないって言うより、解らない・・というか、

  すんなり入ってこなくて、良いなって思えなかったのが正直なところなの」

 

 「へぇ・・・そうなんだ」

 

 「でもね。

  今回載せた物を見た、というか、書いてる事を読んで、気付いた。

  『元気をもらう』っていう言い方と風景を見て、

  貴方は、貴方が大好きな時代の横浜を、香港に感じているのだ・・って」

 

 

 衝撃的だった。

 

 自分では無意識に感じて、

 素直にその時の自分を映すように時間と空気を切り取っただけだったのに、

 無意識に求めている事は、もっとも横浜らしい空気だった・・という事に、

 自分自身が気付いていなかったのだ。

 

 自分が体験した事だけが、信じられる事。

 

 常識なんて通用しない特殊な環境の中で生きる事は、

 全てが自分の判断に委ねられる事。

 

 知ったかぶったカッコだけの情報通が何か言おうとも、

 ハッタリで飾った偽物が何を言おうとも、

 本物しか生き抜けない町だった横浜で生きる人達は、

 惑わされる事は無い。

 

 習慣も常識も違う人達が一緒に生きる街では、

 その人自身の力しか頼るものが無いのは、誰でも知っていた事だった。

 

 

 「そうか・・・

  俺って浜っ子だったんだ」

 

 「そうみたいね。

  それも古いタイプの・・」

 

 「あぁ・・・

  どうせジジイだよ」

 

 

 自分を常に客観視しようとしていても、

 こうやって第3者的な視点で指摘されると、まだまだだ・・と思う。

 

 だからこそ、誰かと会って話をする事は大切だし、

 自分の吐き出した物に対する評価は、例え耳が痛い指摘であっても

 それを聞かせてもらえる事にすごく感謝するし、貴重な声として

 大事にする事なのだ。

 

 

 とにかく、

 自分が求めている空気は、

 急速に失われつつある、横浜らしい空気だとわかってしまった。

 

 という事で、そのテーマに引きずられない程度に、

 そういう風景を切り取ってみよう・・と思う。

思う事

 3月いっぱいで県の番組に

 私の写真を載せるのをやめる事にした。

 

 ボランティアとは言え、毎週写真を提供するのは、

 それなりに労力と時間を費やすので、

 空いた時間だけでこなすのは難しい・・と感じたから。

 

 でも、仕事になる撮影はまだ続くので、

 タイミングを見てカメラを調整に出したいところなのだが、

 今度は昼の番組から協力要請がある。

 

 使える物ならドウゾ(^_^)

 と気持ち良く言える事が嬉しいが、

 また、なんとなく風景を撮る事になるのかも知れない。

 

 色々な形で何かを作る事を続けてきたが、

 スチールが最後まで残るのは不思議な事であり、

 また、当然の事でもある・・と考えている。

 

 若い頃からずっと関わってきたメディアなのだから、

 これからも、ずっと関わっていくのだろう(^_^)

 

 最近は、誰か知らない人を撮るのが面白い。

 

 その人の持つ、何かを表現したいし、

 その何かで、自分の気持ちを表現したい。

 

 そんな事が素直に考えられて、

 自然にそういう空気を切り取る事ができるようになったのは、

 それなりに人生を歩んできたからなのだろうか?

 

 という事で、また、

 通勤時にカメラを持っていたりする(^_^)

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