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日記的雑感 Archive

One hand for yourself and one for the ship.

  
  
    自分の思いが通じていないと感じた時、
    そう感じるキッカケが単なる誤解だったとしても、
    一度そう感じてしまえば、
    全ての事が否定された意味を持つように見える。
 
    そんな出来事は
    実は日々起きているから
    人間関係は難しいのだと思う。
  
  
    普通の精神状態であるなら
    自分の思い込みや勘違いに気づける事でも
    最初からフィルターをかけて見ている場合は
    紛争の火種になりかねない。
 
    そしてそんな火種を1つ
    職場で見つけてしまってから、ずっと悩んでいた。
 
 
    それは以前から、自分自身がフィルターをかけた視線で
    様々な予防線を張って対処していた事だった。
 
    ただ、その動きを見た上席から「偏見を持つな」と諭されて
    フラットな視点を持つ事を強く意識する事はできていた。
 
    しかし、人にはそれぞれ経験によって築き上げたルールがあり
    集団には文化が育っているもの。
 
    他人との付き合いや他グループとの付き合いには
    フラットな視点を持つ事と同時に寛容な考え方と
    守るべきラインを意識する事が重要となる。
 
    受け入れてみれば大した事でなかった・・
    という事が結構あるのに
    最初から「受け入れがたい」と壁を作れば、
    共に生きる社会を形成する事は不能となる。
 
    そしてその火種は、論理的な判断とは別の部分で
    まさに守るべきラインの取り合いで火事を引き起こす。
  
 
    そんなストーリーが見えてしまう出来事があって
    あらためて思う事があった。
  
    まず、自分の立つ場所を考えよう・・・と。
 
 
    何をするにも
    自分が倒れては意味が無い。
 
    その、当たり前な基本を感情で忘れてしまうと
    船から振り落とされてしまうのだ・・・と。
 
 
 
    今、世の中で起きている様々な問題は、
    持続可能な対処が求められているから
    まずは自分自身が健全に生きていく事が大切だ。
 
    その上で、自分の分を超えない対処を
    持続的に行いたいと思っている。
 
    自分を健全に保てない人間に他人の何かを背負う資格は無いし、
    自己中心的な感情で他人を動かせば必ず反動を生むし、
    結局自分に還ってくるもの、だしね。
 

Time tames the strongest grief.


 
 
明日は必ずやってくる
 
どんな時も
どんな人にも
 
あの日
多くを失った日本
  
何でも揃っている時代は終わり
何でも自ら作り出す時代が始まった
   
   
自粛という名の倹約は
電力不足という加速装置を得て
今までよりも景気を悪くする
  
そしてインフレ誘導の気配も見えて・・・
  
 
職場にはもう、自粛の空気は無い
 
勤務は通常のシフトに戻り
予定通りに連休も仕事となった
 
そう
逃げていたら負けるだけなのだ
 
  
次の手を考えて動く事しか
生き延びる方法が無い事は今に始まった事じゃない
 
そしてどんなに大変な事も
決して止まらない時が過去に変える
 
どんなに悲しい事も
時が癒してしまう
 
その時
あの時は大変だったって
笑って言える事が大事だと思っている
 
 

Beauty is in the eye of the beholder.


 
 
ソメイヨシノがすっかり散った後に
ひっそりと咲く桜を見つけた。
  
葉桜なのに
妙に色のバランスが良くて
しばし見とれてしまう。
 
 
こういう美しさって
好きだなぁ(^_^)

前へ行こう。振り返る暇は無い。

 
   1ヶ月ぶりに、担当している仕事が無事、再開した。
 
   いや、無事では無いか。
 
   緊急地震速報が複数回流れ、
   その都度緊張を強いられたのは事実。
 
   それでもちゃんと、
   営業は開始し、そして売上げこそ戻らなかったけど、
   どうにか再スタートが切れたと思う。
 
 
   仕事の合間に職場を移動すれば、
   既に葉桜になりつつある春の色が微笑んでいた。
 
 
 

 
 
 
   そうか・・・   
   もう、春なんだね。
 
 
   無くした物の大きさを嘆いても
   自分にとっては、正に不可抗力。
   意味の無い事を悩んでもしかたないね。
 
   様々な物を無くし、常識も無くし、
   ひょっとしたら国としての対面まで無くしてしまった日本。
 
   これだけの全世界の市民達からの温情を頂いたら、
   襟を正して、それに報いる義務も背負わないと。
 
 
   確かに、今まで拘っていた物なんて
   今は何の価値も見出せない感情が生まれてる。
 
   守るべきは何か・・・も
   よりドメスティックに、
   そして自分自身に向けて変化した。
 
   自分らしく元気に生きて、
   力を蓄え、分け与える。 
 
   それが一番だって、本当に思う。
 
 
   だから前へ向かって、
   自分を信じて進むよ。
   

Fanned fires and forced love never did well.

 
 
    人は変われるのだろうか?
    自分は、どう変わっていきたいのだろうか?
 
    それは、
    いつも考えてしまう命題。
 
    でも
    「結局変われない」という結論も、
    1日で変わってしまった「実例」も見ているから、
    要は本人の意識の問題なんだろう・・と
    思うようにしている。
 
 
    どういう環境で育ったか・・とか
    どういう教育を受けてきたかで基本的な思考パターンは象られるが、
    それをどう感じてどう反応するかは、その人の個性。
 
    その個性が強ければ、過去の環境の影響は少なく、
    学習して変化を自らに求めるなら、
    過去の様々な影響は全部踏み台にする事ができるものだ。
 
 
    今回の地震は、もの凄い経験を、
    特に、子ども達に大きく与えてしまったのは、事実。
 
    それがトラウマになるし
    価値観の崩壊と創設も強要するから、
    その子らを中心とする震災世代は、
    強い生き方が自然にできるようになれるだろう・・・
    と想像する。
 
 
    日本は、自ら変わる契機を迎えた。
 
    それをどう生かすか・・は、
    実は、個の問題だ。
 
    「何かをしなくちゃ」という思いを大切に、
    「情けは人のためならず」という言葉を噛みしめて、
    自分を力強く変えていける人が多くいれば、
    新しい日本の「スタイル」が作れるかもしれないね。
 

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