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2012-09-23

Don’t say “not my duty”

頑張っている事が報われる、
という事が実際の人生の中で
どれくらいあるのだろう。
 
頑張って積み重ねた結果、
当然に起こる「現象」を「報われた」と言うならば、
私の場合は、数多くあるのだと思う。
 
でも、
わかって欲しい・・とか、
認めて欲しい・・・とかの、
希望にも似た感情も伴う「結果」がソレならば、
実に少ない、と言うか、殆ど無いように思ってしまう。
 
自分としては、精一杯の事をしているつもりで、
でもそれは、自分にしかわからない頑張りで、
「結果」はそれなりの満足を得られる「形」になっても
満足できない気持ちに支配されてしまうのだ。
 
だけど、だからこそ次は・・・と思えるのだろうし、
それは常に上のレベルを目指すために必要な事、でもある。

 
ただね
それがわかっていても
理解されないで
悲しくなる事はある。
 
しかも最近は、
そんな気持ちになる事が、
多くあり過ぎた。
 
 

 
 
20代の頃、会社のトップに言われ続けた事。
 
それは
「これは私の仕事ではありません、と言うな。」
だった。
 

高度成長期の真っ只中。
 
どこの会社も、湯水の如く金を使い、
社員はドカドカ増やして担当分けをして、
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とばかりに攻勢をかけた。
 
「会社の金をどれだけ使えるか」がステイタスとなり、
同僚を蹴落とし出し抜いても前に出るタイプが、
部下を踏み台にして出世するのが、当たり前の事だった。
 
そんな時代に、
会社全部を背負うつもりで日々生きろ・・と、
「看板」を背負う意味を強く説いた彼は、
いつまでも経済が膨れあがるほど日本は広くない事を
直感的にわかっていたのだ・・と、今は理解できる。
 

 
 
写真は、
その日その時の自分が、
呆れるほど正直に写るもの。
 
彼は写真作家でもあったが、
晩年、身体を壊していた頃の写真を見せて頂いた事が、あった。
 
それは、病室で自分が受けている点滴のバッグを写した物だったが、
そこには死期を感じた彼の気持ちが、見事に写っていた。
 
その切り取られた寂しい感情は、
今の自分には、実に良くわかる。
 
 
今回の一枚は、
その日の環境と感情が
呆れるほど鮮明に写ったもの。
 
こんな写真がまだ撮れるから、
報われている事に気づけない自分がいる・・と、
理解できるんだろうね。 

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