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2011-04

まず、すべき事。

 
 
   「なんかさぁ・・・
    むかつくんだけど。」
 
   「どうした?」
 
   「いや、さぁ・・・
    昨日スーパーに買い物、行ったんよ。
    そしたらさぁ・・」
 
   「物が無い?」
 
   「う・・・ん、
    そうでも無いんだけどさ。
    米が無くてさ。
    ほら、買い占めしないように、
    無くなるまで買いに行ってなかったんよ。」
 
   「正しい。」
 
   「うん。
    で、さ・・・
    米、あったんだよ。
    2キロの袋がしっかり積んであって」
 
   「良かったジャン。
    精米所から、ちゃんと供給されだしたって事か。」
 
   「あったのは、良かったんだけどさ。」
 
   「うん。
    で、何をそうムカついてる?」
 
   「いやね。
    その米の山の横の棚は、
    すっからかんでさ。
    何が置いてあったのかな・・と思って見たら・・・」
 
   「うん」
 
   「それも米だったんだけどね。」
 
   「米はあったんだろ?」
 
   「うん。コシヒカリ。」
 
   「贅沢な・・・。
    あ、安い米は無くなってて?」
 
   「違うよ。
    ガラガラの棚に置いてあっただろう米も、コシヒカリ。」
  
   「随分、贅沢なスーパーだな」
 
   「・・・・」
 
   「あ、ソコじゃないのね」
 
   「残ってた米は、福島県産だったのさ。」
 
   「あ?」
 
   「腹、立つだろ?」
 
 
  風評被害も、ここまで来ると罪は重い。
 
  考えて欲しい。
  米は何時、収穫するものか・・を。
 
  去年の秋に収穫し、ごく最近、横浜の精米所で精米した米。
  その米のどこに、放射能の影響があると言うのか?
 
  確かに、流れる情報の信頼性は低いのかも知れないけど、
  それだって不安なら、自分で調べればかなりの所まで辿り着ける。
 
  それと、物理的に問題無いとすぐわかる事だって、
  実は結構あるはずなのだ。
 
  なのに
  福島=放射能って考えての行動が、
  こうやって目に見えてくると、正直腹が立つ。
 
  過度に神経質になる気持ちは、
  放射能に対するアレルギーがもたらしているのだろうけど、
  明らかに安全なモノまで排除するような愚行に、
  そろそろ気付いて、恥じて欲しいと思う。
 
 
  情報を流す人達の感情が子供っぽいのも、
  受け取る側の「物を考えない体質」も、
  何でも求めれば手に入る時代が生んだモノなのだろうか?
 
  だったら、今一度、不便な時代に生きて、
  協力して生きる大切さと、
  必要なモノは自ら作り出す気概と、
  他人を思いやる優しさを学ぶべきだと思う。
 
 
   「で、さ・・・」
 
   「うん?」
 
   「米は買ったのか?」
 
   「もちろんさ。
    会津産コシヒカリは美味いんだぜ。」
 
   「農協系の仕事もしてたんだっけね・・・」

   「あぁ。福島の米は食味で特AかAを取ってて・・・」
 
 
  誰にでもできる復興手段の1つとして、
  消費活動の正常化が上げられる。
 
  節電による自粛で営業時間を短縮したり、
  夜の営業をやめてしまっている店舗も見受けられるけど、
  消費が落ち込めば経済はどんどん疲弊する。
 
  そしてそれは、この不況真っ只中の日本にとっては
  命取りにもなりかねない問題に発展するだろう。
 
 
  ガンバレ日本を言うならば、
  贅沢は我慢しつつも、消費活動を通じて
  社会の中で金を回していく事を、心がけて欲しい。
 
  公共自治体の活動は、
  税収で賄われてるいる事を忘れてはいけないのだ。
 
  そしてこの震災を乗り越えるのには息の長い支援が必要だから、
  今の感情が落ち着いてしまった時にも頑張れるよう、
  社会を保っていかないといけないと思う。
 
 

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