- 2011-04-04 (月) 3:30
- 日記的雑感
「なんかさぁ・・・
むかつくんだけど。」
「どうした?」
「いや、さぁ・・・
昨日スーパーに買い物、行ったんよ。
そしたらさぁ・・」
「物が無い?」
「う・・・ん、
そうでも無いんだけどさ。
米が無くてさ。
ほら、買い占めしないように、
無くなるまで買いに行ってなかったんよ。」
「正しい。」
「うん。
で、さ・・・
米、あったんだよ。
2キロの袋がしっかり積んであって」
「良かったジャン。
精米所から、ちゃんと供給されだしたって事か。」
「あったのは、良かったんだけどさ。」
「うん。
で、何をそうムカついてる?」
「いやね。
その米の山の横の棚は、
すっからかんでさ。
何が置いてあったのかな・・と思って見たら・・・」
「うん」
「それも米だったんだけどね。」
「米はあったんだろ?」
「うん。コシヒカリ。」
「贅沢な・・・。
あ、安い米は無くなってて?」
「違うよ。
ガラガラの棚に置いてあっただろう米も、コシヒカリ。」
「随分、贅沢なスーパーだな」
「・・・・」
「あ、ソコじゃないのね」
「残ってた米は、福島県産だったのさ。」
「あ?」
「腹、立つだろ?」
風評被害も、ここまで来ると罪は重い。
考えて欲しい。
米は何時、収穫するものか・・を。
去年の秋に収穫し、ごく最近、横浜の精米所で精米した米。
その米のどこに、放射能の影響があると言うのか?
確かに、流れる情報の信頼性は低いのかも知れないけど、
それだって不安なら、自分で調べればかなりの所まで辿り着ける。
それと、物理的に問題無いとすぐわかる事だって、
実は結構あるはずなのだ。
なのに
福島=放射能って考えての行動が、
こうやって目に見えてくると、正直腹が立つ。
過度に神経質になる気持ちは、
放射能に対するアレルギーがもたらしているのだろうけど、
明らかに安全なモノまで排除するような愚行に、
そろそろ気付いて、恥じて欲しいと思う。
情報を流す人達の感情が子供っぽいのも、
受け取る側の「物を考えない体質」も、
何でも求めれば手に入る時代が生んだモノなのだろうか?
だったら、今一度、不便な時代に生きて、
協力して生きる大切さと、
必要なモノは自ら作り出す気概と、
他人を思いやる優しさを学ぶべきだと思う。
「で、さ・・・」
「うん?」
「米は買ったのか?」
「もちろんさ。
会津産コシヒカリは美味いんだぜ。」
「農協系の仕事もしてたんだっけね・・・」
「あぁ。福島の米は食味で特AかAを取ってて・・・」
誰にでもできる復興手段の1つとして、
消費活動の正常化が上げられる。
節電による自粛で営業時間を短縮したり、
夜の営業をやめてしまっている店舗も見受けられるけど、
消費が落ち込めば経済はどんどん疲弊する。
そしてそれは、この不況真っ只中の日本にとっては
命取りにもなりかねない問題に発展するだろう。
ガンバレ日本を言うならば、
贅沢は我慢しつつも、消費活動を通じて
社会の中で金を回していく事を、心がけて欲しい。
公共自治体の活動は、
税収で賄われてるいる事を忘れてはいけないのだ。
そしてこの震災を乗り越えるのには息の長い支援が必要だから、
今の感情が落ち着いてしまった時にも頑張れるよう、
社会を保っていかないといけないと思う。
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