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2008-09
責任って何だろう?
- 2008-09-02 (火)
- 日記的雑感
責任って何だろう?
責務を果たす事が責任なら、
責務を果たせない事がわかったら潔くリタイヤ宣言をする事も責任、
かも知れない。
だが・・・
これが一国の長となると、話は変わってくる。
国政を預かる者が責務を果たせないから・・・と辞める事は、
どう考えても、無責任だと感じてしまうから不思議だ。
だがそれは、巧妙に仕組まれた手段・・と見るのが、
政治の世界を判断するために必要な切り口でもある。
誰もが「無責任極まりない」という意識を持つ行動を起こし、
次に立つ者を追い込みつつもその逆風を上手く利用すれば、
捻れきった現状を打破する勢いと世論を手に入れる事も可能な方法。
それが今回の「電撃辞任」が狙う最後の手段だった・・・と思う。
そしてそれは、自らの党に向けての、
「やれるものならやってみろ」的メッセージも含んでいて、
評論家化して実際には大した動きもできない政治家達への
背水の陣を引いた将軍からの果たし状でもあるのだろう。
トップというものは、
いざと言う時に逃げない強さを求められるもの。
逆境にこそ実力を発揮し、客観視を忘れず、
自分なりの筋を通して広く支持を集めるられる人間が、
トップとして成功できるのだろうと思っている。
肩書きに胡座をかき、
求められる役割を果たすどころか気付きもしない、
裏では穀潰しと揶揄されるどうしようも無い人間でも、
危機的状況において、それを乗り切るロジックと戦略、
屈しない強さと圧倒的なリーダーシップをもって乗り切れば、
誰にも信頼感を持って支持されるのは当然の事。
それにそんな人間なら、日頃はどんなにダメダメ君でも、
ダメな部分を埋めるスタッフがついてくるものなので、
結果的にその集団は、上手くまとまっていくものなのだ。
経験とは、どれだけの修羅場をくぐり、
どれだけの失敗を糧に成功への道を探ったか、というもの。
だから、日頃どんなに偉そうな事を言っていても、
いざ修羅場となった時に動けない奴は、信用に値しない。
願わくは、
修羅場にこそ動ける人間でありたい・・・ね。
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