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日記的雑感 Archive
早すぎる
- 2013-03-23 (土)
- 日記的雑感
今年の桜は、もう満開?という状態。
早すぎるね〜と呟いても
季節がなんだかおかしくなっているから
観測史上初めて・・な天候にも驚かない感じなってきた。
早すぎると言えば
キヤノンのEOSkissのモデルチェンジ。
実は、暗いところが強いだろうから・・・と
先週EOSkissX6iを購入していた。
かねてから購入しようと思っていたのだけど
その暇が無くタイミングがなかった。
で、先週やっと時間が取れて写真関連の材料を仕入れに行った際
値引きされていたボディを買ったのだが、
キヤノンお得意のキャッシュバックキャンペーンもあって
何か新型が出るな・・とは感じていた。
EOS7Dが出てから長いので新型になるのかな?
と想像していたけど、kissとは思いもしなかった。
と言うのもkissX6iは去年の6月に発売で、
モデルチェンジが早いエントリーモデルでも
10ヶ月で新型が出るって・・・ねぇ(^_^;
スペックを見れば、撮影等の機能は同じで
ボディサイズが小さくなっただけ。(デジタル1眼では世界最小らしい)
現在の大きさでも充分に小さいので
これ以上小さくなったら撮影しにくいかも・・・
とも思うけど、ライダーが旅行に持っていくには良いのかも。
でも新型のX7とX2を比べてみると、
幅が12ミリ、高さが6.8ミリ小さいだけで
奥行きはX2の方が7.3ミリ小さい・・という感じで
凄く小さくなったワケではなさそうだ。
そして同時に発売されるX7iはX6iと同じサイズのボディを使い、
塗装やダイヤル等の化粧を変えただけの「なんちゃって新型」だという事も、わかった。
(機能もサイズも一緒だし、素人向けのプリセットが増えてもねぇ)
目先を変えても、私のような使い方の人にとっては、新型は必要無い・・・
という事になるのだけど、なんとなく旧型を持っているのが嫌な人には
売れるのかも知れないね(爆)
ただ、X6iを買った日、同時にiPadまで買ってしまって、
ストレスフルな毎日の鬱憤晴らしもしちゃったりしてた(^_^;
そのおかげで、kissとAir11を機能的に収納できるバッグをポイントで購入できたのは
ラッキーだったけど。
カメラにしろタブレットにしろ、新しい物を使ってみると驚かされる。
性能がかなり良くなっていて、実に魅力的。
だけど同時に、いい加減に使う事を許さないような
環境整備からやり直しをさせられるような
そんな思惑が見えてしまうからだ。
例えば写真を例にあげてみると
Retinaディスプレイは2,048 × 1,536ピクセルの解像度があり
以前のディスプレイ1,024 × 768ピクセル見るよりも
遙かに大きなサイズの写真データが欲しくなるのだが
その大きなサイズの写真加工にはハイスペックなPCでの作業が求められ
その結果、現在のPCやソフトをアップグレードしたくなる・・・
といった感情的誘導がなされてしまう、と(爆)
たぶんこれも、ビジネスモデルとして考えられている事だろうけど
地デジ化により無理矢理HD化された動画環境も同じ様な構造があるから
メーカーはこうやってハイスペック化をさらに加速させる事でしか
新しいニーズを掘り起こせないと思っているんだろうね。
でもさぁ
iPadのRetinaディスプレイ(2,048 × 1,536ピクセル)って
27inchのiMacディスプレイ(2,560 × 1,440ピクセル)と同等なんだなって思ったら
MacBookProのRetinaディスプレイ版なんて、恐くて使えなくなったよ。
今と同じような使い方を求めたら、
どれだけのメモリーやストレージが必要になるんだろう?・・とか
そもそも画質の悪い写真や動画は見る気にならなくなる・・とか(それがメーカーの狙い?)
余計な事に苛ついたり金がかかったりしそう、だからねぇ(^_^;
あ・・・
そうか。
最近写真のサンプルのサイズに、長辺2000ピクセル以上のデータを求められるって
写真をiPadで見てるって事なんだね(・.・;
業界をまたぐ収益構造に乗りたくないのに、
そうやって外堀から埋められてしまうのか。
くわばらくわばら・・・
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思う事
- 2013-03-11 (月)
- 日記的雑感
その男は、長い灰色のコートを着て
その上から重そうなリュックサックを背負っていた。
入口を入ると、一番近い4人掛けのテーブルに陣取り、
リュックをドスンと椅子に落とし、その上に無造作にコートを脱ぎ落とす。
「熱いお茶をくれ」
それは、
夕方、まだ陽が落ちきっていない頃、
6人掛けのカウンターと4人掛けのテーブルが3つある
饂飩専門店での事だった。
「いらっしゃいませ」と声をかけられても反応しなかった彼は
開口一番に恐い口調でそう命令する。
若い女性店員が飛び跳ねるように彼に近づき、
そしてお茶を淹れるべく水屋へ向かった。
「おい! 暖かいお茶じゃなくて、
熱いお茶だぞ!」
「はい」
なんとも乱暴な客だな、と思うが、
年の頃を見れば70を過ぎた感じもするので、
その世代独特の偉そうな態度なのだろうと推察した。
「お待たせしました。」
「あ・つ・い・お茶、だろうな?」
「熱くしました。」
「そうか。
この、ざる饂飩をくれ。」
「太麺と細麺がございますが・・・」
そう、彼が頼んだのは、一番安い饂飩。
でも饂飩その物を楽しむには、一番良いチョイスなのかも知れない。
そして彼はつまらなそうな顔をしてお茶をすすり、
しばし虚空を見るように、静止する。
熱くないって文句でも言いたいのか?
と思った途端、彼が口を開いた。
「ちょっとさ、金下ろしてくるから出るよ?」
そう言い放って彼は、荷物を椅子にぶちまけたまま
外へ出て行く。
おいおい
熱いお茶をゆるゆると楽しむんじゃないのか・・・?
そして店内に流れていた妙な緊張が緩み
私は山芋と生海苔の磯辺揚げをつまみに
生ビールを楽しむ時間を取り戻した。
思うに、同じ事を言うにしても
見るからに上品な老紳士が優しく穏やかなトーンで
かつ笑顔を交えて言ったら、こんな緊張は生まれないだろう。
店の人も面倒な客だって思わないだろうし、
同席する他の客にしてみれば「何様?」ってむかつく事も無い。
つまり、ただワガママで偉そうな空気を振りまく事が
自分の想像以上に回りを不快にしてしまうって事なのだ。
(事実、その男の態度でビールが不味くなったのだしね)
と、そこにまた、あの男が挨拶もなく店に入ってきた。
「おい、熱いお茶をくれ、熱いのをな。」
なるほど、この男はこうやって
自分で放置してぬるくしたお茶を換えろとワガママを言うのだな。
どこにでも、必要以上に回りを不快にする奴はいるのだね。
「お待たせしました、ざる饂飩です。」
「おい、紙のエプロンは無いのか?」
え?
ざる饂飩を食べるのに、紙のエプロンが欲しい??
彼のオーダーした饂飩は、680円。
この店は最初の2玉まで同じ値段で出す庶民的な店で、
関東の饂飩屋としては頑張ってる部類だと思うから
紙のエプロンなんて常備していないのでは・・・
と思ったら、店員が持ってきた。
その男を見れば
きっと誰も相手にしないクソジジイなんだろう、とは思う。
だが、物言いや態度一つで同じ事を言っても空気が変わるのだから
彼はその態度で充分に嫌な空気を吸う事で、
知らず知らずのうちに罰を受けているのだろう、とも思う。
ここのところ、
物理的に無理なオーダーに痺れ、
無神経な行動や言動に苦しめられ、
それでも努めて無感情でいようと努力していた。
だがこの男の姿は
そんな無神経な人間の成れの果てであろうし、
年老いて暇を持て余して散歩する時に
一緒に食事を楽しむ仲間も居ないという孤独さは
自分が引き寄せた環境だと、教えてくれてもいる。
どんなに大事にしていても、
自然の力がそれを奪う事だってあるのだから、
今、生きている事に感謝して、
できる範囲で回りにも優しい空気が流れるような生き方を
心がけたいと思う。
ただ
何も言わずにじっと耐えていても
耐えている事が既に重い空気を醸してしまうから、
望む事は声にしようとも、思う。
会いたい時には
会いたいって言おう・・ってね。
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塞翁が馬
- 2013-03-06 (水)
- 日記的雑感
それはあっけなく、言い放たれた。
ごく、当たり前の様に。
少しばかり納得がいかず問いただすと、
私の言い分に対し、計算がなされた結果だと
わかった。
春の気配が見えだした今、
「別の道」は敢えて選ばない限り、必要が無くなる状況となった。
それはそれで必然か?
とも、思う。
まだ役目が残っているのか?
とも、思う。
いずれにしろ、今暫く成り行きを客観しながら、
幕を引くタイミングを計る毎日が、続くだろう。
しかしもう
決めてしまった心は、変わらない。
同じ事態が起きるのなら、
同じ動きをするだけの事。
自分らしく生きる事が
自分の生き方に従う事が
納得いく路に繋がっている。
それを知っているから
そこにこそ価値があるから
気持ちにブレは起きるはずもない。
見切ってしまった己の嵩も
自由に生きたい気持ちに力をくれた。
今年の春は
きっと綺麗に見えるだろう、ね。
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春を待つ
- 2013-02-24 (日)
- 日記的雑感
もうかなり前に決心し、
流れが確定したら、実行しようと思っている事がある。
そしてその流れを見極めるのは、
たぶん3月いっぱいの事になりそうだ。
仕事は仕事として頑張れる自分にとっては、
その仕事に見合った対価があれば、不満は無い。
だが、立場には合わない責任があったり
それに見合わない報酬だったりすれば不満になるし、
不公平な扱いが放置気味に見えていれば
それはどんどん大きくなっていく。
だからと言って、私の立場ではどうする事もできない毎日ではあるし
現時点での自分を客観的に見れば、自然の流れの中にあるようにも思え、
それ故、心のバランスを取る事がどうにかできていた。
だが、そんな日常も、
いよいよ決着の年齢に達する事から、
嫌でも動きは出てしまう事に、なる。
世の中は
年齢分布の不均一さと
それぞれの世代が受けてきた教育の変化によって
もの凄い勢いで変化しているように見える。
それを見つめているだけで
まだまだ社会が混沌としている事を感じるけど、
社会が醸成するのを待てるほど、私は長生きできそうにない。
だから、自分の道を探す事が
どうしても大事になってきた。
求められれば、頑張れる。
頑張ったら、認めて欲しい。
それはきっと、
子供でもわかる事。
でもその、ごく当たり前な事すら
世の中には成立していないように見えてきたから、
残された時間を有意義に使いたいと思うのだ。
もう
求められる事は無いのかもしれないけど、
まずは、春を待つ事にしよう(^_^)
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繋がってる?
- 2013-01-20 (日)
- 日記的雑感
情報のPush化に苛立つのは、
自分が情報を探す事を、無意識に疎かにする事。
楽な方を望むのは人間の性なのか、
そのおかげで様々な機械やシステム、ソフト等が生まれ、
動き方さえマニュアルに従うような社会が、醸成された。
でも、特に情報の世界においては
この「動き」はとても恐ろしい。
ラジオやテレビなどのマスメディアが免許制となっているのは
情報操作がしやすいからで、
それゆえ発信側には強く良識が問われるのだが、
現在のプログラムを見る限りその良識が見当たらないように、感じる。
原因は様々だが、
ひょっとしたら現在の経営者達が育った社会が
その一端を担っているように思う。
頑張ったら頑張っただけ報われる、という時代に生きた人達は
頑張っても儲からない時代には、対応しにくいのだろう。
机上論と計算で自分達の環境を維持するために
良識はどこかに捨ててしまったように、見えるからだ。
そして今、情報を操作してでも需要を喚起するべく、
情報のPush化は、加速する。
「ねぇ、会いたいんだけど?」
「うん?どうした?」
「会ったら、話すね。」
そんな簡単な会話も、
実はメールやチャットだったりする今。
携帯で、ちゃんと話すのは仕事関係だけで、
親しい人とのやりとりの大半はメール。
コストもかからないし、簡潔に伝わるし・・・という利点によって
いつの間にかそういう事に、なっていた。
でも、
仲は良くてもそうそう会えない人に対しては
文字情報では伝えきれない感情が温度差を生む?・・・と、
その関係が、シフトしていく恐怖に捕らわれてしまう。
メールは繋がっても電話は繋がらなくなると、
そんなにも自分との時間が持てないほど
嫌われているのでは?
と、思わされたりするからだ。
香港の人達は電話好き。
どこでも構わず、大きな声で携帯で話をする。
うるさい!と叫びたくなるような状況でも、
繋がっていないと不安な国では会話が大事なのだろう。
帰国して電車に乗って感じたのは、静けさ。
そして、着席している乗客の殆どが携帯を見ている気持ち悪さ。
ねぇ
ちゃんと大切な人と、繋がってる?
繋がっていると思ってるのは
タダの文字情報だけの裏付けじゃないの?
その文字情報、全部リアルじゃないかもよ?
そんな風に思う自分、
古い奴なのでしょうか(^_^;
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