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情報の選択


 
 
マスコミのニュースは、事実の一部分を伝えているに過ぎず、
その繋げ方でどのような想像をさせられるかは、
演出という名の傲慢な操作によってコントロールされている。
 
これは、面白みを与える手法として意識的に使われているのだが、
ニュースをショー化した番組に慣れてしまった人達には有効で、
今の日本の意識形成を左右する位の力もある。
  
でも、今回の震災については、
その演出サイドが対応しきれていないようで、
ただただ、自分たちの苛つきを垂れ流す状況になっていると
感じているのは、私だけだろうか。
 
生活必需品が無くなったり、ガソリンが無くなったのも、
実は、そんな苛つきが作り出す政府への不信感や
必要以上に煽る不安感による物だと思う。
 
米が無いわけじゃなく、ガソリンが無いわけじゃなく
ただ、不安に覚えた人達がいつもより多めに買った結果、
供給が追いついていない・・というのが実状だ、
という情報もやっと流れ出した。
 
 
一度買い占めに走ってしまった人達が作り出した、
スーパーに物が無い状況という環境が、さらに不安感を煽っていて、
計画停電に対応して照明を消し、エスカレーター等を止め、
深夜営業を取りやめる店も多数出て、不安感の連鎖は当面止まりそうにない。
 
という事で、情報は取捨選択して、
自分で判断する事が大事なんだ・・と思うのだが、
その取捨選択前の情報ソースとしてツイッターが良いと言い切る人が、
昨日の夜、TVで熱く語っているのを見て、首を捻った。
 
 
ツイッターは確かにユーザーを増やしているようだが、
私はこの私的で短すぎる情報が、今ひとつ好きになれない。
 
確かにスピードは速く、双方向で情報交換ができる事は理解できるけど、
文章の持つ力を軽視しすぎていないだろうか・・と思うのだ。
 
一人称的呟きのストレートで辛辣な表現は、
間違いなくリアルである同時に力を伴っているから、
自分の思ってる以上に強く伝わる事は、想像に難くない。
 
そしてその表現方法は、実は子供が使う手法なんだと、
どれ位の人が気付いているのだろうか。
 
子供は社会の中で一人前に生きていないから
表現はストレートで自分本位となるが、
子供だから・・と許されているだけなのだ。
 
 
裏をそれなりにとって流すマスコミでさえ
演出という名の情報操作を行い世論を作る。
 
裏も取らずに思い込みだけで呟かれる情報に、
どれだけの価値があるのか、私にはわからない。
 
取捨選択するには、相当以上の知識と経験が必要なら、
そんなツールは使わない方が楽だな・・と思ってしまう。
 
 
マスコミは、今こそ、
求められる情報を、真摯に確実に流すべきだ。
 
そしてその情報にさえ、取捨選択を求められている現状に、
視聴者も気付いて、冷静に動いて欲しいと心から思う。

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