Home > 日記的雑感 > Ein Eingang des Himmels

Ein Eingang des Himmels


 
20代はひたすら学ぶ時期。
30代はひたすら遊ぶ時期。
40代はひたすら尽くす時期だとすれば、
50代はどんな時期だろう?
 
職人にそんな話を投げた時、
最初の10年師匠の技を盗んで自分を作り、
次の10年で出来上がった自分を壊し、
その次の10年で本当の自分を作り上げるんだ・・・
という答えを貰った事があった。
 
その答えを当てはめてみれば、なるほど・・と思うんだけど、
職人の次の10年の答えはその時には無く、
自分もまた、本当の自分を作り上げる時期であったため、
本当の自分が見えてからまた始めれば良いや、と、深く考える事をやめていた。
 
 
さて、そんな事を、思い出すのは、
ここのところの流れを見て思うところがあったから。
 
確かに社会に出て最初の10年は、
自分が掲げるべき看板を探す旅だったし、
次の10年は実際に看板作りをする準備期間だった。
 
そして次の10年は自分の看板を作る10年で、
その看板を立ち上げる事も、自分なりに節目として行ってきた。
 
問題はその後の自分をどうするか・・・なのだ。
 
 
先輩や先達、そして様々な人達から頂いた言葉をたぐり寄せながら、
導かれた道に足を踏み入れてみると、朧気ながら見える事がある。
 
それは、
看板を作り上げて立ち上げても、
それで終わりではなく、始まりの合図を出しただけ・・という事だ。
 
 
これからの自分の動きで、
掲げた看板には重みと輝きが宿っていく。
 
時と共にくすんでいく看板を日々磨かねば、
苦労して立てた意味も消える・・・と知れば、
やはり次の10年は、看板を磨く時期なのだろう。
 
 
そう・・・

まだまだ私は、
輝くほど看板を磨いていない。
 
看板のどこを磨くかも、
わかっていないようにも思う。
  
という事で、
当分「あがり」への道を歩むワケには
いかないんだろうね。

コメント:5

群馬の齊藤。 10-09-10 (金) 23:41

こんばんわ!(^^)
私ももうすぐ50で、最近の20~30代の若い人たちと仕事してるんですが、
私の残りの10年は、人を育てる10年ではないかと思っています。
60才定年ですので、ちょうどあと10年ですもんね。(A^_^;
今までの先輩たちから譲り受けたもの、自分が磨き上げたもの、
若者たちと切磋琢磨して、磨きあげながら、
若い人たちに、伝えて行く時代だと思ってます。

bowjack 10-09-11 (土) 11:23

どうも(^_^)>群馬の
 
 
後輩を育てるのは先輩の役目、
だと私は思っています。
 
そして、下を育てる為にも自分をもっともっと上へ・・・
と、日々の精進が求められるワケで(^_^;)
 
 
ただ歳を重ねて、年長者だから・・と下を教育しようとしても、
力が無ければ話さえ聞いてもらえないのは、今も昔も同じ事。
 
下に伝えるべき事は全て伝え、自分も磨けば、
その輝きを感じられる人は必ず、後をついてくるものだと感じています。
 
そしてその輝きは、
自分自身を育ててくれるようです。
 
 
気を抜いて、自分の事だけにフォーカスしていると、
そんなわかりきった事さえ見えなくなるな・・と反省中です。

群馬の齊藤。 10-09-11 (土) 23:42

こんばんわ!(^^)
私も自分自身にフォーカスすると、
この10年で何を磨くべきなのか、思案しています。
社会の集団の中での動きは、上のコメントなんですが、
個人的には、人生の仕上げのための十年ですから、
変化するためには、固まってしまった自分を、
もう一度壊し作り直す必要がある気がしています。

ハリ 10-09-24 (金) 18:04

こんにちは。いつも楽しく拝見させていただいております。
 
孔子の有名な言葉を連想しました。
 
子曰わく、吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
 
私は今月でついに50歳になります。とても天命を知りそうにありません。
 
孔子も尊敬していた蘧伯玉(きょ・はくぎょく)の言葉では、
 
年(とし)五十にして四十九年の非を知る
 
過去四十九年の生き方を全否定するほど、五十歳の現在をベストに生きたいということ。
すばらしい。50歳にして、このバイタリティ。
 
私もこうありたいものですが、現実は厳しい限りです。

bowjack 10-09-24 (金) 18:31

自分が50になった時には、
「天命」というよりも「役目」というモノを意識しました。
 
自分にとって都合の良い事も悪い事も、
実は役目として担うべき事なのだな・・・と。
 
 
失敗は理解して正せば糧になる。
 
昨日までの自分を否定してはじめて
明日への道が見えるのだろう・・とも思います。
 
そして、今日こそ自分らしく生きようと思いつつ、
なかなかそれが難しいと思い知らされる毎日。
 
思い通りにならない日々だからこそ
人生は退屈できない面白さが有るんでしょうね(^_^) 

コメントフォーム
Remember personal info

トラックバック:0

このエントリーのトラックバックURL
http://blog.wakao.info/archives/1920/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
Ein Eingang des Himmels from bowjackmoore - 日記的雑感

Home > 日記的雑感 > Ein Eingang des Himmels

検索
フィード
メタ情報

Return to page top