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bowjackmoore – 日記的雑感

スクラップ・アンド・ビルド

いよいよ人生の一区切りがつく年となって、
年頭にあたって、珍しく目標を作ろうかな・・と思った。
 
毎年、毎日を納得するように生きれば、
悔いなく生きられるって思ってきたけど、
暦が新たに始まるのなら、今までとは違う世界を見たくなる。
 
やりたくても封印してきたことは結構あるけど
何故かその封印が解けたような動きが始まりだした。
 
節分で新たな年を迎えるのだが、そろそろ新年の影響が出てくる時期。

今まで当たり前にできていた事が難しくなり、難しかった事が動く年なら、
行きたい方向をぶらさないで、フルスロットルで進むしかない。
 
同時に、日々訪れる色々な事を
全て有り難く感じながら、前向きに前のめりに生きたい、
と思う。
 
今まで大事にしていたものも、守るべきものも、
多くは勝手に壊れて消えていったから、
前に進んで新しい視野の中で、新しい世界を見つけるタイミングなのだろう。
 


 
 
まさに、スクラップ・アンド・ビルドだね。
自分の人生はいつも、スクラップ・アンド・ビルドだったしね。
 
背中からやって来る未来を見定めるのは難しいけど、
過ぎ去っていく今を記憶しながら、流れの向きを見ながら、
限られた時間を使う。
 
ただ、ブレたくない、という思いが、
目標を・・という反応になって出ただけのこと。
 
とは言え、元来ワガママな自分。
悩んだら自分の気持ちに従って生きてきた自分。

今までは捨てて新たな道を選び、
そこから始めるとしても、
やっぱり自分らしく生きることしかできないのだ。

そんな事を考えつつ、目標を立てる。
そして自分の心に記録して、黙って実行するのみ。
 
成果と達成率は自分にしかわからないけど、
自分の中だからこそ、ごまかせない。
 
我ながら困った性格だ、と思っている。

弘誓深如海

 
 
生きていてはいけないとされた自分は
生き続けることを望まれない自分は
生き続けていることに疑問を持ちながら歩いていた
  
そして
そんな自分にとっての救いの道は
自分以外の人のために生きることだった
 
 
気付かなくていいんだよ
それは私の生き方だから
 
自分が唯一生きている意味を感じられる時間を
自分だけ味わえれば良いのだから
 

押しつけているのでもないし
苦しんでもいない
  
ただ
そんな気持ちを素直に受け取って欲しい
と思ってしまっただけ
 
少しだけ解って欲しいと
思ってしまっただけ
 
弱さを見せられる人には
自分を見せたいと思ってしまっただけのこと
 
弱さを晒してしまえるほど
暖かい気持ちに触れてしまっただけなんだよ
 
 

  
  
頑なに
自分の生き方を貫く気持ちは
よくわかる
 
自分自身がそうしているから
よくわかる
 
だから
気づかない顔をして
楽に笑った顔だけ見せて
当たり前に振る舞ってくれれば良いと
願った
 
それでこそ
救われると訴えた
 
だけど
自分の気持ちが一番なのは
人間誰しも同じなんだよね
 
 
だから
私はまた
孤独を選ぶ
 
だから
手を離す
その事で苦しむのは君じゃない
 
  
でも
時は来てしまった
 
限りある命に
もはや猶予はない
 
だから
自ら手を離すんだ
 
離したら
自分を否定し苦しめるとわかっていて
でも握り続ける力を失いつつあることもわかっていても
 

だから
自ら手を離したんだ
 
 

 
 
想いは
届かない
 
願いは
かなわない
 
それは
人生の一部分
 
面白く感じるか
哀しく感じるか
それもまた人生の一部分
 
だからきっと
残り少ない時間も
同じ様に歩くと思う
 
ただ
もう歩けない
 
それが残念だと
思っている

やばいな

世の中には、生きづらいと感じながら
毎日を過ごす人がいる。
 
間違い無く自分も、その一人だ。

毎日がブルーマンデーで
毎夜が恐怖。
 
酔えば醒めたくないし、
寝ても覚めたくない。
 
どんだけ怠惰なんだろう?って思ったりもするけど
ストレスフルな毎日には、
そうやって少しでも自分を救う気持ちを否定しないで持たないと
たぶん、生きている事その物が嫌になってしまう。

だからそんな毎日を笑い飛ばすクセすら、
ついてしまったのだろう。
 
  

 

情報が少なかった時代に育った自分には
そんな人達が少なからず存在している事を、知る術がなかった。
 
学校で、クラスの誰もが持っている表情を理解する能力が
自分には無いな・・と気付いたのは、小学校4年の頃。
 
同時に、自分の感情は
わかりやすいほど表情に出ている事を
意識したのもその頃だったと思う。
 
そこで自分がやったのは、
とにかく、人と対峙する時のデータ収集。
 
あらゆる事を誰かに投げかけて
その結果を記憶する事で社会に適応できる力を養ったのだけど、
それでもやっぱり、
無意識に他人を傷つける言葉を吐いてしまうのは
この歳になった今でも、ままある事だったりする。
 
だから若い頃は、人との親密な関係を築く事に恐怖を感じ、
笑う事を拒絶するやり方で、人間関係を増やさないスタイルが
できあがっていた。
 
そんな頃、
縁あって今の会社に転職し、
聾唖者のための施設で働くようになる。
 
 

 
 
「おあよ・・・ えん・・き?」
 
と声をかけられて、ぎょっとする。
 
見れば、
満面の笑みをたたえるオッサンが、一人。
 
ほんの少しの沈黙のあと、
自分はあわてて挨拶をしてから、無理に笑みを作っていた。
 
 
そうだった、
ここは聾唖者が職員として多く働いている施設だった。
 
彼は私を見つけて、普通に挨拶をしてくれただけで
自分の言葉が不完全な事を知っているから
それを笑顔というツールを使って補完しているのだった。
 
 
どれだけ、
自分は笑っていなかったのだろう。
 
 
毎日、
どう見ても不公平なくらいに起こる不幸をいちいち感じないように、
頭の中にスイッチを作って、辛いと感じたらオフにする生活に慣れる。
 
その結果が、自分から笑顔を奪っていて、
それを知ってても楽だったから、
何の疑問も感じないまま生きていたのだ。
 
でも、この社会では、笑顔は大事な言葉なんだ・・と気付いてから
心がけて笑う事を、笑顔を作る努力を、始めることになる。
 
 

 
 
「あんたが居たから、私は何もできなかった。
 やりたい事は全部諦めて、揃えた道具に全部処分した。
 何故、私はあんたを育てなきゃいけないの?」
 
 
母親は、毎日のように恨み言を言った。
物心ついた時から、それは続いていた。
 
だから自分は、
自分が生きている事がいけないって毎日思っていたし、
八つ当たりに近い体罰にも慣れてしまっていた。
 
例え人間関係が上手く作れなくても、叩かれない場所=学校は唯一の逃げ場所で、
家に母親が帰ってくるまでの平和な時間だけが心安まる時間だったことを、思い出す。
 
 
自分は、生きてても良いんだろうか? 
自分は、誰にも必要とされていない?
自分は、存在する価値もない?
 
 
そんな思いは、子供の頃からずっと持ち続け、
同時に、悲鳴を上げている心に触れると放置できない
という困った感情も育ててしまったが。
 
 

 
 
もともと、逃げる事は嫌いだ。
だけど、自分を守るためには逃げるしかなかった。
 
だから逃げ足は速くなったし、
心を許すような関係はごく限られることになった。
 
 
だから
だけど
本当はもっともっと
楽に人間関係を構築したいし
誰にだって優しくありたいし
自分も素直に出ていたい
 
それでもやっぱり
突然
想いは裏切られることって、ある。
 
 
愛情って
自分より相手が大事に思えてはじめて、
重さを持って育つものだと思っている。
 
その思いの重さに程度はあるし
重さに比例して関係も変わるけど
自分のチームだったり、仲間だったり、
ましてやファミリーだったりすれば、
どれもやっぱり、自分よりも大事に思う気持ちは
ちゃんと存在していたりする。
 
でも、なかなかそんな思いは
届かないのが現実。
 
逆に、思いが届いたことで
相手を苦しめることもあって
時にはそれ死を招くこともあったので
徐々にだけど、子供の時のように、
心を閉ざしがちになってきた、今日この頃。
 
社会との関係が
本人の意思とは関係無い部分で変えられていく時期には
それに対応して、守りにシフトしつつある、という事なのだろう。
 
そう言えば、今の自分、
夢中になれるものが全部消えて
新たに探す元気も湧いてこない・・・
 
やばいな(^_^;

バル

 
 
 「最近、大人しいね」
  
 「そうかな」
  
 「前ならどんどん遊びに来たのに、
  なんかずっと音沙汰無しだし?」
  
 「あ〜、ごめんなさいね。
  結構、今の仕事忙しくてね」
  
 「ふ〜ん」
  
  
そうじゃない。
実際のところは、そうじゃない。
  
誰かと会うとすごく気を遣うし、
そもそも相手の気持ちを想像しないと
恐くて会う気になれない自分。
 
そのためのエネルギーが
最近めっきり減ってしまったのだ。
 
 
 「で、何故、わざわざこの店へ?」
 
 「最近仕事で横浜通いなんだけど、
  駅の手前に女子が集ってる店があるから入ってみたら、料理が美味しいし安い。
  石川町だから来れるだろうと思って、声かけたのよ。」
  
 「ありがとうございます。」
 
 「なんかさ、元気ないじゃん?」
 
 「歳の為せるワザ、でしょ。
  体調だったり意欲だったりが落ちるのって・・・」
  
 「違うでしょ。
  こうやって、誰かと一緒に食べたり飲んだりする事が
  減ってるから・・でしょ?」
 
 
あ・・・
そうかも知れない。
 
勿論、今だって、一緒に食事をする人はいるけど、
自分の好きな物を、一緒に楽しめる人とは、会えてないのかも。
 
 
 「すいませ〜ん!
  スパニッシュオムレツとアモンティリャード2つ!
  あと、ラムを、お願いします!」
 
 「あれ? ラムって平気だっけ?」

 「前はダメだったんだけど、札幌で生マトンのジンギスカン&ビールを食べて
  初めて羊って美味しいって感じてから、もう好物!」
 
 「札幌でジンギスカン食べたら、そりゃ美味いさ。
  サッポロビールも工場で飲んだら、しびれるほど美味いよ〜」
 
 「ちょっと、調子出てきたね。」
 
 「食い意地張ってるんで(^_^;」
  
  
スパニッシュオムレツは、
タパスの中でも好きな物の一つ。
 
野菜やベーコンなんかを入れて焼いた洋風厚焼き玉子って感じだけど、
簡単な様で奥が深いのか、それとも個性を出そうと必死なのか、
色々な店で食べてみてもどれ一つ同じ感じの物に出会わない。
 
 

  
 
あ、見た目は一緒ね(爆)
 
ここのは、ジャガイモの調理が見事で、
厚いのに固くなっていないから、かなり腕が良いと思った。
 
 
 「ねぇ、アモンティリャードってもっと甘くなかった?」
 
 「色で言ってない?」
 
 「あれ?」
 
 「メーカーにもよるけど、辛口に分類されるよ?
  ティオペペとかと同じレベルだよ。甘いのはクリームとかペドロ・ヒメネスね。」
 
 「なんか前飲んだのは、もっと甘かったのよ〜」
 
 「甘いのが良いの?」
 
 「今日の気分はね」
  
  
多分、関係の形は色々でも、
人生の中で、頻度が高く一緒に食事ができる人は必要で、
一緒に「美味しい」と言える事は、すごく大事。
 
酒を一緒に楽しむ事より、
食事を一緒に楽しむ方がより、大切なんじゃないかって思っている。
 
 

 
 
 「これこれ、前食べたら美味しかったの〜」
 
 
 「どれどれ・・・」
 
 
美味い!
 
ちょっと脂身が多い感じもあるけど、火の通し方が抜群。
 
 
 「ここね、ラムはわざわざ炭を使って焼くみたい。」
 
 「あ〜なるほど。
  しっかり火が通っているのに、風味が落ちてないのは
  温度管理ができてるって事なんだろうね」
 
 「美味しいね」
 
 「美味しい! 久々にマトモなラム食べた気がする」
 
 「うん」
 
 
美味しい物を食べて
こぼれる笑みを与え合う時間って
大事だね。
 
よく行ってた店に行かなくなったり、新規開拓をしなくなったのは、
きっとこういう時間を分かち合いたい人と、会えなくなってきたからだろう。
 
今日、一緒に食事を楽しめる時間をくれた人は
そんな私に気付いていたのかも知れない。
 
 
 「でさ、なんか話あった?」
 
 「あったけど、もういいや」
 
 「あれ?」
 
 「美味しいって笑いながら食べてるから」
 
 「そうか。
  で、この後、まだ飲む時間あるよね?」
 
 「飲むだけ・・ならね」
 
 「抜群な更科を食わせる蕎麦屋が、中華街にあるんだけどなぁ・・・」
 
 「飲むだけ・・・・ならね」
  
 

ベンチマーク

ポピュリズムの台頭により
声を上げた者勝ちな空気さえ感じる昨今。
 
ウェブ環境が整い、
SNSにはプッシュされた情報が羅列され
その流れを助長していく感さえある。
 
自分は自分なんだ、と思っていても、
客観的に見ようと心がけていても、
それでも溢れかえる情報に流される事も感じていて、
だから、非日常の中に、日常の自分を確認する行為を
自分に科すことを忘れないようにしている。
 
それが、例えば、
8月の広島行きではある。
 
 

 
  
ここは必ず訪れて、祈る場所。
 
同じ場所から撮っていても、その歳の何かが写っている事に
自分だけは気付いている。
 
そしてこの風景もまた、
必ず撮るものでもある。
 
 

 

 
 
去年も、同じ事を感じていた。
 
今年はフェイクニュースという言葉さえ生んだ、
あざといキャプションで意識を誘導する、
未必の悪意を含んだ文言の洪水。
 
それが物事の判断を狂わしている事は、
多くの人が気付いていると信じたい。
 
自分はこの地に来て、
忘れてはいけない事実を思い出し、確認し、
風化させないように、今の姿を記録し、アップする。
 
大した意味など無いとわかっていても、
自分としてのベンチマークなので、
愚直に確認作業をするのだろう。
 
 

 
 
「この世界の片隅に」というアニメーションを、見た。

広島市江波から呉に嫁いだ主人公が、原爆が投下され終戦を迎える頃に、
どう生きていたか・・を描いた作品で、戦時中であっても日常はあった事を
淡々と表現していた。
 
広島は、1985年に被爆40周年を記念して国際アニメーションフェスティバルを開催し、
現在は2年ごとに世界4大アニメフェスの一つとして開催する地。
 
アニメーション繋がりで、
中高生が作った短編アニメの発表会を平和公園の会場で見たが、
取り上げるテーマは平和への祈りや虐めへの抵抗と、
考えさせられる物が多く、ストレートな表現に新鮮さと鋭さを感じさせられ、
シンプルに表現する強さと潔さは大きな力になる事を、思い出させられた。
 
 
「この世界の片隅に」の主人公は絵が上手で、
江波も大手町(原爆ドームがある辺り)も呉も
主人公の絵で表現されている。
 
そこに描かれた町並みをちょっと見たくて
呉にも足を伸ばした。
 
 

 
 
呉は軍港の街で、
潜水艦がそのまま記念館の一部になっていたり、
太平洋戦争時の資料が多く展示されていたりする。
 
 

 
 
色々な思いを飲み込みながら展示を見て、
そして呉の街を歩いてみた。
 
 

 
 
映画にも出てきた風景は、台風の影響もあって雲が夏のそれでは無かったけど、
平成の町並みとしてそこにある。
 
その時、ふと考えたのは、
何故、原爆を呉に落とさなかったのか・・という事。
 
軍港の町として今も続く呉を叩くのは、
戦闘行為であれば当然のこと。
 
なのに、呉では無く広島市街を狙ったのは、
当時既に、日本軍は抵抗能力が無いと判断していたからだ。
 
この、平和な風景を見ながら
山の向こうの広島で起きた虐殺を考えたら
突然涙が溢れてきた。
 
勝つために、殺すのが戦争だけど、
無抵抗の市民を無差別に殺すのは許されるのか?
 
今も尚、原爆で苦しむ人がいる現実を見ないのは、
先住民を蹂躙して建国した国が持つ差別意識と、
命を捨てて戦う民族へ刃を向けた事に対する恐怖なのだろうか。
 
差別をする人間は、
差別したい相手を畏れている。
 
他民族を人間として認めない行為を行う国は、
他民族を根絶やしにしない限り、安心できない国なのだ。
 
だから日本は、
未だ、占領下に置かれているのと同じ状態で、
その現実に目を向けないような教育と情報統制がされていると
私は感じている。
 
 
8月6日、広島は暑かった。
台風は駆け足で通り抜け、7日の午後は日が戻った。
 
補給してもすぐ汗になってしまうほどの暑さの中で、
今更ながらに確認できてしまった暴力の罪を感じて
心は凍ったままで、今日を迎える。
 
権利を主張するためには、義務を果たさなくてはいけない。
国としての権利を主張するのなら、果たすべき義務は何だろう。
 
終戦の日には、自分達の生き方を、
犠牲になってくれた人達に感謝しながら考える。
 
それもまた、国民の義務の一つに思えるだが。

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