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2017-08-15

ベンチマーク

ポピュリズムの台頭により
声を上げた者勝ちな空気さえ感じる昨今。
 
ウェブ環境が整い、
SNSにはプッシュされた情報が羅列され
その流れを助長していく感さえある。
 
自分は自分なんだ、と思っていても、
客観的に見ようと心がけていても、
それでも溢れかえる情報に流される事も感じていて、
だから、非日常の中に、日常の自分を確認する行為を
自分に科すことを忘れないようにしている。
 
それが、例えば、
8月の広島行きではある。
 
 

 
  
ここは必ず訪れて、祈る場所。
 
同じ場所から撮っていても、その歳の何かが写っている事に
自分だけは気付いている。
 
そしてこの風景もまた、
必ず撮るものでもある。
 
 

 

 
 
去年も、同じ事を感じていた。
 
今年はフェイクニュースという言葉さえ生んだ、
あざといキャプションで意識を誘導する、
未必の悪意を含んだ文言の洪水。
 
それが物事の判断を狂わしている事は、
多くの人が気付いていると信じたい。
 
自分はこの地に来て、
忘れてはいけない事実を思い出し、確認し、
風化させないように、今の姿を記録し、アップする。
 
大した意味など無いとわかっていても、
自分としてのベンチマークなので、
愚直に確認作業をするのだろう。
 
 

 
 
「この世界の片隅に」というアニメーションを、見た。

広島市江波から呉に嫁いだ主人公が、原爆が投下され終戦を迎える頃に、
どう生きていたか・・を描いた作品で、戦時中であっても日常はあった事を
淡々と表現していた。
 
広島は、1985年に被爆40周年を記念して国際アニメーションフェスティバルを開催し、
現在は2年ごとに世界4大アニメフェスの一つとして開催する地。
 
アニメーション繋がりで、
中高生が作った短編アニメの発表会を平和公園の会場で見たが、
取り上げるテーマは平和への祈りや虐めへの抵抗と、
考えさせられる物が多く、ストレートな表現に新鮮さと鋭さを感じさせられ、
シンプルに表現する強さと潔さは大きな力になる事を、思い出させられた。
 
 
「この世界の片隅に」の主人公は絵が上手で、
江波も大手町(原爆ドームがある辺り)も呉も
主人公の絵で表現されている。
 
そこに描かれた町並みをちょっと見たくて
呉にも足を伸ばした。
 
 

 
 
呉は軍港の街で、
潜水艦がそのまま記念館の一部になっていたり、
太平洋戦争時の資料が多く展示されていたりする。
 
 

 
 
色々な思いを飲み込みながら展示を見て、
そして呉の街を歩いてみた。
 
 

 
 
映画にも出てきた風景は、台風の影響もあって雲が夏のそれでは無かったけど、
平成の町並みとしてそこにある。
 
その時、ふと考えたのは、
何故、原爆を呉に落とさなかったのか・・という事。
 
軍港の町として今も続く呉を叩くのは、
戦闘行為であれば当然のこと。
 
なのに、呉では無く広島市街を狙ったのは、
当時既に、日本軍は抵抗能力が無いと判断していたからだ。
 
この、平和な風景を見ながら
山の向こうの広島で起きた虐殺を考えたら
突然涙が溢れてきた。
 
勝つために、殺すのが戦争だけど、
無抵抗の市民を無差別に殺すのは許されるのか?
 
今も尚、原爆で苦しむ人がいる現実を見ないのは、
先住民を蹂躙して建国した国が持つ差別意識と、
命を捨てて戦う民族へ刃を向けた事に対する恐怖なのだろうか。
 
差別をする人間は、
差別したい相手を畏れている。
 
他民族を人間として認めない行為を行う国は、
他民族を根絶やしにしない限り、安心できない国なのだ。
 
だから日本は、
未だ、占領下に置かれているのと同じ状態で、
その現実に目を向けないような教育と情報統制がされていると
私は感じている。
 
 
8月6日、広島は暑かった。
台風は駆け足で通り抜け、7日の午後は日が戻った。
 
補給してもすぐ汗になってしまうほどの暑さの中で、
今更ながらに確認できてしまった暴力の罪を感じて
心は凍ったままで、今日を迎える。
 
権利を主張するためには、義務を果たさなくてはいけない。
国としての権利を主張するのなら、果たすべき義務は何だろう。
 
終戦の日には、自分達の生き方を、
犠牲になってくれた人達に感謝しながら考える。
 
それもまた、国民の義務の一つに思えるだが。

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