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2014-12-12

嫉妬

9947Dcm
 
 
20代だったと、思う。
 
とにかく、
筋を通そうが完璧に仕上げようが、
ひたすら怒られ、意思に反する命令を受ける事が、あった。
 
何故だか、わからない。
 
命令そのものを聞いていれば理はあるように聞こえるけど、
元々のオーダーから考えれば理不尽な事になるので、
正直、イジメか嫌がらせにしか、感じられないでいた。
 
 
「それはな、嫉妬だよ」
 
「え?」
 
「人はさ、自分がやりたくてもできない事をあっさりやられてしまったり、
 見事なまでの結果を当たり前に見せられると、
 なんとなく面白くないと思うものなのさ。」
 
「でも、嫉妬・・ですか?」
 
「そうだよ。
 自分に持ってない物を見せびらかすヤツは
 面白くないだろう?」 
 
「まぁ・・・確かに。
 でも、それは物の話ですよね?」
 
「同じだよ。
 物だけじゃない、能力だろうが、育った家だろうが、学歴だろうが、
 全部自分では手に入らない物を持つヤツには、嫉妬するものなのさ」
 
 
大先輩に相談した時、
先輩は明確に嫉妬が原因で起きている現象だと指摘したのだが、
その頃の私には、単なる嫌がらせにしか感じられなかった。
 
何故なら、
文句をつける人は何だって持っていたからだ。
 
容姿端麗で立派な学歴を持ち、
社内的にも地位は高く、
勿論サラリーも高くて仕事もできる人だったからだ。
 
 
「いいか、良く聞け。
 嫉妬ってのは女がするもんじゃない。
 と言うか、女の嫉妬はまだカワイイもので、
 野郎共の嫉妬の方が遙かに恐いし、質も悪いのだぞ。」
 
「そうなんですか?」 
 
「たぶん相手は、お前の真っ直ぐなところや、
 仕事の出来やスピードを見て、その能力に引け目を感じたのだよ。
 そして嫉妬した。
 ひょっとしたら嫉妬だと気づいていないかも知れないがな。」 
 
「・・・そうなんですか」
  
「偉そうな事を言うヤツは、偉そうにしたいのさ。
 人の上に立ちたいヤツは、能力あるヤツを蹴落とす事しか考えないのさ。
 そして会社なんてものは、好き嫌いで全てが決まってるようなところだ。
 だから、能力を見せびらかして仕事するヤツは、鬱陶しくて目障りで、
 しかも自分の地位を脅かす敵にしかならず、嫌われて扱いが悪くなるのだよ。」 
 
「どうすれば良いのでしょう」
 
「能力を隠せ。
 それと、
 無意識にでも相手を下に見るような態度は、見せない事だ。」
 
 
そんな会話をした後、
職場が、下卑て気持ち悪い世界に見えて、嫌気がさした事を思い出す。
 
  
若かったよね。
そりゃ20代だしね。
 
でも、仕事は飯の種だ。
だから、仕事がある事を感謝して、
その感謝に対して笑顔を作っていれば良い・・と思う事にした。
 
 
仕事だけが人生じゃないし、
仕事だけが自己実現の場ではない。
 
自分にはまったく仕事とは関係の無い世界があるし、
表現もまた、自分だけの場を持っている。

それを考えると、
メディアの世界で働く魅力なんて、実に大したことの無い物だと理解できた。
 
そして30年近く年月が流れたが・・・
 
今、感じるのは、
やはり人は好き嫌いで物事を見がちだ、という事。
 
それと、何かを否定する事の根底には、
嫉妬という物が隠れている事も。
 
 
そりゃ、
隣の芝生は青く見えるだろうよ。
 
でもそれは、仕方の無い事でもある。
 
上っ面しか見ないから、自分の気持ちの中にある
「欲しくても手に入らないモノへの欲望」が、余計にそう見せるのだ。
 
そして
「手に入れてしまえば途端に色褪せる」という経験が無ければ、
いつまでも「隣の芝生は青く輝いて見える」だけの事だ。
 
 
嫉妬も上手く使えばエネルギーになるし、
そのエネルギーを気持ち良い方向に発揮すれば
世界は違うように見えてくる。
 
「手に入らない」と自分で決めつけるではなく、
手に入れる努力をし、手に入らないならそれを凌駕できるモノを
必死に手に入れる努力をすれば良いだけの事。
 
そして手に入れたら「何だ、こんなもんか」と知る。
 
それをどれだけ重ねたかで、
人はきっと、嫉妬を上手く捨てる事ができるようになるのだと、思う。
 
 

2916DFPcm

 
 
人生はきっと
いつまで経っても頂上に辿り着けない坂道を登るようなモノだろう。
 
振り向いてみれば、自分が登ってきた世界を、俯瞰して見る事ができる。
そしてその世界が素敵だったら、そこで登るのをやめても構わないのだ。
 
でも、自分より前に、自分より高いところに登っている人がいて、
自分の不甲斐なさを感じるのなら、やっぱり登っていくしかない。
 
最初から高いところにいる人もいるし、
健脚で下から追い抜いて登っていく人もいるけど、
その人達の脚を掴んで止めても、間違えれば一緒に転げ落ちるだけの事だ。
 
 
だから、
今、ここまで登った事を、
疲れたら休んで振り返って確認して、
それでももっと高い所から世界を見たかったら、
また登れば良い事なのだ。
 
  
最近だけど、
きっと頂上には辿り着けないと悟って、
ゆっくり振り返りつつ、登る事を良しとする自分がいる事に気づく。
 
でも、まだ脚を止める気には、ならない。
脚が動くうちは、少しずつでも登っていきたい。
 
そして動けなくなったら、
その時はゆっくりその世界を俯瞰して
今度は何が見えるかを探せば良いと思っている。
 
 
え?
辿り着けないと思ってた頂上に着いてしまったら・・だって?
 
そりゃ、その時は
お祝いすりゃ良いじゃん(爆)
 
そしてそれからどうするかは、
その時考えれば良い事、だよね。
 
でもさ
頂上の位置は、登る人の意識でどうとでもなるモノなんだよね。
 
頂上だと思ったら、
別の坂が目の前にあったりする事も・・・
あったりするんだしね(^_^;

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