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2011-05

Sometimes the heart sees what is invisible to the eye.

   
  
    特に意味は無い事でも
    突然それが
    刃のように刺さる事はある
 
    居場所が無いところに
    思いを馳せてもしかたがないと
    わかっていても
    その場を心配する気持ちが引力をもって
    心をそこに置き去りにしてしまう事もある
  
  
    今日は
    偶然だけど
    自分の価値を自ら見失った
  
    いや
    ひょっとした随分前から
    その状況には気付いていたんだろう
  
 
    意味ないなぁ・・・
 
    
    あぁ
    意味なんて
    元々無いか
  
 
 
    忙しかったよ
 
    振りまわされていたよ
 
    怒っていたよ

    悲しんでいたよ
 
 
 
    自分を押さえ込む 
  
    笑顔を作る
 
    誰かのやりきれない思いを
    受け止めようと努力する
 
 
    でも
    力は及ばない
 
 
 
 
    あ・・・
 
    自分も
    傷ついているのか
 
 
 
    疲れたね 
 
    疲れたよ
 
 

One hand for yourself and one for the ship.

  
  
    自分の思いが通じていないと感じた時、
    そう感じるキッカケが単なる誤解だったとしても、
    一度そう感じてしまえば、
    全ての事が否定された意味を持つように見える。
 
    そんな出来事は
    実は日々起きているから
    人間関係は難しいのだと思う。
  
  
    普通の精神状態であるなら
    自分の思い込みや勘違いに気づける事でも
    最初からフィルターをかけて見ている場合は
    紛争の火種になりかねない。
 
    そしてそんな火種を1つ
    職場で見つけてしまってから、ずっと悩んでいた。
 
 
    それは以前から、自分自身がフィルターをかけた視線で
    様々な予防線を張って対処していた事だった。
 
    ただ、その動きを見た上席から「偏見を持つな」と諭されて
    フラットな視点を持つ事を強く意識する事はできていた。
 
    しかし、人にはそれぞれ経験によって築き上げたルールがあり
    集団には文化が育っているもの。
 
    他人との付き合いや他グループとの付き合いには
    フラットな視点を持つ事と同時に寛容な考え方と
    守るべきラインを意識する事が重要となる。
 
    受け入れてみれば大した事でなかった・・
    という事が結構あるのに
    最初から「受け入れがたい」と壁を作れば、
    共に生きる社会を形成する事は不能となる。
 
    そしてその火種は、論理的な判断とは別の部分で
    まさに守るべきラインの取り合いで火事を引き起こす。
  
 
    そんなストーリーが見えてしまう出来事があって
    あらためて思う事があった。
  
    まず、自分の立つ場所を考えよう・・・と。
 
 
    何をするにも
    自分が倒れては意味が無い。
 
    その、当たり前な基本を感情で忘れてしまうと
    船から振り落とされてしまうのだ・・・と。
 
 
 
    今、世の中で起きている様々な問題は、
    持続可能な対処が求められているから
    まずは自分自身が健全に生きていく事が大切だ。
 
    その上で、自分の分を超えない対処を
    持続的に行いたいと思っている。
 
    自分を健全に保てない人間に他人の何かを背負う資格は無いし、
    自己中心的な感情で他人を動かせば必ず反動を生むし、
    結局自分に還ってくるもの、だしね。
 

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