Home > アーカイブ > 2011-05-21

2011-05-21

Men have become the tools of their tools.


 
 
ツイッターやフェイスブックなど
自らの情報を発信するツールの使用が流行だ。
 
ただ、そこに流れている情報は、
主観的な表現でしかない。
 
だから私には
何故それらのツールが必要なのか
今ひとつ理解できないでいる。
 
 
情報を受け取る人は、
主観的にその情報を処理するもの。
 
伝えたい事をちゃんと伝える為に考え抜かれた情報でも
多くを伝える事ができないのは、マスコミにいる人間なら
良くわかっている。
 
そして、短文の呟きは、本人の主観を他人が主観で捉える
奇妙な感情的空間を創設し、独特なリレーションを育てていくのだろう。
 
でも、それらが面白く捉えられているのは
人間の「自分の知らない事を知りたがる欲望」による
当たり前の反応なのかも知れない。
 
そして面白さと言う物は
リアル感によって増幅されるモノ。
 
だから、嘘っぽい「ドラマ」や
予定調和でいっぱいな「おわらいタレント」のトークショー等より、
極個人的な呟きの方が、リアルで好奇心を満足させてくれる
楽しい情報になるのだろう。
 
 
 
でもね
 
自分の個人情報を
全世界にオープンにして
楽しいの?
 
ただただ
ハードやソフトメーカーの
策略に陥ってるだけなんじゃないの?
 
って思ったりしてしまう。
 
 
自分の存在を表現したいとか
自分も作り出したい世界を表現するとかの
自己満足でもある確認行為は
社会の中でしか生きられない人間の本能のようなモノ。
 
でもそれが
リアルタイムであったり実際の人物像が見えてしまう事が
必然である必要は無い。と思うんだよね。
 
 
小説も、芝居も、映画も、
本物に思える嘘を楽しむモノ。
 
その嘘がどれだけリアルか・・が
面白さだから、
その手の質が落ちているって事なんだろう。
 
ただ、自分でちゃんと探せば、
質の良い物はまだまだ存在してるし、
面白い事も、新たに生まれている。
 
そしてそれを探す為のツールとして
今の生きた情報を使う事は、理解できる。
 
ただし
残念ながら、その情報には裏付けが無い。
(本人の思い込みや勘違い、仕掛けもあるだろうしね)
 
 
 
と言う事で、
「便利なツールでも使うに値しない」
と思ってしまう私は、変でしょうかねぇ・・・? (^_^;
 

Home > アーカイブ > 2011-05-21

検索
フィード
メタ情報

Return to page top