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日記的雑感 Archive

Bonneville Steak

諸々の問題が積み重なっていて悩ましいのだが、
夕方にエースがダメージリスト入りとなったと連絡が来て、
さすがに思考停止、となってしまった。
 
ま、そんな時は、切り替えも大事。
もともと予定にあったパーティーに、向かう事にする。
 
ボンネビル・ソルトフラッツに魅せられた男が
撮りためてきた写真を写真集という形でまとめ上げ出版されたのだが、
そのリリースパーティーが今日、千駄ヶ谷で開かれるのだ。
 
 

 
 
2010年からボンネビルに通った彼と、
彼にボンネビルの話を聞いて参加し、AMAレコードホルダーとなった男が、
プロデューサーのセッティングでトークショーを行っている。
 
我がクラブ員も応援に駆けつけいて、ちょっとだけクラブパーティーのような風も吹いたけど、
基本的には、プロジェクトに関わった人達が多くいて、上品なパーティーに仕上がっていた。
 
 
 「これから飯食わない?」
  
 「あ、いいね」
 
 「今、渋谷なんだけど、連れて行きたいイタリアンがあるんで、予約取れたら行こうよ」
 
 「渋谷って・・・」
 
 「千駄ヶ谷でしょ? 北参道から乗ればすぐよ」
 
 「え?」
 
 「Facebookにアップしてれば、居場所はわかる」
 
 
あ〜
そうですか。
 
突然の電話も、
向こうにしたら突然では無いのかも。
 
と言う事で、今日が金曜って事も忘れて
渋谷に向かったが・・・ 
やっぱり渋谷は手強かった。
 
 
 「ねぇ、いっそ、横浜で食べようよ」
 
 「俺は良いけど・・・」
 
 「最近美味そうな肉食べてるよね?」
 
 「中華街の?」
 
 「そう。連れてってよ。
  終電で帰るからご心配なく。
  君、明日仕事でしょ?」
 
 「6時までには起きないと・・・だよ」
 
 「土曜なのにね〜」
 
 
まぁ、金曜の夜に渋谷でウロウロするより
勝手知ったる横浜で食べた方が自分的に楽。
 
久々に会った人との話は
電車の中から楽しめるしね(^_^)
 
 
 「A3を250グラムと焼き野菜を」
  
 「今日、A3に結構良いカブリがあるんですよ。
  ご希望なら、カブリだけでも焼きますよ?」
 
 「ロース芯かぁ・・・
  それだけでも楽しいかな?」
 
 「両方食べたいな・・」
 
 「わかりました。
  250なら、半分はレア系で残りをしっかり焼いて
  お出ししましょうか?」
 
 「良いですね」
  
 

 
 
渋谷から元町中華街への移動は、
ひょっとしたら東急が一番早いのかも知れない。
 
あの、若者と外国人が溢れる渋谷の喧噪が嘘のように感じるほど、
短時間に環境が変わるのは、懐かしい感覚でもある。
 
最近は、移動しても横浜市内の限られた場所のみで、
東京へ行く事も殆ど無い。
 
電車に乗ればすぐなんだけど、
そんな気が起きないって・・・ねぇ(^_^;
 
 

 
 
 「まずは、こちらから。
  右側がカブリです。」
 
 
250グラムの半分は、
ミディアムレアよりちょっとレアよりの焼き方で焼き、
おろしと醤油ベースのタレが添えられて出てきた。
  
 
 「美味し〜い!」
 
 「でしょ?」
 
 「A3食べるの、初めて。
  でも、脂が丁度良いね。」
  
  

 
 
もう、A5食べたいって思わなくなって、
どれくらいになるだろう?
 
サーロインの柔らかさと旨味のバランスが絶妙で、
食べてて飽きることが無い。

しかもここのステーキはトリミングがキッチリされているから、
250グラムと指定すれば、キッチリ250グラムの肉が出てくるので
食べ応えもしっかりあるのだ。

 
 「しっかり焼きました」 
 
 「ガチ焼き?」
 
 「そこまでは焼いてないですけど、
  ミディアム以上ですね」 
 
 「え〜〜〜!」
 
 「なに?」
 
 「こっちの方が、肉の旨味が凄い!
  なんで〜〜??」
 
 

 
 
自分の経験から言うと、
良い肉はしっかり焼いても美味いけど、
ダメな肉をしっかり焼くと、独特の匂いや舌の奥の方が酸っぱく感じるような味
になる傾向があって、しかも固くなる事が多い。
 
でも、そんな肉だってレアで焼けば結構楽しめるから、
低コストのステーキを食べる時は「レア」指定(爆)

 
「どう焼きますか?」って尋ねられて
「レア」って答えるのは外れにくい食べ方かも知れないけど、
肉の事をわかってない、という証明になってるように感じてしまう。
 
だから、聞かれたらお任せで頼むんだけど(^_^;
  
 
 「また写真展やるとか、写真集出すとか、考えないの?」
 
 「考えてはいるし、少しずつ写真撮ってるよ」
 
 「私は、身体壊しちゃったから以前よりペース落ちてるけど、
  まだまだやれてない事多いので、頑張ってる。」
 
 「何にしても、動かないと始まらないよね」
 
 
そう言えば、10年前くらいに、
写真展やるって決めて動いたっけ。
 
その時、次の目標は写真集だったけど、
写真集として出すなら、明確なテーマを持ちたいって思ってて、
そのテーマが絞り込めないまま、時間を費やした。
 
でも、また、写真展やるのは面白いかも。
元手と写真を貯め込んで、一気に全部使い果たすアクションって
やっぱり、表現するためには大事な行為だしね。
 
 

 
 
ボンネビルまで行って「早いヤツが一番」な草レースに出る事も、
自分の表現のために動く事も、
口で言うのは簡単で、実行するのは大変なこと。

そしてやっぱり
実際に動いた人間にしかわからない事も、多くある。
 
だからこそ、動いた人間の言葉には重みがあるし、
それは不思議と伝わっていくことでもある。
 
命がけで遊ぶ楽しさは半端じゃないけど、
そこに参加するためには、やっぱり強い意志が必要。

結局、どれだけの思いがあるかって、事になるのだろう。
 
 
やるって決めて、動く。
そうすればきっと、道は目の前に現れる。
自分にとっても既に経験済みの事だ。
 
何かをしなくちゃって思わされたのは、
ボンネビルとステーキの魔力なのか?

でも、これはきっと必然。
ターゲットを決めて、準備を始めますかね。
 
ごちそうさまでした。

愛してる

     最期に「愛してる」と言われたら
     その時は寂しさに潰されるかも知れないけど
     そこまでの関係になれたことを
     いつかはうれしく思えるだろう
 
     愛するということは
     相手の全てを自分と同じように大事にして
     自分よりも相手を生かす事を当たり前にし
     見返りを求める事なんて考えもしないことだと思う
 
 
     同じものを見れば
     同じように感じ
     考えは違っても
     お互いに受け容れられる

     そんな関係の中に
     愛は育つのかも知れない
  
     わかりやすく伝える人もいるけど
     不器用な人は行為でしか伝えられない
 
     でも
     伝わる人には伝わって
     お互いが相手を大事に思えるならば
     心離れることの無い関係に
     なっていく
 
 

   

     生きていくのは大変で
     愛の形も度合いも色々で
     だけど相手を大事に思う気持ちがあれば
     同じ時代を生きる仲間になっていけるはず
 
 
     最近流れる情報を見てて
     愛が無いな・・と感じるから
     そんな事を考えてしまうのだろうね

   考えてみれば
   ずっと一緒に生きているよね
 
   物理的な距離は色々だけど
   時には手を取り合って
   時には手を離しても
   やっぱり同じ方向に同じペースで
 
   それはきっと
   縁と絆
 
 
   縁があっても絆を紡がないと
   一緒に生きても距離が変わる
 
   手を取り合あえる時は良いけど
   絆が無ければ距離が生まれる
 
   だけど
   縁はもっと強い力
 
   たくさんの偶然の中に必然が隠れていて
   それを繋いでいくのが縁なのだから
 
   

  
   
   人は社会の中で生き
   誰かと共に社会そのものを構成していく
 
   袖振り合うも多生の縁ならば
   絆を紡いで繋いで
   それを大切にしながら生きていけば良い
 
   距離が近ければ気持ちは通じ
   殴り合いにもなれない距離と知れば
   争いよりも思いやりが大事になる
 
   今の世の中
   その距離感に飢えていながら
   絆を共に持つ手段を知らないまま
   誰かが繋いでくれることだけを
   期待する人が多すぎる
 
   
   簡単なのにね
 
   手を繋いで
   自分と同じ様に大切にすれば
   それがやがて絆となっていくのにね

杞憂

集団的自衛権の事を、
政治家の皆さんはお忘れなのだろうか?
  
その行使を、
「アメリカの手先となって、遠い異国で戦闘行為する事」
だと断じていた政治家の皆さんは、
何故、今、アメリカが侵略行為とも取れる行動に出る事に対し、
真っ向から否定する行動に出ないのだろうか?
 
 
北朝鮮が、核ミサイルと思しき飛翔体をアメリカに向けて撃った場合、
日本はその時点から戦闘の補助を行う事ができると解釈するのが
集団的自衛権の行使と考える。
 
その補助が、できる・できないで、あれほど揉めた問題なのに、
その論議をしようとしない意味が、わからない。
 
加えて、
アメリカが北朝鮮に対して先制攻撃を加えた時、
日本はどういう態度を取るのかを、何故、今、国会で議論しないのだろうか?
 
 
呆れるほどの威嚇情報を発信する国に対してアメリカが、
危険性を排除できない部分について、先制攻撃を起こすのは自然の流れ。
 
その時、
パクス・アメリカーナに組み込まれ甘えている日本は、
強制的に戦闘に引きずり込まれる可能性を否定できる力が無い。
 
そんな時、慌てふためいて先を見ないで対処だけしていたら、
日本はまた、占領下と同じ状態になるのではないか?
 
・・と、ここのところの情報戦を見ていて、杞憂してしまう。
  
 

 
 
日本は、何時の時も、
机上論では誤解・曲解を捏ねた小河原評定を重ねても、
問題が起きてしまってから泥縄的な対応する、間抜けなところがある。
 
「米が無くなる」と多く報道されても、
備蓄米である古米を食べれば良いとタカをくくり、
実際に無くなってから慌ててタイ米を緊急輸入した事が、あった。
 
これは国だけではなくて、もっともっと小さな社会である地域や職場、
へたすりゃ家庭内においても同様な行為は多くあって、
先を予想する意識の欠如と、予測する能力の欠如があると言わざるを得ない。
 
  
「未来は背中からやってくる」という考え方は古代ギリシャの考え方で、
我がクラブではその事を肝に銘じて、生きる事を求められた。
 
予測不能と思える事も、
通り過ぎて見えなくなってしまう過去を記録し、
経験の共有を図ることから予測可能な範囲を広げる。
 
これは、バイクという危険極まりない乗り物に乗り続ける上では
必要不可欠な行動でもあった。
 
 
経験に勝るものは、無い。
だから、年長者や経験者の言葉は重い。
 
ただ、それを聞いて記憶しても、
今に合わせたアップデートは必要だ。
 
過去に自らが述べた事を棚に上げ、
強引な議論をふっかけるような輩なんて、問題外。
 
それこそ今だけ良ければハッピーな幼児と一緒で、
予想外の事態に的確に対応できるはずは無いのだ。
 
 
予測は、
経験の蓄積と共有というベースの上に、
分析と対策という考察が必要なもの。
 
予想は、
予測ができてはじめて、
リアリティを持って行えること。
 
 
桜の花が散って
新緑の葉の色が濃くなった頃、
今の一触即発な状況がどうなっているか・・・と
正確に予想できる人は今、どれくらいいるのだろうね。

59

毎年、誕生日に書いているけど、
今年はちょっと特別な日に感じてしまうのは
やっぱり59歳という年齢だろう。
 
会社員人生最後の年度に、いよいよ突入するとなると、
その後の生き方を考えざるを得ないからだ。
 
時代は既に、希望者全員を65歳まで再雇用する事が当たり前になっていて、
所属する会社も労基署の指導もあって、同様の就業規則に変更済み。
 
ただ、同一職務であっても同一賃金にはなりにく風潮がまだ強く、
会社がどう考えるかも不明のまま。
 
そういう意味では、相変わらず先が見えないままの道行きとなるが、
まだ1年、今の立場を全うする事が最優先と考えている。
 

今までとは違う世界を、違う視点から見て動いた1年は、
何らクリエイティブなモノが無かった前職に比べて、
実に楽しい1年であり、経験した事がないトラブルも起こし・・と
なかなかエキサイティングでもあった。
 
1年かけて蒔いた種は、着実に芽吹いていて、
種を蒔く行為に注目を集めても、今はじっと待つ時期でもあるから、
少しだけ平穏な日々を過ごすように努めている。
 
と同時に、徐々にではあるが、
フェードアウトする動きも加速を始めた。

気がついたら居なくなっていた・・という感じで、
日々の一つ一つを大事にしつつ、
自分らしく、ちょっと自己中に生きていきたいから、
そのための準備をは粛々と進めるだけ。
 
しかし、自分がこんな歳になるなんて・・って思ってるし、
感覚的には何も変わっていない、とも感じている。
 
ただ、身体だけは、今までの酷使でだいぶ壊れてしまったから、
やっぱり59歳なのだな・・と思い知ったりも、すると。
 
来年、還暦を迎えるって・・・
恐いわ~

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