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日記的雑感 Archive

フィルムデータの再サンプリング

     2002年に訪れたロンドン。
 
     過去のデータの整理をしていて、
     ちゃんとしたサイズのデータがあったので
     サンプリングしなおしてみた。
 
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     当時はニコンF3でフィルムで撮っていたから、
     スキャナーの元データは、おいおい?・・な画質。
 
     改めてフィルムトーンをかけて
     覆い焼きを設定して、煽り補正も若干入れてみる。
 
     今時のデジタルっぽいトーンになったけど
     暗部に残ったデータが出てくるから面白く
     やっぱりフィルムって良いわ〜と思い知る。
 
     残念ながら、過去のフィルムは残ってても
     現在のPC環境ではスキャナーが動かない。
 
     かと言って、専門業者に高いコストかけて
     データ化するのも・・・ねぇ(^_^;
 
     いずれにしろ
     この風景はそうそう撮りにいけない・・と
     ちゃんとデータ化してあったからこういう遊びができる・・・と(^_^)
 
 

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     何気ない風景は、今はスマホのおかげで誰でも何時でも撮れるようになった。
     でも、撮ろうとしないと撮れないもの。
     
     きっと自分は、ごく当たり前な風景の中に
     自分が好きな空気を見つけてシャッターを切る。
 
     自分ではわかりきった事なのに、10年以上前の写真を見ると
     あの頃求めていたものが、今だってちゃんと捕まえられるかわからない・・
     という未熟さに気づかされる。
 
     日々、精進ですな。

List

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苛つく事が多いので
そのリストを作ってみる。
  
 
・会いたい人に会えない
 
・体重制限のために、腹一杯食べる事ができない
 
・身体が痛い
 
・言葉を交わしても、言葉の意味を理解してもらえない
 
・何をしても、ワクワクする感覚が持てない
 
・見え透いた嘘をつく人間が、多すぎる
 
・約束しても守ってもらえなかったり、忘れたフリをされる
 
・愚痴を言いたいけど、聞かせたくないから黙る

・「やっとけ」と言われてやっておくと「何だっけ」と言われる
  
・分を超えた仕事が多すぎるわりに、稼ぎが少ない
 
 
うん、そんなモノか。
 
大した事ないね(^_^;
 
 
一応、人生、
それなりに納得できるやり方で歩いてきたけど、
納得できない事が満載なのが人生らしい。
 
だから前へ進めるんだけど
自分を痛めないために鈍感にシフトする。
 
一度切れたテンションは戻りにくいし
壊れた身体は元には戻らないし
先もそう長くはないから
日々、幸せな事だけにフォーカスしていこうと、思う・・・
けど思う通りにならないのが人生(爆)
 
でも、だから人生は
面白いんだろうね(^_^)
 
 
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終戦の詔勅

今日は終戦の日。
 
天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われた日であり
全国戦没者追悼式が開催される日でもある。
 
そしてニュース等でその玉音放送が一部分流れたりするけど
それを聞いても、現代の人間としては
意味をすんなり理解できないほど難しい言葉なので
あの「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世の為に大平を開かんと欲す。」
という部分だけが耳に残る感じでしかない。
 
そこで今日この日に、
その全文を現代訳にして読んでみようと思った。
 
そして改憲論が盛り上がる今
現代訳を読んだ後に「日本国憲法・前文」を読んでみて欲しい。
 
 
敢えて何も言わない。
 
読めばきっと
言いたい事は伝わると
信じている。
 

ーーーー
  
終戦の詔勅(現代訳)

私は深く、世界の大勢と日本の現状とを照らし合わせて考え、
非常の措置をもって今の情勢を収拾しようと思い、
忠実で善良なるあなた方日本国民にお知らせする。
 

私は、アメリカ・イギリス・中国・ソビエト連邦の4国に対して、
それらからの共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる事を、
日本政府に通告させた。
  
そもそも、日本国民が平穏無事であろうとし、
世界各国が共に繁栄していく事は、
天皇家の先祖からの願い続けている事であって、
前にアメリカ・イギリスの2国に宣戦した理由も、
真に日本の自存と東アジア諸国の安定とを強く望んでいたからであり、
他国の主権を排除したり、領土を侵略したりするような事は、
もとより私の思いではなかった。
 

ところが戦争を始めて4年の歳月が経過し、
私の兵士たちの勇戦、私の臣下たちの頑張り、私の国民たちの奉公、
おのおのが最善を尽くしたにも関わらず、戦局は好転しないばかりか、
世界の大勢もまた日本には不利な状況である。
  
それだけではなく、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、
しきりに罪のない民を殺傷し、
惨害の及ぶ状況は、じつに測りきれないほどである。
 

しかもこのまま交戦を継続したとしたら、
ついには日本民族の滅亡と言う事態を招くだけではなく、
ひいては人類の文明もメチャメチャになることである。
  
そのような事になれば、私はどのようにして日本国民を守り、
天皇家先祖の霊前に謝罪すればよいのだろうか。
 
この様な思いから、
私は日本政府に共同宣言に応じさせる事にしたわけである。
 
私は日本と共に、終始東アジア諸国の開放に協力してくれた各国に対して、
お詫びの気持ちを表さなければならない。
 
日本国民に対しても、戦死したり、殉職したり、
天命を全うぜずに死んでいった国民達、
そしてその遺族の事を思うと、我が身が引き裂かれんばかりの思いだ。
 
かつ、戦傷を負い、戦災をこうむり、
家業を失った者達の暮らしについて、私はとても心配している。
 


思うに、今後の日本が受ける苦難は、
言うまでもなく尋常なものではない。
 
 
あなた方日本国民の真心は、私もよく知っている。
 
 
しかしながら私は時運の赴くところ、
堪え難いことに堪え、忍び難いことを忍んで、
将来の為に太平の世を開こうと思う。
  
 
私はここに、国体を守り、
それを得て忠実で善良なるあなた方日本国民のうそ偽りのない誠の心に頼り、
常にあなた方日本国民と共にある。
 

もしあなた方が、激しい感情のまま、むやみに事端をおかしくしたり、
あるいは国民同士で陥れあい、互いに情勢を乱れさせ、
そのために人としての道を誤って、世界に対しての信義を失うような事は、
私が最も忌むべき事として嫌うものである。
 


どうぞ、一国全体、一家、子孫にまでこの私の思いを広く伝え、
日本の不滅をかたく信じ、
仕事は重く道は遠いと思い、
総力を将来の建設に傾け、
心を込めて人の踏み行うべき正しい道を進み、
堅く守ってかえない志をしっかり持ち、
誓って国体の真価となるべきところを高くあらわし、
進歩発展する世界に後れをとるまいという決意を持って欲しい。
 

日本国民よ、
どうぞ私の言うことを理解してこれからを行動しなさい。 
 
ーーー
 
日本国憲法 前文
 
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
 
これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に基くものである。
 
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 
日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 
 
 

1156DFP

 
 
 
終戦の詔勅(原文)
 
朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ
非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ
茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク

 
朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 
其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
 
抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ
萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ
皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦
實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ
他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 
固ヨリ朕カ志ニアラス
 

然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 
朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公
各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス

 
加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ
頻ニ無辜ヲ殺傷シ
惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
 

而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 
終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

 
斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 
皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
 

是レ 朕カ帝國政府ヲシテ
共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
 
朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 
遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
 

帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 
非命ニ斃レタル者
及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
 

且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ
家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
 

惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ
固ヨリ尋常ニアラス
 

爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
 

然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所
堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 
以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
 
朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 
得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ
常ニ爾臣民ト共ニ在リ
 

若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 
或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ
為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ
朕最モ之ヲ戒ム
  

宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ
確ク神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ道遠キヲ念ヒ
總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ
誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ
世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
  

爾臣民
其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
 

いつからか
「欲」が生まれる原因は「知らない事への不安」ではないか?
と思うようになった。
 
自分は「何でも知りたい」と思う性格で、
小学生の頃は「誰よりも物を知っている」のが
他人に対して持てるアドバンテージだと信じていたし
何より「知らない事が許せない」という観念さえ持っていたと
記憶している。
 
しかし、その積み重ねた「知識」は、
実践を伴わないと所詮は「情報」に過ぎない・・と
思い知らされる毎日を過ごした、中学時代。
 
人間関係においては
「経験の伴わない知識」なんて役に立たないと
想像もできないほど、自分は頭でっかちでもあったようだ。
 
だからなのか、元々の性格か、
あらゆる事を経験した事を「知識」として蓄えたくなり
「できる事は何でもやってみよう」な生き方を選ぶ事になる。
 
そして
「知らない」という事が余計に不安を呼ぶ・・と(^_^;
  

な〜んて事を、つらつら考えるのは、
「欲」にまみれた人達を見て呆れたり、
「自己愛」に振りまわされる人達に呆れたりする
毎日が続いているから、に他ならない。
 
何故そこまで、その「欲」に振りまわされるの?
 
って言っても自己愛の強い人には通じないだろうけど
逆によくぞそこまで「欲」を持っていられるね?って
思ったりもする。
(それは視点を変える事で対処できてるけど)
 
 
私の「欲」は、私にしかわからない。
正直言って、
欲が満たされても幸せかどうか、わからない。
 
だけど様々な欲に力をもらって生きてきたら、
経験はやがて過去の物となって「記憶」に変化し
日々新たな経験をしても「記憶」とのギャップに戸惑うようになり、
経験を求める「欲」その物がいつの間にか姿を消していた、と。
  
 
4495D
 
 
もう、無いよね?
って思っていた事が
この7月には何回か起きた。
 
そしてそれが
新たな「欲」に育つのなら
それはそれで楽しい事だと思う。
 
 
知らない事が山ほどあるけど
充分に知って経験して生きてきたと決めつけるのは
まだまだ早いのかも知れない。
 
できないと思い込むのも
単なる「言い訳」なのかも知れない。
 
この風景が撮りたい・・と石垣島まで飛んでいったような情熱は
今の自分には無いと決めつけているのも、自分自身。

ならば、新たに動く事で見える「何か」を
欲を満たす行為とは違う次元の「楽しさ」を
今一度、探してみるべきなのかも知れないね。

私的情報に負けるマスコミ

最近、恐いなと思う事。
それはPush型の情報社会。
 
しかしそのPush型情報は決して新しくない。
 
新聞、ラジオ、テレビなどは
まさにそのPush型情報発信に他ならないからだ。
 
しかしその威力の凄まじさを知っているのは、それらを活用してきた国家。
 
意図を持って行う情報発信は大衆の感情を操作する事ができるからで
戦争等に積極的に使われている事は史実が証明している。
 
 
4498D
 
 
情報コンテンツを作ってきた側の人間として
常に心がけるのは公平性。
 
「演出」という名の傲慢な切り口は、
裏取りによる事実確認で許諾を得て
伝えるべき情報の表現で色づけされてやっと、
その何割かが見た人に残っていく。
 
だからこそ、コンテンツを作る時は
慎重に真摯に作る「クセ」が自ずとついていくものなのだ。
 
ただ、そういう基本的な経験を積み重ねたベテラン達は高コスト故に現場を追われ、
高い点数(視聴率?)が取れれば何でも良い
と考える利己主義(もしくは配慮に欠けた)な人が現場を仕切りだしてから
正直、マスコミは自身の価値を下げてしまったように見えてならない。
 
そして、
芸人やゲイが勝手に喋る番組が粗製濫造によって淘汰され
「事実は小説よりも奇なり」を利用する
ドキュメンタリータッチなプログラムが増えてきた・・と。
 
要するに「面白い」という事を理解できない人達がプログラムを作っていて、
マスコミの存在そのものが「暴力的」なものだと理解できていないのだろうね。
 
魅力を失ったマスコミは
裏付けも甘く事実誤認も多い「私的な情報」に負けて
急速に価値を下げていく。
 
無規制に発信される「私的情報」は
偏向したり毒があるからこそ魅力的だが、
その分、誰かを傷つける可能性も大きくて、
だから始末に悪い。
 
 

9130D

 
 
今回の参院選。
 
SNSを積極的に使った共産党は議席を微増し、
維新は案の定な結果となり、
一番活用しなかった自民党は大勝した。
 
この事実は
それでもまだ、SNSに対する不信感を感じる人達が
投票した人達の中では多かったという事なのかも知れないが。
(年齢層の問題もあるけどね)
 

 
街を歩けば、
スマホに夢中な歩行者がぶつかってくる時代だ。

ユーザーは、
Pushされた情報に反応しないとリレーションが失われる
と感じさせられていて、どこでもスマホ・・な状況になっている。
 
マスコミに利用価値が見出せ無ければ
国家はSNSに手を出すと予測できるけど
実際のところは、どうなんだろうね。

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