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「もてなし」より「とりなし」

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大晦日、我が一族の年送りが開催された。
 
前回告知したように
例の場所で例の如く。
 
108枚の蕎麦を、
その日集まれた兄弟達と一緒に喰らう。 
 
 
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一人一本の海老天と、もり蕎麦。
 
今年も参加人数から見れば、1人2枚は食べる感じで
蕎麦喰いが始まった。
 
 
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思えば去年は、
煩悩を追い抜けない苛立ちと、
伝わらない気持ちが投げつける言いようのない寂寥に
負けそうになっていた1年、だった。
 
そしてその原因の一つにあったのは
「もてなし」を要求される日常・・・
だったと感じている。
 
 
「もてなし」もある意味では「型」。
 
わざとらしくもわかりやすい「型」、
格や質を裏付ける様式美でもある「型」だとしても、
求める人の中にあるソレは、
まさに格や質によって違う物になっている。
 
だからそんな個人的な「型」を
「言わずとも理解しろ」と求められても悩ましい。
 
私としては、「とりなし」を行うように心がけてきたが、
元より鈍感で気が効かない事もあってか、
その人達の「型」から外れているように見えてしまうらしい。
 
 
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我が一族は、どちらかと言えば、
「もてなし」より「とりなし」を大事に、
生きてきた。
 
何故なら、我々はバイク乗りだからだ。
 
他人の考えを想像しないでバイクに乗れば、
そこに待つモノは「死」でしかない。
  
勝手に走る鉄の箱をパイロンにして
剥き出しの身を守りながら走る術は、
自分より他人の事を考える「とりなし」に通じ、
それが自然にできる人達がライダーとして生き残る。
 
その中で、縁あって「族」として
集っているからに他ならない。

 
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今年も私は、
「とりなし」を大事に生きていきたい。
 
人と人とが繋がって、
こういう「型」を毎年重ねていける事実があるのだから
私もまた、工夫と心配りを大事にして
誰かと繋がって
誰かを繋げなていく、
それが大事だと思っている。
 
そんな事を思いながら撮った写真は
去年に比べて少しだけ
明るく写ったのが面白かった。
 
 
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