- 2013-03-30 (土) 12:00
- 日記的雑感
今日、私は、55歳を迎えた。
一昔前なら、定年退職の歳だ。
そして実は、
今月の頭には自主的に定年を迎えるつもりさえ
あった。
去年の誕生日には、
可能な限り公平な環境作りを進めたいと、
書いた。
そしてそれは嬉しい事に、確かな形となって実現できた。
(勿論、完全な形ではないけれど)
ただ、公平を実現したいと言ったからには、
スジを通し、決まりを守るのは当たり前。
過去に設定された管理職規定の準用により
55歳定年となっている管理職を退くのも道理だ。
そして退いた後、
今の私にできる仕事は身体のせいもあって多分存在しないから、
ならば次の生き方を・・と考えていたのだ。
だがその規定は昨日の会議で正式に解除され、
まだ頑張れる事があるだろう今の仕事を、
続けられる事となった。
今年のテーマは
「持続可能」
いつまで私が頑張れるかわからないし、
属している集団での時間も、長くない。
だから次へ繋ぐ事や、道筋、道標、
そして仕掛けは、
できるだけしておきたい。
だが問題は、
その「精神」がちゃんと伝わるかどうか。
今年の新入社員は
「自走型ロボット掃除機」と表現される。
障害を避け、器用に掃除(→仕事)をする事ができても
障害を乗り越える事はできず、障害だらけだと動けなくなる・・・
というパターンがあるとか。
しかしそれは、新入社員に限らず今の多くのスタッフにも当てはまり、
ひょっとしたら社会全体の傾向かも知れないと、思ったりもする。
例えば、ある問題が起きた時、
「問題点を追求するより対処が先」という考えを持たず
「何故こうなった?」と怒鳴る上席がいたら?
そう、その問題は大きくなるばかり、だ。
本来上席は、
速やかに優先順位を判断し、
解決のための道筋を示し、
チームを有機的に動かす義務がある。
なのにそれを行わず「何故こうなった?」と怒るなら、
それは、問題に対する責任回避(犯人捜し)を考えている、
という事になる。
そしてその時点でその上席の存在価値は
「害」になるワケだ。
これは「テクニック」の問題ではなく
「常識」の問題だ。
そして私の世代がなんとなく持っていたそんな「常識」が
どうやら「融通の利かない面倒な事」として捉えられ
大多数の非常識に取って代わられてしまったように、感じている。
だからこその「持続可能」だ。
その「精神」と「仕掛け」を
どれだけ施す事ができるか。
それを今年のミッションとして
もうちょっと頑張ってみようと思っている。
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