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55

今日、私は、55歳を迎えた。 
一昔前なら、定年退職の歳だ。
 
そして実は、
今月の頭には自主的に定年を迎えるつもりさえ
あった。 

 
5784D 
 
 
去年の誕生日には、
可能な限り公平な環境作りを進めたいと、
書いた。
 
そしてそれは嬉しい事に、確かな形となって実現できた。
(勿論、完全な形ではないけれど)
 
ただ、公平を実現したいと言ったからには、  
スジを通し、決まりを守るのは当たり前。
 
過去に設定された管理職規定の準用により
55歳定年となっている管理職を退くのも道理だ。
 
そして退いた後、
今の私にできる仕事は身体のせいもあって多分存在しないから、
ならば次の生き方を・・と考えていたのだ。
 
だがその規定は昨日の会議で正式に解除され、
まだ頑張れる事があるだろう今の仕事を、
続けられる事となった。
  
 
今年のテーマは
「持続可能」
 
いつまで私が頑張れるかわからないし、
属している集団での時間も、長くない。
 
だから次へ繋ぐ事や、道筋、道標、
そして仕掛けは、
できるだけしておきたい。
  
だが問題は、
その「精神」がちゃんと伝わるかどうか。
 
 
今年の新入社員は
「自走型ロボット掃除機」と表現される。
 
障害を避け、器用に掃除(→仕事)をする事ができても
障害を乗り越える事はできず、障害だらけだと動けなくなる・・・
というパターンがあるとか。
 
しかしそれは、新入社員に限らず今の多くのスタッフにも当てはまり、
ひょっとしたら社会全体の傾向かも知れないと、思ったりもする。
 
 
例えば、ある問題が起きた時、
「問題点を追求するより対処が先」という考えを持たず
「何故こうなった?」と怒鳴る上席がいたら?

そう、その問題は大きくなるばかり、だ。
 
本来上席は、
速やかに優先順位を判断し、
解決のための道筋を示し、
チームを有機的に動かす義務がある。
 
なのにそれを行わず「何故こうなった?」と怒るなら、
それは、問題に対する責任回避(犯人捜し)を考えている、
という事になる。

そしてその時点でその上席の存在価値は
「害」になるワケだ。
  
 
これは「テクニック」の問題ではなく
「常識」の問題だ。
 
そして私の世代がなんとなく持っていたそんな「常識」が
どうやら「融通の利かない面倒な事」として捉えられ
大多数の非常識に取って代わられてしまったように、感じている。
 
だからこその「持続可能」だ。
 
その「精神」と「仕掛け」を
どれだけ施す事ができるか。
 
それを今年のミッションとして
もうちょっと頑張ってみようと思っている。

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