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年の瀬に思う

 
 

当たり前にそこにある・・
と思った物が、もの凄い勢いで消えていく。
 
物理的なものだけではなく
精神的なものも。
 
自分が持っている常識が
常識ではなくなっていく様を見ていると
自分を信じて突き進む力を鍛えないと
あっという間に年老いてしまう・・と考えさせられる。
 
 
今年は、廃業の形を随分と見せられた。
特に飲食店に、その傾向が多く見える。
 
20周年を迎えた飲食店がその3ヶ月後には姿を消す。
大丈夫だろうか?と心配していた飲食店は既に姿が消えている。
 
とっておきのBARも、昔ながらのイタリアンも、
横浜名物と言われたハヤシライスが売りの洋食屋も、
地鶏を大切に扱う知る人ぞ知る名店も、
昔ながら定食屋も・・・
  
そして残った店を居抜きで使う新たな店は
中華をはじめとするアジア系の店が多い。
 
 
発展途上のパワーをそれらの店に見出す時、
日本もかつてそうであった事を思い出す。
 
贅沢するより儲けを重視するスタイルは
いつかはしたい贅沢を手にする手段ではあったが、
既に日本は、恐ろしく贅沢な社会に醸成してしまったのだ。
 
 
年収300万の壁という話があるが、
この壁の突破が相当難しくなったのは
高い物は売れない現実の重さだ。
 
金利も高く、企業を成長させれば収入も上がる時代にできた
様々な常識や需要、そして法律までが時代に取り残され、
企業は年功序列で給料が上がっていく定期昇給を維持できなくなっても、
形だけ維持する努力を続けようとする。
 
だから、リストラを行って無駄飯喰らいを切って生き延びるか、
人件費が上がらない仕組みを作って生き延びるかの二択を迫られてしまった。
 
その結果が
年収300万の壁になった・・・と。
 
 
何故300万か・・と言えば、簡単な事。
仕事のできない従業員を切って補充に充てる派遣社員の
標準的な工数から計算すればその数字が見えてくる。
 
派遣で受け入れても直接雇用を迫られるような法改正がなされ
派遣であろうと直接雇用であろうとコストが変わらないようにしないと
企業が成り立たない現状が、 
その壁を作り上げてしまっただけなのだ。
 
 
これは、
日本がダメになった証明だと、
思う。
 
だから、
生き延びるためには
付加価値を自ら演出しないと、
いけないのだろう。
 
それは
求められる事には100%応えるが、
コストがかかって当たり前、というスタイルを持って、
自分しかできない仕事をするしかない・・という事だ。

 
政治がただの利権争いに見えるのは、
豊になり過ぎた今の日本が生んだ現実だ。
 
だからこそ、チャンスはある。
 
豊かな生き方を知り、
その中で培われた感覚を持っている人が多くいるなら、
コスト度外視な物こそが欲しいと思われる可能性はある。
 
そしてこれを「ブランド」という言葉で表現するのが、
今の日本人なら理解できる事だろう。
 
 
問題は・・・
 
どうやって自分しかできない何かを見つけ、
そう輝かせるかって事なんだけど・・・ね。

コメント:3

愛知のK 12-12-09 (日) 23:22

自分にしかできないこと。つかめそうでつかめない何か。
一歩引いて見たら、あるいは、案外自分以外の誰かには見えているのかもしれないな。
自分探しはまだまだ続きそうです^^

imifu 12-12-22 (土) 11:07

ちょっと意味不明…

bowjack 12-12-23 (日) 12:16

「貧すれば鈍する」
という事ですね。

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