- 2016-03-21 (月) 19:00
- 日記的雑感
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならん
有為の奥山 今日越えて
浅き夢みじ 酔いもせず
真言宗の法要の際行われた法話の中で
この「いろは歌」について説教があった。
大般涅槃経にある
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
を日本語にわかりやすく翻訳したものが「いろは歌」であるようだ。
自分の家が真言宗であり何度か法話も聞いてきたけど、
「いろは歌」が弘法大師作と言われている事や、
そもそも経文であったという話を聞くのは初めての事。
弘法大師は、
諸行無常は道理であると前半で示し、
有為(苦しみや悩みに満ちた現実世界)をよく見極めて
それを乗り越える決心を先延ばしにせず悟りの世界へ向かえと呼びかけ、
今ある楽しさや甘さに浸って快適な生活に酔いしれている間に
若さも豊かさも楽しさも儚く消えてしまうから、
早く仏がいる無為(悟りの世界)に向かう決心をするよう説いた、
と説明された。
日本人が当たり前に持ってきた無常観や、
悟りへ向かう考え方の基本を育てたのは、
間違いなく仏教だと思う。
そして、慈悲の心を持つ大切さを、
因果応報という教えの中から導いたのも
やっぱり仏教だったように感じてしまった。
気づけば、
「今、一時の楽しさは何時までも続かない」
と思わされる日々が、続いている。
でも、だからと言って不幸であったかと言えば、
そんな事は無い。
長い目で見てしまえば、
全ての現象には必然と調和があって
視点を変えれば幸せは誰にでも感じられる、
と理解することが経験によってできたから、だ。
それでも、
瞬間的に訪れる痛みや苦しみを感じないでいる事はできないし、
心の拠り所が見えなくなれば寂しさに潰されそうにも、なる。
もう少し鈍感であれば楽だったのにね、と思う事もあるけど、
鈍感では無い部分があったから切り替えてこれたのも事実なので、
そんなところでもバランスされてしまうのが人生なのかも知れないね。
先の不安を多く抱えていても、
目指す場所が見えているのなら、それは幸せなこと。
すぐに辿り着けなくても自分の速度で確実に向かえば良いのだし、
目指す場所へ真っ直ぐ向かう人には、その時その時に必要な道が現れ、
分岐点に差し掛かれば道標を担う人が待っているものだ。
問題は、
その「道」と「道標」を見落としやすい、
という事だろうか。
欲や怒りで我を忘れる時には迷子となり、
その時に受けた傷の痛みは
自我を取り戻すまで気づけない、とさえ思う。
目先の快楽や形だけの贅に踊り、
今居る場所こそが最高なのだと思い込むことは
百害あって一利なし。
とわかっていても、
欲界から抜けられない自分は、凡人なんだけどね(^_^;
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