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使うだけ傷むのは自分

日々感じる事や、積み重なった諸々の事、
それが言葉の使い方を変えていくようで、
最近は、どんなに言葉を尽くしても通じない事に自分も傷つくので、
言葉よりも映像で語る方が、その感触だけでも理解してもらえるように思うから、
「写真を見てもらう事が、今一番自分らしい表現方法なんだ」と伝えたりする。

 

面白いもので、ライダー達は、
その意を直感的に理解してくれる。

多分それは、日常的に死と隣り合わせな状況にいて、
目で安全に対する情報収集を余儀なくされていて、
結果、映像に対する感度が高くなっているからだ・・・と思う。

 

しかし、ごく普通の人は、言葉や文章を主体に情報を得ようとする事が多く、
映像が発する様々な情報に対して「なんとなく感じる何か」の説明を
イージーに求める傾向が強い。

「今年の広島はどうだった?」と聞かれても、
8月6日に実際に足を運んで、
その暑さを感じ、
様々な人々の行動を見聞きして、
言葉にはできない「何か」を感じた事は、
通じもしない言葉を尽くしても伝えようがない・・・
とさえ思うのだが。

だからか、
下手に文章なんか書かないで、写真だけにした方がまだわかりやすいのか?
と思う事も多いが、書く事もまた私の表現スタイルの1つなので、
思うままに書く事を止めるのには、抵抗がある。

で・・・相変わらず私見を書き連ねてしまうワケで・・・・(/–)/

 

1年に1回ぐらい
「戦争や平和について考え、自分なりの行動をしよう」と
私自身は思う。

既に63年もの年月が流れ、
原爆の体験を語り、傷跡を見せる事ができる人は大幅に減ってしまったが、
だからこそその残された貴重な時間を共有している今、
実際に動いて自分の目や耳で確認し想いを引き継ぐ事が、
戦争を知らない世代が唯一できる、
日本人だからこそできる、
反戦への祈りではないか・・・と思っている。

そして今年、
私らしい表現方法で今の「広島」を表現した事が、
確かに何かの影響を誰かに与えている感触は、
今日は、ここそこに感じる事ができた。

 

想像力と客観視。
そして表現。

それは結局、経験でしか養われない。

 

言葉を尽くしても相手にその経験が備わっていなければ、
伝わるどころか、場合によっては反撃を喰らったりするし、
「わかんねぇよ」と切られれば、その分余計に自分が傷んでしまう。

 

だから、通じない言葉は使わなくなってしまう

 

だってさ・・・
使うだけ傷むのは、自分なんだからさ。

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