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2011-03

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誕生日を迎えて、
毎年やるように、昨日までの自分を振り返り、
これからの一年をどう生きようかと、考えてみた。
 
 
でも、どうやら
それは意味が無い事らしい。
  
価値観がすっかり変わり、
ただただ、今の自分を否定するような思いが
いくつも浮かんでは消え、浮かんでは消えるだけなのだ。
 
 
何故かと言えば、
最大の理由は地震。
 
しかしそれ以外にも、
モラルが存在しないような動きの結果が
同時に問題となって発生している事もある。
 
  
何故?
と問う事も嫌になる位
呆れ果てる問題の山。
 
そして自分の中にあるのは
これでいいのか?
という気持ち。
 
今まで大切だった物が、
今は意味の無い物にしか見えない。
 
その事自体は、
次の一歩を踏み出させる「キッカケ」には
なりそうだけど。
  
 
さて
始動した事も、今一度白紙に戻し、
再考してから再始動だ。 
 
そして、
自分の身の丈も、確認しよう。
 
道が見えなくたって、
歩を止めるワケにはいかないから・・・ね。
 
 

普通に暮らそう


 
 
計画停電は、夏はおろか次の冬までかかるとの情報が、出てきた。
 
節電で営業時間を短くしたり、
電気を多く使うイベント等は既に自粛の方向が出てきているけど、
それに伴う様々な経済活動の縮小は、間違いなく今の不況を加速させる。
  
だったらどうしよう?
個人レベルでは何をしよう?
 
答えは簡単で、
今まで通りに暮らす
という事だと思う。
 
備蓄や貯蓄に走っても、
消費できる場所が潰れて無くなったら、
補充も消費も出来なくなる。
 
そして中小企業は間違いなく自転車操業で頑張っているから、
いつまでも消費を控えていたら、倒産に追い込まれる。
 
つまり、過度の備蓄や貯蓄、そして営業時間の短縮等は、
負の連鎖のスタートにしかならないと思うのだ。
 
という事で、いつまでもこの震災について語っているのも
良くないんじゃないか・・と思うようになってきた。
 
勿論、マスコミ系の仕事に絡んでいる事から
ニュースには流れない情報や解説が必要だと思えば、
その都度発信していくつもりだけどね。
 
という事で、
喰撮ブログで食べ物ネタも復活させる事にします。

Chance favors the prepared mind.


 
 
震災が起きた事から、
所属している会社でも少なからず影響を受けている。
  
決まっていた仕事がキャンセルになり、
事業そのものの再開の目処がつかない・・等、
会社としての存続に関わる問題になりかねない状況でもある。
 
ただ、事態は好転の兆しを見せ、
復興への動きは、これからどんどん出てくるように感じられるから、
今の事業にしがみつかずに、担える仕事にシフトする柔軟な対応が必要になるだろう。
 
つまりこれからは、敷かれたレールの上を走るような経営感覚では
線路さえ無くなりそうな状況に対応できない、という事なのだ。 
 
さて、それでも、レールを敷きたい人はいて、
レールを敷く方向をどうしようか?と悩んでいたりするが、
まずはその感覚を、どう壊していくかが急務だと思っている。
 
 
放射能問題でもそうだが、
知識の無さが不安を大きくする。
 
そしてその不安に負けて、
買い占めに走ったり、必要以上に備蓄をするから
輸送が追いつかない状態で品不足が発生した。
 
大丈夫、米は精米が追いついていないだけ。
 
地域依存度の高い牛乳はまだ供給されないけど、
燃料も根岸のコンビナートが稼働しはじめたから、
やがて今の状況を脱するだろう。
  
そして、生活が一応安定を始めたな・・と思った時、
仕事が喪失していると気付いたら、既に遅いのだ。
 
 
復興は被災地だけの問題じゃない。
首都圏も、計画停電の影響を受けて半身麻痺の状態だ。
 
元々、現在の日本は不景気で失業の嵐が吹き荒れていたのだから、
今こそ知恵と経験を生かして、新たな道を探さないと、
あっという間に会社ごと沈んでしまいかねない、と思っている。
 
さて、何から始めよう。
できる事から・・なんて、言ってられないようだしね。

Make the best of a bad bargain.


 
 
気象庁には様々なデータがあり、
緊急地震速報等の発信も担っている。
 
 

 

 
 
P波とS波の到達時間の違いから
大きな揺れに少しでも対処できるように情報を出しているのだが、
想定外の同時多発などの条件が重なり、警報が出ても大した地震が来なかったり
今回の大地震の際は警報が出なかったり・・といささか信頼感に欠ける感は否めない。
 
しかし、取材をしていて感じていた、
地震に関する様々なデータの不足、特に映像的な資料の無さは、
今回の地震で相当に得られたのは事実だな・・と思っている。
 
今はまだまだ復興に向けての努力が最優先だが、
周期的には何時起きてもおかしくない東南海地震に対する備えの為にも、
それらのデータの蓄積と解析が急務となろう。
 
 
そんな気象庁のデータの中に、
 
マグニチュード7.9
死者・行方不明者 10万5000人程度
避難人数190万人以上
 
とされている地震がある。
 
 
マグニチュード7.9というデータが大した事も無いように思わせるが、
死者・行方不明者 10万5000人程度・・というデータがもの凄い。
 
 
  
そう・・・
このデータは、関東大震災の物だ。
 
 
今、データを見てみれば、
マグニチュード9.0とされる東北・関東大震災が
いかに大きな地震であったかがわかる。
  
勿論、大正の時代と今では環境が違うし、
そもそも震源地が違う地震を同列で語るのは難しいが、
震源から遠く離れた横浜でさえ、かなりの傷を負っている個所があるのも事実。
  
そして、平常に戻りたくても環境が許さない現状はあって、
その上に不安から来る消費行動も重なって、
市民としては心穏やかにはいられないのだが、そこに持ってきて
事業の滞りという別な問題が段々大きくなってきた。
 
停電だから早く店を閉める。
交通機関が不安だから外出を控える。
節電の為に照明を落とし、エスカレーター等止められる物は止める。
流通の停滞による品不足と買い占めで、商品が無い。
 
・・・等、悪循環の元はたくさんあるが、
イベントや競技が中止になったりする事や、
広告宣伝の自粛等も出ている事から、
客商売やサービス業、広告宣伝業等が成り立たない状態にも陥っている。
 
  
これはね・・・
洒落にならないよ。
 
これからの収支予測なんて
立たないよ。
 
と、青くなる業種の人も少なからずいるわけで、
そういう事も考えると、まずは気持ちを切り替えて、
なるべく今まで通りの生活を行う事が、大事なんだと思っている。
 
 

 
 

山下公園は関東大震災の時、
町中の瓦礫を埋めてできた公園だ。
 
山下公園の前にあるホテルニューグランドは、
当時、外国人向けにあったグランドホテルの後継として
土地と建物は横浜市が提供する第三セクターとして誕生した。
 
当時の横浜にとって
外国人に認めてもらえるホテルを持つ事は、
非常に大事な事であった事が覗えるが、
復興のシンボルとしての役割も担っていたように思う。
 
そして倒壊したグランドホテルの名残なのか
目立たない場所にレンガのステップが存在する。
 
 

 
 
ピンチはチャンス。
 
非常時だからこそ、
ドラスティックに物を動かす事もできる。
 
捕らわれていた常識と言う名の思い込みを捨て、
失ったモノはリセットして、
前へ前へと歩を進めよう。
 
こっちが元気ならなくちゃ、
支援だってままならないのだから・・・ね(^_^)

情報の選択


 
 
マスコミのニュースは、事実の一部分を伝えているに過ぎず、
その繋げ方でどのような想像をさせられるかは、
演出という名の傲慢な操作によってコントロールされている。
 
これは、面白みを与える手法として意識的に使われているのだが、
ニュースをショー化した番組に慣れてしまった人達には有効で、
今の日本の意識形成を左右する位の力もある。
  
でも、今回の震災については、
その演出サイドが対応しきれていないようで、
ただただ、自分たちの苛つきを垂れ流す状況になっていると
感じているのは、私だけだろうか。
 
生活必需品が無くなったり、ガソリンが無くなったのも、
実は、そんな苛つきが作り出す政府への不信感や
必要以上に煽る不安感による物だと思う。
 
米が無いわけじゃなく、ガソリンが無いわけじゃなく
ただ、不安に覚えた人達がいつもより多めに買った結果、
供給が追いついていない・・というのが実状だ、
という情報もやっと流れ出した。
 
 
一度買い占めに走ってしまった人達が作り出した、
スーパーに物が無い状況という環境が、さらに不安感を煽っていて、
計画停電に対応して照明を消し、エスカレーター等を止め、
深夜営業を取りやめる店も多数出て、不安感の連鎖は当面止まりそうにない。
 
という事で、情報は取捨選択して、
自分で判断する事が大事なんだ・・と思うのだが、
その取捨選択前の情報ソースとしてツイッターが良いと言い切る人が、
昨日の夜、TVで熱く語っているのを見て、首を捻った。
 
 
ツイッターは確かにユーザーを増やしているようだが、
私はこの私的で短すぎる情報が、今ひとつ好きになれない。
 
確かにスピードは速く、双方向で情報交換ができる事は理解できるけど、
文章の持つ力を軽視しすぎていないだろうか・・と思うのだ。
 
一人称的呟きのストレートで辛辣な表現は、
間違いなくリアルである同時に力を伴っているから、
自分の思ってる以上に強く伝わる事は、想像に難くない。
 
そしてその表現方法は、実は子供が使う手法なんだと、
どれ位の人が気付いているのだろうか。
 
子供は社会の中で一人前に生きていないから
表現はストレートで自分本位となるが、
子供だから・・と許されているだけなのだ。
 
 
裏をそれなりにとって流すマスコミでさえ
演出という名の情報操作を行い世論を作る。
 
裏も取らずに思い込みだけで呟かれる情報に、
どれだけの価値があるのか、私にはわからない。
 
取捨選択するには、相当以上の知識と経験が必要なら、
そんなツールは使わない方が楽だな・・と思ってしまう。
 
 
マスコミは、今こそ、
求められる情報を、真摯に確実に流すべきだ。
 
そしてその情報にさえ、取捨選択を求められている現状に、
視聴者も気付いて、冷静に動いて欲しいと心から思う。

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